完璧なトリックと緻密な構成で描く傑作本格推理
『迷宮の扉』横溝正史
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『迷宮の扉』横溝正史
『迷宮の扉』横溝正史 文庫巻末解説
解説
山村 正夫
横溝正史先生といえば、その代名詞のようにあまりにも有名なのが、名探偵金田一耕助である。日本の名探偵の数は多いが、ミステリー・ファンはもちろんのこと、そうでなくともいまやこの名前を知らぬ人は、まずいないのではなかろうか。
ご存知の通り金田一耕助は、決してさっそうとしたいわゆるカッコいいタイプではない。
身長は一メートル六十センチあるかないかの小柄な体格で、髪の毛は雀の巣のようにモジャモジャだ。しかも着ているものといったら、しわだらけのカスリの着物に羽おり、はかまもよれよれで、ひだがわからぬほどたるんでしまっている。足には破れたタビをはき、チビた
何ともパッとしないふうさいだが、サエないのは外見ばかりではない。こうふんするとおそろしくどもるくせがあり、モジャモジャの髪の毛を指でひっかきまわして、なおいっそうモジャモジャにして、あたり一面にフケが飛ぶのもかまわないのだ。それでいて会う人に人なつこい印象を与え、それがかれの何ともいえないみりょくの一つになっている。そして、金田一がそのようなくせを発揮するときは、きまって事件解明の何らかの糸口がひらめいたときといっていい。
横溝ファンの読者はすでに読まれたことと思うが、「本陣殺人事件」や「獄門島」「八つ墓村」あるいは「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の
この「迷宮の扉」もその金田一耕助の活躍する探偵シリーズの一編として、横溝先生が書かれた長編である。中学生雑誌に連載されたものなので、同じ怪奇探偵小説でもほかの小学生向きのジュニア物とくらべると、小説の作り方が違っている。おどろおどろした怪人は登場せず、そのかわり、ぶきみなムードにつつまれた事件の謎解きに重点が置かれていて、本格推理小説としてのガッチリとした構成がとられているのだ。
その意味では、先生の一連の大人物と肩を並べる、読みごたえのある作品といいうるだろう。
三浦半島のでっぱな、城が島の燈台からほど遠からぬところに、竜神館という奇怪な建物がたっているが、大暴風の夜、たまたまバスに乗りおくれて、一夜の宿を借りに立ち寄ったのが金田一耕助だった。
竜神館の主人は、
その日は日奈児の誕生日だったが、竜神館では毎年きまって、奇妙なセレモニーが行われるならわしになっていた。
ところが、金田一耕助より一足おくれてやってきたその使いの男が何ものかに射殺され、かれが身につけていた紙入れからは、なぜかまっ二つに切断されたトランプのジャックの断片が発見された。また、外から帰ってきた飼犬の
このように、金田一耕助は物語の最初から、異様な事件に巻きこまれてしまうのである。
横溝先生の作品はどれもがそうだが、発端の異常な出来事がまず読者の関心をひきつけずにはおかない。それに、小道具の使い方に先生ならではの工夫がこらされているのも特色の一つだ。本書でいえば、トランプの断片とコバルト色の髪の毛がそれに当り、その謎の不可思議さにゾクゾクとさせられて、読者はさぞかし先を読まずにはいられなかったことだろう。
金田一耕助は降矢木老人の口から、日奈児にまつわる秘密を明かされる。日奈児はシャム兄弟の片われだった。
シャム兄弟というのは物語の中でも説明されている通り、からだがくっつき合って生まれたふたごのことである。五つ児の誕生は最近のトピックスだったが、シャム兄弟が生まれたという話は、この頃ではまったく聞かない。医学的にはそれほど珍しい例で、内臓が共通している場合は手術ができないが、日奈児は胴体がくっついていただけだったので、切りはなすことに成功したのだった。
その日奈児のもう一方の片われが、
月奈児の方は降矢木一馬の妻の
降矢木老人から月奈児の住まいを聞き出して、そこを訪ねた金田一耕助は、思わず目を見はる。それもそのはず、月奈児の家は東京湾をはさんで三浦半島の反対側、房総半島のとっつきにある洲崎燈台のそばの海神館で、これが
しかもこちらには、五百子のほかに家庭教師の緒方一彦、家政婦の山本安江がいて、これも日奈児の側と共通しているといっていい。
シャム兄弟。三浦、房総両半島の突端に向い合って位置した、竜神館と海神館というウリ二つの建物。その上、同様なグループ構成。こうした何から何まで対称的な設定が、いかにも横溝先生の作品らしいこった趣向で、それがこの物語のぶきみさを一段と高めており、その中からいったいどんな新しい事件が起こるかという期待を、読者にいやでも抱かせずにはおかない。
海神館の焼失後、二つの館から二組のグループがそろって姿を消したことから事件は一転する。
これまでの数々の事件で名コンビを組んだ警視庁の等々力警部の協力で、金田一耕助がつきとめたそれらのグループの行き先は、双玉荘というこれまた一風変った建物だった。バンガロー風の中央の
それから一週間ほどたって竜太郎が死亡し、その
それははたして、たがいに憎み合っている二組のグループの中の誰かだったのか? それとも、かれら以外の何ものかのしわざか? 読者はその犯人を、金田一耕助よりも先に見破ることができただろうか?
本書の結末には予想外のドンデン返しが用意してあるが、それだけではない。金田一耕助が明らかにした真犯人の名前も、思いがけない人間だった。彼が事件の関係者一同を双玉荘の応接間に集めて、犯人を指摘するクライマックスの場面には、読者もさぞかし胸をドキドキさせて、息づまる思いがしたことだろう。
横溝先生が本格推理のねらいで本書を書かれたことははじめにも記したが、そうした犯人探しの興味が物語の後半の最大のハイライトで、サスペンスを最高潮に盛り上げていることはいうまでもない。それにしても、建物の扉のカギのトリックを難なく見抜き、犯人の完全犯罪をくつがえした名探偵金田一耕助の推理力はバツグンにすばらしく、読者は謎解きのだいご味を、たっぷりと味わうことができたはずである。
巻末にそえた「片耳の男」と「動かぬ時計」は、横溝先生が連載長編の合間に少年少女雑誌に執筆されたジュニア物の短編である。二編とも主人公のもとへどこからともなくとどく、謎の贈り物にまつわる話だが、「片耳の男」は砂金のかくし場所と悪人の正体の意外性が、また「動かぬ時計」の方は、父親と二人暮しをしている少女の母親への思慕に、時計の神秘性をからませたロマンチックなムードが、それぞれ見どころになっている。
「迷宮の扉」のような本格味はないが、どちらも短編ならではの面白さをそなえた楽しい作品といい得るのではないだろうか。
作品紹介・あらすじ
迷宮の扉
著者 横溝 正史
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年07月21日
横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
金田一耕助の行く所、必ず事件あり。三浦半島巡りを楽しんでいた金田一は、嵐に遭い、竜神館という屋敷へ逃げこんだ。直後、一発の銃声と共に背中を撃たれた男が土間に倒れこんできた。殺された男は、毎年この屋敷の主、東海林日奈児少年の誕生日に、カードを届け、ケーキを切りにくる男だった。莫大な財産をめぐる人々の葛藤をテーマに、完璧なトリックと緻密な構成で描く傑作本格推理、ほか二篇。
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