全身が粟立つ、恐怖世界の万華鏡!
夢野久作『人間腸詰』
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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夢野久作『人間腸詰』
夢野久作『人間腸詰』文庫巻末解説
解説
鈴木優作
「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
ひとたび読むや〈
これらの八編は一九三四~三六年、久作の最晩年に発表されたもので、三五年に刊行された
「人間腸詰」(『新青年』一九三六年三月号)は、〇四年のセントルイス万国博覧会を舞台に、台湾館の烏竜茶店で呼び込みをする大工の治吉が人間を腸詰にする地下工場に囚われる、異国趣味の猟奇的な冒険譚。杉山龍丸『わが父・夢野久作』によれば、久作の父杉山茂丸の経営する「台華社出入りの大工さんが、ニューヨークでの万国博に行った体験談」を基にしているという。人肉の腸詰という発想に関しては、ドイツの肉屋フリッツ・ハールマンが四八人を殺害し腸詰などにして販売していたという二四年の事件があり、これを牧逸馬が三〇年に「世界怪奇実話」の一つとして紹介している。また、同様に腸詰にされかける男を描いた妹尾アキ夫「人肉の腸詰」(「楠田匡介の悪党振り」第三話、一九二七年)があり、江戸川乱歩「盲獣」(一九三一~三二年)の「鎌倉ハム大安売」も類似した発想といえよう。近代文明の集約的な場である「博覧会」にアメリカギャングの利欲が絡み、明治期舶来の加工品である「腸詰」の工場で生命の危機に直面する。久作が「唯物文化」と呼んだ西洋由来の物質文明と欲望に、「江戸ッ子」を自負する治吉が体一つで対峙するところに本作の痛快さがある。「街頭から見た新東京の裏面」で震災後の復興する帝都の「文明」に「江戸ッ子衰亡」を危惧した久作の思いが重なる。
「
「無系統
「近眼芸妓と迷宮事件」(『富士』一九三四年一〇月号)は、無尽講に金を持ってくるはずの材木屋の主人が殺された事件が迷宮入りしたが、その妾である芸妓がひどい近眼であったために一年後に真相が明らかになるという話。舞台は田舎ではないが、これも「いなか、の、じけん」のように、ユーモアとナンセンスを基調とした作品である。
「S岬西洋婦人絞殺事件」(『文藝春秋』一九三五年八月号)は、大正×年、R市S岬で西洋婦人マリー・ロスコーが暴行・絞殺され、夫J・P・ロスコーが拳銃自殺を遂げたという事件を、法医学的考察を含みつつ扱っている。夫婦らの体に彫り込まれた刺青の秘密、変態性欲、夢中遊行などモチーフが豊かに詰まっている。刺青を「変態恋愛」「マゾヒスムス」との関わりからみる点は谷崎潤一郎「刺青」を想起せずにいられないし、夢中遊行はドイツ表現主義映画「カリガリ博士」にインスピレーションを受けたであろう「一足お先に」「ドグラ・マグラ」でも重要な役割を果たしている。犯人当ての要素は薄いが、それぞれのモチーフが一つの短編に収まりきらない拡がりを感じさせる作品だ。
「髪切虫」(『ぷろふいる』一九三六年一月号)は、二千年前のエジプト女王クレオパトラの魂が現代に転生したかも知れぬ、髪切虫を主人公とした作品である。遠い過去の生命意識が時空を超えて引き継がれるという神秘的な発想の遠景には、丘浅次郎『進化論講話』を読むなど久作が進化論に深く興味を抱いていたという経緯があるだろう。進化を鼻の表現に象徴化したエッセイ「鼻の表現」においても、クレオパトラへの言及がある。動物と人間の順序は本作と異なるが、ヘッケルの反復説を下敷きに人類の意識の古層に虫や動物の心理を措定した、「ドグラ・マグラ」の心理遺伝にも通じよう。人間と他生物との間に連続性を見いだす生物科学への関心に裏打ちされた、久作の悠大な生命史観が窺える。
「悪魔
「戦場」(『改造』一九三六年五月号)は、第一次世界大戦下のドイツ軍で、ヴェルダン要塞への総攻撃における死傷者の始末にあたるオルクス・クラデル軍医中尉が、戦場に隠されたある恐ろしい事件に巻き込まれてゆく話だ。すでに満州事変が勃発し、日中戦争の前年であった当時としては、思い切った直接的な反戦の表現が冒頭からみられ、戦場に響く砲火の「轟音」が「BAKA-BAYASHI のリズム」に聞こえるという語りは苛烈な戦争をナンセンスな事象として描写している。しかしこうした反戦のメッセージのみが本作の主眼ではない。この戦場には探偵小説としての〈謎〉が布置されており、〈探偵〉として推理を働かせ真相を悟ったオルクスの「良心」は、戦争以上の狂気じみた陰謀に震え
──文明と欲望──狂気と良心──神秘と科学──ユーモアとナンセンス──。
本書には、久作が自らの文学総体を通じて渉猟した、多彩な世界が鮮やかに表れている。そこに未だ更なる開拓の可能性を残しながら、一九三六年三月一一日、久作はこの世を去る。
作品紹介・あらすじ
夢野久作『人間腸詰』
人間腸詰
著者 夢野 久作
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2022年03月23日
全身が粟立つ、恐怖世界の万華鏡!
あっしの洋行の土産話ですか。何なら御勘弁願いたいもんで。明治時代末期、大工の治吉はセントルイスで開かれる大博覧会で働くため、アメリカへ旅立った。ある夜、職場で出会った美しい中国人女性に誘われるがまま街へ出ると、不気味な地下室に連れ込まれる。そこで治吉が眼にしたのは、ガリガリと耳障りな音を立てて稼働する謎の肉挽機械だった……。幻想と猟奇趣味に彩られた粒ぞろいの短編全8編を収録。
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