幽霊探しに余念のない著者。芥川賞作家が蒐集した怖い話
『私は幽霊を見ない』藤野可織
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『私は幽霊を見ない』藤野可織
怪異が行列している
解説
小さいころからとても怖がりで、宿題で読まなければならなかった「蜘蛛の糸」の絵本も、細い糸を命綱なしにえんえんのぼるということが読むだけでおそろしくてたえられず、せめておしまいだけでも読んでおこうと思ったのに、めらめらと燃える地獄の挿絵がページをめくるときに、どうしても指に触れてきて、よけてもよけても、カッと親指のはらが熱くなる気がして、読めない。翌日、運悪く先生に朗読をするようにあてられて、しどろもどろになっていると、予習をしてこなかったことを?られた。怖すぎて読めない、と弁明することもできず、二重におそろしい思い出になっている。父と
著者と同じように、私も幽霊をこれまでみたことがなく、仕事で、子供の幽霊が出るという漁村の一室で寝たときも何も感じず、幽霊は、少なくとも目に見えるようなかたちでは存在していないのではないか、と思っている。それでも、浴室ではいつも不安になるし、お化けに襲われるかもしれないという怖さは消えない。なんでだろうか。
お化けは怖いけれど、ふしぎには憧れを持っている。怖がらせるような仕掛けは嫌いだから、恐怖を
「うん。それで、そのときはじめて、幽霊ってまばたきしいひんねんなって知ったんやって」とアイドルに似た女にのしかかられた人の実感の言葉から、おそらく英語を話す幽霊にのしかかられたけれど日本語しか解していないためになにを言っているかわからなかった友人の友人の姉の話、タクシー運転手の五十肩がおはらいで治った話、中庭に浮かんでいた白いかかと、人の形はしていないけれど、スリッパを寝床のわきに必ず置いておいてくれる誰か、など、いろんな気配が、やってくる。
人から聞いた話も、
みている映像が、自分の世界の時間とくっついている。可愛い話のようで、アニメの中の人の気持ちになると、とても怖い。藤野さんのお父さんが、調理器具といっしょに帰ってくる話も中々奇怪だ。スーパーのものでも家のものでもない出自不明のおたまがダウンジャケットの首のあたりにひっかかっていて、そのことにお父さんは気づいていない。なんでおたまがとりついているのか。書きぶりは、ひょうひょうとしているのに、因果がよくわからなくて、不穏だ。
むかし
聞き書きはとても難しい。たまに第二次世界大戦のころのことを当時を知る方からお話をうかがったりするのだけれど、誰かから聞いた話を、聞いたときの感触のまま書くのは、とてもむずかしい。つい、これはこういうことかな、と推量したりしてしまいそうになるのに、著者は、聞いた話を、そのまま、シーンにして、書き起こしていて、生々しい。聞いている相手との、したしさはばらばらなのだけれど、著者自身や家族が体験したことも、ぜんぶ、同じ距離感で書かれているのが、すごいことだ。ふしぎを体験している人たちは、みな、あれは幽霊でした、とは言わなくて、なんだったんだろう、とあいまいで、現実的な理由をつけたりしているのだけれど、語っている本人も腑に落ちていない。宙吊りの思い出として伝わってくるから、よけい、読み心地が不穏になる。
藤野さんは、怖がりのわりに、肝が据わっていて、先輩作家たちと四国に旅行して、待ち合わせ時間をはるかに超過する寝坊をしていても、気にしていない。これはお化けとは違うけれど、おそろしい人だなと思う。藤野さんはホラー映画が大好きで、映画の中の怪奇現象をみて、幽霊は「生きているときに上げられなかった声」の主だと気づき、境遇に涙したりする。幽霊からしたら、ぜひとも取り憑きたい好人物だと思うのだけれど、彼女のもとにはあらわれない。幽霊情報を私もたくさんきいたことがある新潮社クラブでも、藤野さんは、何も体験していない。あの家屋では、赤い女の幽霊もでるときいた。その赤い人も作家なのかはよくしらない。藤野さんは、アメリカで開かれた作家交流プログラムに参加したときに「ゴースト」というあだ名をつけられてしまう。幽霊をみるまえに幽霊になってしまっている。幽霊と気づいていない幽霊だったら他の幽霊をみないのも納得する。幽霊同士は交流をしたりするんだろうか。
作品紹介・あらすじ
『私は幽霊を見ない』
私は幽霊を見ない
著者 藤野 可織
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年07月21日
幽霊探しに余念のない著者。芥川賞作家が蒐集した怖い話
私は幽霊を見ない。見たことがない。さらに目が悪い。心眼でも見えないし、知覚する脳の器官も機能しない……。だけどいつでもどこでも怖がっている筋金入りの怖がりだ。
幽霊は見られないけれど、怪談はたくさん聞いてきた。築百二十年の母校の女子トイレには、“四時ばばあなる老怪女”や“病院で死んだ三つ子の霊”が出現する。部室の廊下を首のない女が走ると言うし、友達の友達のお姉さんはイギリスのホテルで金髪の白人女性の幽霊に首を絞められたという。ついには徳島県の廃墟ホテルを訪問したり、アメリカの有名な心霊ホテルに泊まったりしたけれど、やっぱり自分では幽霊を見ない―—。それでも、幽霊とは何かという問いの答えは知っている。“幽霊とは、生きているときに上げられなかった声”だ。文庫化にあたり、書下ろし収録。
【解説】朝吹真理子 【カバー絵】アンジェラ・ディーン
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