日記文学の白眉、続刊文庫化
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』西村賢太
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』西村賢太
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』西村賢太 文庫巻末解説
解説
玉袋筋太郎(芸人)
賢太先生、早すぎるよ。
もっと年取って、六十代、七十代で暴言を吐いている姿を見たかったよ。
同い年で、おたがい長い雌伏期間を経ているのも一緒、学歴もなく、なんとか世に出ることができたのも同じで……とても共通項の多かった賢太先生のことを、俺は勝手に尊敬していた。
そもそも最初に意識したのは、高田文夫先生から「面白い奴いるよ」って教えてもらったときだった。
賢太先生はビートたけし師匠と高田先生がやっていたオールナイトニッポンの大ファンで、高田先生のことも尊敬し、対談されていた。
俺も賢太先生の小説は前々から読んでいて、芥川賞受賞から話題だったし、もちろん存在は知っていた。
ただ、なかなか会う機会がなかったところ、フジテレビの「ボクらの時代」という番組で伊集院光と出演する機会を得て、初めて会うことができた。自由にしゃべることができる番組でもあり、そこで意気投合して、せっかくだからと、さっそく有名な文壇バー「風花」に飲みに行った。
初めての飲み会で、お互いの秘密を明かそうぜって、固めの杯を交わすくらいの勢いで飲み明かした。初っ端から濃い夜だった。後から考えれば、たぶん、賢太先生に「俺」って存在を知ってもらいたかったんだと思う。
それからすぐに、二人で飲みに行く約束をした。賢太先生のホームグラウンドは鶯谷の「信濃路」だけど、俺のホームグラウンドは中野坂上の「加賀屋」(現在は閉店)だった。賢太先生が「加賀屋」に来てくれるっていうんで、恐縮しながら待っていた。いつも賢太先生は手ぶらでは来ず、必ずお土産を持ってきてくれたけど、初めての時は「錦松梅」だった。なんだよ、その上品な手土産は。柄じゃないだろ。でもその気遣いがうれしかった。それからは俺も手土産に賢太先生の吸っていた「ラッキー・ストライク」を持っていった。
二人で初めて飲んだ時も、賢太先生はすごく丁寧で、
ところがある時、「風花」で泥酔して、お互いに褒め合いすぎて、言い合いになった。なんであんなことになったかわからないけど、相互に「おまえのほうがすごいよ」って褒め殺しになって喧嘩になってしまった。店の人が引くくらいの怒鳴り合いだった。ただ、今思えば、俺は賢太先生の小説に出てくる分身「北町貫多」を味わってみたかったのかもしれない。小説に何度も登場して、理不尽な目に遭う「秋恵」にキレる貫多を。
喧嘩したあとはすごく落ち込んだ。なんであんなことを言ったんだろう、大事な人を失ってしまったと後悔した。
そこでこちらから三日後くらいにお詫びのメールを入れたら、賢太先生は歩み寄ってくれて、「手打ちの一献を」という返事がきた。あれはうれしかった。
賢太先生は手打ち式に、煙草に加えてバームクーヘンを持ってきてくれた。俺はそのときはカステラだった。
そこからはまた定期的に飲みに行くようになり、風俗遊びもやった。
こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、別に女性に飢えているというわけではなく、風俗に行くことで、一緒に駄菓子屋に通う気分になっていたんだと思う。
前置きが長くなってしまったが、本書は賢太先生が亡くなるまでライフワークとして書き継いだ「一私小説書きの日乗」シリーズの二作目にあたる。平成二十四年五月からの一年間を書いている。
この日記を読むと、いつも「ああ、だめだよ」って思っていた。晩酌で飲み過ぎたり、寝る前にカップラーメンで締めたり、体に悪いことばかりしている。俺自身もこの日記と比較して自分のダメさ加減を認識していたところもあったから、よけいにそう思ったのかもしれない。
でも本当に赤裸々で、真っ裸の賢太先生がいる。
少ない文章の中で、賢太先生の体臭まで立ち上ってくるようで、臨場感がある。
ともするとこの賢太先生の体臭は、発酵臭のようなものだったりするのだけど、ここがはっきり、読者を選ぶリトマス試験紙のようなものだったりする。百パーセントの人に好かれなくたっていい、わからない奴にはわからなくていい、という潔さが感じられる。
本書の中で、ビートたけし師匠と飲みに行く回があるけど、俺はその場にいなかった。悔しかった半面、この記述を読むだけでうれしくなってしまった。
この日記を読んで、また賢太先生の小説を読むと、倍面白い。そのような本になっている。
賢太先生の小説は、いつも腹を抱えて笑う描写に溢れていた。でもそれほど笑うことができる文章というのはなかなかあるものじゃない。ドリフのコントじゃないけど、「志村後ろ!」と北町貫多に叫びたくなる。俺には文学を語ることはできないけど、本来は下世話な話を文学に、なおかつエンターテインメントにしている小説を、俺は他に知らない。
生き方はガチンコなんだけど、やっていることは最低な貫多を、もっと読みたかった。
常々、賢太先生は「五十代で死ぬ」って言っていたけど、ベタに本当のことになってしまった。若くして急逝して英雄視されるのをもっとも嫌っていたくせに。
でも、時代の
テレビに出なくなってから、なかなか会うこともなくなってしまい、三年会えないまま別れてしまったことは心残りにもなるけど、作家・西村賢太として、それこそ師匠の藤澤淸造のように往生した姿は、賢太先生らしい死にざまだった。
賢太先生の生きざまは、大きなクジラが、長い潜水期間を経て浮上して、また海中に深く戻っていったようだった。俺はホエールウォッチングをしている感覚だった。
その中で、少しでも時間を共有できたことは幸せだった。
あんな人はもう出てこない。俺の代わりに小説の中で悪いことをすべてやってくれているような北町貫多を生んだ賢太先生。隠すことがなく、ありのままの人間を描き、強烈な印象を残した賢太先生を、もう褒めることができないと思うと、寂しい。
作品紹介・あらすじ
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』西村賢太
一私小説書きの日乗 憤怒の章
著者 西村 賢太
定価: 1,012円(本体920円+税)
発売日:2022年05月24日
日記文学の白眉、続刊文庫化
追悼 西村賢太
2022年2月に急逝した、最後の無頼派作家・西村賢太氏がライフワークとして書き継いだ日記文学「一私小説書きの日乗」。「日記がなぜこんなにも面白いのか」と、各界にファンの多かった作品の続編を、ついに文庫化。芥川賞受賞後の多忙の日々を虚飾なく綴った日記文学の白眉。
解説 玉袋筋太郎
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