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レビュー

「真理」を求めて生きる私たちのありようを照らしだす――岩井圭也『永遠についての証明』文庫巻末解説【解説:森見登美彦】

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

岩井圭也『永遠についての証明



岩井圭也『永遠についての証明』文庫巻末解説

解説
もりひこ(作家)

『永遠についての証明』はいわけい氏のデビュー作である。
 私は野性時代フロンティア文学賞(現在「小説 野性時代 新人賞」に改称)の選考委員として、最終候補に残った応募原稿を読んだのだが、そのとき心に残ったのが次の一節だった。

「自然界でも同じようなことが起こってるかもしれないんだよ。雲を表す式を応用すれば、波になるかもしれない。雪を表す式を変形すれば、森になるかもしれない。ひとつの基本式からすべてが導かれるかもしれない。ああ、なんで今まで気づかなかったんだろう」

 数学することの喜びというか、興奮というか、そういうものをたいへん美しく表現した言葉で、思わずノートに抜き書きしたことをおぼえている。
 もちろん私には本当の数学者の気持ちは分からないが、「きっとこんな感じにちがいない」と思わせる説得力が本作にはある。
 この一節の「森になるかもしれない」という言葉は、主人公の一人であるりようの生家の裏手に広がる森のイメージと響き合っており、それはまっすぐにこの物語のクライマックスへとつながっている。瞭司の遺志を継いでコラッツ予想の証明を発表する場で、もう一人の主人公・くまざわが亡き友との精神的な再会を果たすのは深い森なのである。この「森」は、数学者の心の奥底に広がる領域であると同時に、この自然の根底にある真理をあらわしているのだろう。
 瞭司の生家の「庭」と「森」がシームレスにつながっていることは象徴的だ。庭は日常的かつ個人的な領域だが、森はそれを超えた自然の領域である。「庭で遊ぶこと」がシームレスに「森で遊ぶこと」へつながっていく瞭司の少年時代は、彼にとって数学がどんなものであったかを示している。彼の心は数学を通して、自然の根底にある永遠の真理とつながっている。
 真理とつながることの素晴らしさと恐ろしさ。それが本作の根底にある。
 本作では「数覚」と表現されているが、瞭司の飛び抜けた数学的才能は、彼に素晴らしい世界を垣間見せ、より広い世界へと連れだしてくれる。しかしまた、その才能が彼を深い孤独へと追いやりもするのだ。飛び抜けた才能とはそういうものだが、瞭司の数学的才能は自然の真理に触れるものであるだけに、その才能が連れだしてくれる世界の広さも、その才能の持ち主が余儀なくされる孤独の深さも絶対的なものだ。瞭司が人とのつながりを切実に求めるのは、その世界の広さを知っているからであり、深い孤独を知っているからでもある。
 本作の前半では、瞭司はその数学的才能によって人とのつながりを作っていく。ぬま教授に見いだされ、大学へ入り、研究室の仲間たちと出会う。彼が仲間たちに影響を与え、数学の情熱を呼びさますことができるのは、彼が自然の真理とつながっているからだ。彼はそのことを疑いもしない。森で遊んでいた少年時代のままなのである。
 しかし本作の後半では、その才能が人とのつながりを破壊していく。
 瞭司の転落のきっかけとなるひら教授は興味深い人物である。数学者として社会で生きていくことの困難を長く味わってきた彼にとって、瞭司のような人間は現実知らずの甘えた人間に見えるだろう。彼にとって瞭司という人物は、社会に適応するために自分が抑圧してきたもの、「そうあることを許されなかった自分」なのであり、だからこそ瞭司へ投げかけられる言葉はれつになるのだ。平賀教授に指摘された「証明の欠陥」によって、瞭司の幸福な青春時代は終わりを告げる。
 これまで瞭司は自分が真理とつながっていることを信じていた。中学校時代の教師とのエピソードが象徴しているように、自分の頭に浮かんだことの正しさは、たとえくだくだと説明しなくても正しいはずなのだと感じている。証明できるから信じるのではない。信じているから証明できるのだ。しかし平賀教授の言うとおり、証明できなければアイデアにすぎない。いくら瞭司が正しいと感じても、証明しなければ社会に受けれてもらえない。このとき初めて瞭司は、「数学的証明」が「社会とのつながりの証明」でもあることを思い知ったにちがいない。それだけでなく、もしも数学的証明ができなければ、それは自分と真理のつながりが断たれることを意味する。そのつながりを無邪気に信じてきた瞭司にとって、それはいわば信仰の喪失に近いものである。
 真理とのつながりと、他人とのつながり。
 ここで瞭司は、いわば二重の危機に直面したのだと私は思う。
 もしも熊沢のように数学者として生きていくために上手うまく立ちまわることができれば、あるいはのように数学以外の分野に活路を見いだすことができれば、瞭司の末路もちがっていたかもしれない。しかし彼はその数学的才能ゆえに、数学から身を引き離すことができない。「かつて真理とつながっていた」という実感がここでは呪いとして働いている。他の生き方を想像することができないからこそ、唯一の希望である「証明」にすがりつく。そのことが尚更、他の人間を遠ざけていく。本作の後半、まるですべてが裏目に出ていくような展開は痛ましいものだ。森で遊んでいるうちに友人たちが帰ってしまった、という少年時代のエピソードを思いだすべきだろう。
 最終的に瞭司は真理とのつながりを回復する。他人とのつながりを代償として。
 瞭司亡きあと、彼の見つけた真理を社会へ伝えるために尽力するのは、熊沢をはじめとする彼の友人や恩師たちである。本作の根底には、真理とのつながりが人とのつながりを生み、それを破壊し、そしてふたたび結ぶという大きな流れがある。
 本作の素晴らしいところは、数学者たちの青春群像や天才の苦悩といったおなじみの人間ドラマを描きながら、「真理とつながることの素晴らしさと恐ろしさ」から目をはなさなかった点にある。登場人物たちのドラマはすべてこの核心をめぐって展開し、よけいなことは書かれていない。いささかあっさりした印象はそのストイックさが原因でもあるが、一方で、そのことが本作に数学的証明のような鮮やかさを与えている。
「この世界の真理をつかみたい」
 意識するしないにかかわらず、私たちはみんなそう願っている。たとえそれが自然の根底にある数学的真理ではなく、自分なりの「真理」にすぎないとしても。
 本作は数学的真理をめぐって格闘する数学者たちを描きながら、自分なりの「真理」を求めて生きる私たちのありようを照らしだす。瞭司や熊沢、佐那のような人々は、私たちの周囲に見いだせるだろうし、それどころか彼らは私たち一人一人の胸の内に共存している。私たちは瞭司のようにすべてを投げ捨てて「真理」を求めることもあれば、熊沢のように苦悩しつつ社会との妥協点を探ることもあり、佐那のようにもっと広い世界へ出ようとすることもあるのだ。彼らのかつとうは私たちの葛藤であり、その葛藤なくして「真理」はない。

作品紹介・あらすじ



永遠についての証明
著者 岩井 圭也
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2022年01月21日

圧倒的筆致で天才の青春を描いた野性時代フロンティア文学賞受賞作、文庫化
圧倒的「数覚」に恵まれた瞭司の死後、熊沢はその遺書といえる研究ノートを入手するが――冲方丁、辻村深月、森見登美彦絶賛!選考委員の圧倒的評価を勝ち取った、第9回野性時代フロンティア文学賞受賞作!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000240/
amazonページはこちら


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