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レビュー

〈我が家〉はいつも懐かしい場所ではなく、最も恐れるべき対象となることもある――『緑の我が家 Home,Green Home』小野不由美 文庫巻末解説【解説:杉江松恋】

ラストまで一気読みの本格ホラー&ミステリー。原点にして最高傑作
『緑の我が家 Home,Green Home』小野不由美

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

緑の我が家 Home,Green Home』小野不由美



『緑の我が家 Home,Green Home』文庫巻末解説

解説
すぎまつこい(ミステリー評論家・書評家) 

 すべての事象には光と影の両面がある。
 人の心にもそれはある。手と手を取ってつながっていたいという友愛の情を持つ人が、その胸のうちにねじくれた憎悪を抱き、嫉妬のほのおを燃やしていることはごく普通だ。光と影のどちらも、その人の偽らざる真意だ。
 小野不由美『緑の我が家 Home, Green Home』は世界のそうした両面性を描いた長篇である。揺れる心を抱えた主人公は、注意深く周囲を観察する。隅々までを見ようとするその視線が、一つの真理を暴き出すことになるのである。残酷で美しい世界のありようを。
〈ぼく〉こと高校一年生の荒川浩志は、一人暮らしをするために〈ハイツ・グリーンホーム〉へ引っ越してくる。父親が転勤を繰り返したため、一つところに長く住んだことのない浩志だったが、その町には一年ほどいたことがあった。ハイツ・グリーンホームで与えられた部屋は三階の九号室、ベランダからは小高い丘が見えて眺めは良かった。しかし、その丘の斜面に神社の鳥居があるのを見つけた途端、浩志は不快な感情を覚えてしまう。理由はわからないが、その神社は彼にとって足を踏み入れたくない禁忌の場所なのだった。
 六号室に住む和泉聡という同年代の少年が馴れ馴れしく話しかけてきた。彼は初対面の浩志に「出て行ったほうがいい」と忠告してくるのである。和泉だけではなくハイツの住人には不可解な点が多く、浩志は幾度も不愉快な思いをする。建物の周囲には地面に奇妙な落書きをする子供が出没する。九号室に引いた電話には何者かが電話をかけてくる。初めは無言だったが、そのうちに不気味な一言を呟くようになるのだ。とても快適とは言えない住環境、だが浩志はそこに住むしかない。帰ることのできる家は他にもうないからだ。
 本書は小野不由美が作家活動の初期に発表した、ホラー・ミステリーの秀作であり、何度も版元を改めて刊行されている。『グリーンホームの亡霊たち』の題名で朝日ソノラマ・パンプキン文庫の一冊として一九九〇年十一月に刊行されたのが最初だ。その後『緑の我が家 Home, Green Home』と改題の上九七年六月に講談社X文庫ホワイトハートから復刊、同文庫からは二〇一五年八月に新装版が刊行された。今回が最新の文庫化である。小野のデビュー作は一九八八年の『バースデイ・イブは眠れない』(講談社X文庫ティーンズハート)であり、その翌年には『悪霊がいっぱい!?』(講談社X文庫ティーンズハート)で初期の代表作である〈ゴーストハント〉シリーズを開幕させている(一九八九~九二年。現在は全七巻で角川文庫から刊行)。九一年には、後に〈十二国記〉の前日譚として連作に編入されることになる長篇『魔性の子』(新潮文庫)を発表しているので、一九九〇年は二つのシリーズが並行して書かれる直前ということになる。気力がじゆういつしていた時期に書かれた単発作品なのだ。
 浩志が実家に戻れないのは、母の死後に父親が再婚し、そのことが許せないからである。アパートで自活を始めて一人前を気取っているのも、二人に背を向けた自分を正当化するためだ。しかし第六章で心情を吐露するように「住むところひとつ自分で確保できないで、何が大人だろう。仕送りしてもらって生活していて、それで大人と呼べるはずがない」という弱さは自覚している。だからこそ「切実に大人になりたい」と願っているのである。
 まだ何者でもなく弱い。そのことを正直に認められるほど強くない。しかし自分の中にある思いは貫きたい。許せないものは許せない。思いを通した結果、どうにもならなくなっていく事態の前でただ怯えているしかなく、精神の未熟さを露呈してしまう。そうした主人公の、高校一年生なりの等身大の姿を誠実に描いたことが世代を超えて本作が読まれ続けている理由の一つだろう。物語の中で浩志が脅かされるのは彼がまだ知らない世界の残酷な一面である。同時に、彼を救ってくれるのも世界の意外な優しさなのだ。突然投げ込まれた苛酷な状況を経て、少年は世界を知り、成長していく。
 分類するならばホラーとミステリー、いずれのジャンルと呼ぶこともできる作品だ。これから読む方の興を削がないよう曖昧に書くが、ホラーとしての第一の美点は繰り返される前兆にある。特に不気味なのは前述の、路面に奇怪な落書きをする子供だろう。彼の握るチョークによって生み出されるものは無残極まりない死体絵図なのである。「様々な形で血を流す人間たちが、折り重なるようにして描かれ」「線同士が重なって床を黄色く染めるほど。空白というものは、ほとんど存在しなかった」。この絵を見たグリーンハイツの住人たちはなぜか、我を忘れるほどに逆上するのである。このほか無言電話などもあってどんどん追い詰められていくのに、逃げ場のない浩志はグリーンハイツが〈我が家〉なのだからと自分に言い聞かせてしがみつくしかない。この切迫した心情が描かれることが第二の美点。
 第三は、記憶構造の複雑さを利用していることである。浩志がかつてこの町に住んでいたことがある、という過去が物語の肝になっている。第三章でその頃の友人である金子と再会した浩志は、自分たちがかつて〈ヘンキョウ〉と呼ばれる場所で遊んでいたことを思いだす。何かがそこで起きたらしいのだ。人間の記憶は完璧ではなく、しばしば欠落したり、一部が捏造されたりして原型をとどめないものになる。その歪さが浩志の恐怖を増幅させるのだ。
 そして、記憶が不完全であることは、ミステリーとしての興趣につながっていく。ここが『緑の我が家』最大の読みどころだ。浩志が自分に迫る危難から逃れるためには、まず何が起きているのかを見極めなければならない。それが困難なのである。あまりにも歪んでいて、何が起きているかさえも彼には理解できない。それゆえに電話の鳴る音さえも恐怖の対象となる。どうやら自分の過去に謎を解く鍵があるようだとわかってからも、記憶が不完全であるために手がかりを探すことさえ困難なのである。
 わずかな根拠からなんとか推理を働かせる浩志だが、彼が導き出した答えが正しいとは限らない。安全なゲームとは違って、誤ればすなわち死が待ち受ける事態なのだ。世界が揺れて見えること、記憶が曖昧にしか再現できないことを利用して、作者はミスリードを仕掛けてくる。真相にたどり着くまで、浩志と、そして読者は幾度も驚きを味わうことだろう。
 孤立無援の世界に取り残された少年の恐怖を描く物語だが、先ほども述べたように世界の意外な優しさが彼を救ってくれることにもなる。浩志を追い詰めるものは自分の、悪意なき過去の振る舞いなのだが、同時に彼を救ってくれるのも自身が何気なく行ったことなのだ。そうした因果の描かれ方にミステリーとしては最大の工夫がある。
 一九九〇年に書かれたということを考慮しても、驚くほど風化したところのない作品だと思う。まだ携帯電話もネット環境も一般的ではない時代だから、浩志が受ける無言電話も有線なのだ。そうした時代感はあり、電話機のモジュラー・ジャックを抜く、という描写にはピンとこない読者も、作品の根底に描かれる人間関係や、真相が判明した際に浮かび上がってくる哀しみなどには敏感に反応するはずである。作品が普遍的な問題を扱っているためだが、発表時よりも現在のほうが、そうした題材は深刻に受け止められる素地があるとも言える。いつの時代においても、誰かの心を反応させるものを持っている作品なのだ。
〈我が家〉はいつも懐かしい場所ではなく、最も恐れるべき対象となることもある。そうした世界の両義性を示されて頷かずにはいられない人に本作をまずお薦めしたい。世界は厳しく辛い。しかし優しく温かくもある。世界を諦めたくない人に。

作品紹介・あらすじ



緑の我が家 Home,Green Home
著者 小野 不由美
定価: 726円(本体660円+税)
発売日:2022年10月24日

ラストまで一気読みの本格ホラー&ミステリー。原点にして最高傑作
その路地にさしかかったとたん、ひどく嫌な気分がした。
どういうこともない書店街の一郭。一見見落としそうな路地の突き当りに緑の扉、ハイツ・グリーンホームはあった。
父親の再婚を機に、高校生の荒川浩志はひとり暮らしをすることになった。ハイツ・グリーンホーム、九号室──それは、近隣でも有名な幽霊アパートだった。引っ越した当日、からっぽのはずの郵便受けには、小さい丸い白いものがひとつ、入っていた。プラプラした手触りの、人形の首だった――。「出ていったほうがいいよ」不愉快な隣人の言葉の真意は? 幽霊を信じない浩志ですら感じる「ひどく嫌な気分」の正体とは? 小野不由美の家ホラーの原点とも言える本格ホラー&ミステリー小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001810/
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