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レビュー

どうして私を誘拐したんですか――? 色鮮やかな青春ミステリ。――逸木裕『星空の16進数』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

逸木裕『星空の16進数



逸木裕『星空の16進数』 文庫巻末解説

解説
にたどり けい

「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」
 有名なこの一節はきたむらかおる先生がデビュー作『空飛ぶ馬』(東京創元社)の単行本で語ったもので、小説を読んだことがあるすべての人間にとって実感的であるとともに、映画でも漫画でもない「小説のすごいところ」の一つを的確に説明する一文でもあります。人は誰でも学校で職場で家庭でウェブ上で友達の前でそれぞれ「別の自分」になりますが、小説を読むとピラミッドの宝物を求めて旅する羊飼いになれたり異世界で死ぬとタイムリープする高校生になれたりします。演劇や音楽をやればステージで「別の人になる」こともできますが、小説を読めば人前で発表しなくてもお家で、教室で、トイレで、電車のつりかわつかんでページを開くだけでそれが可能です。なんとお得なんでしょう。
 そして何よりすごいのが、小説は「自分とはものの見方、考え方が根本的に違う人」にもなれるというところです。同じ星空を見てもあいいろに見える人と#001E43に見える人がいるし、都会の星空は明るすぎて不健康だと感じる人と明るくてほっとすると感じる人がいるわけですが、普通に生活していると考えもしないような「自分以外」の見ている世界を、ページを開くだけで体験することができる。人生が一気に何倍にも、何十倍にも何百倍にも拡がります。素晴らしいことです。読み手にとっては。
 一方、書き手にとっては大変なのです。地の文を担当する視点人物を「語り手」と呼んだりしますが、主人公の視点というのは作者本人の語りに極めて近いものです。つまり語り手が作者本人と全く違う人間であった場合、作者はその作品を書き始めてから書き終わるまで、ずっとその人をブレずに「演じ」続けなければならなくなるのです。これはそれこそ役者さんの役作りに近いものがありまして、時として作者本人も、イギリス人の主人公で書いている時はイギリス人っぽく、町人で書いている時は江戸町人っぽくなったりします。『吾輩は猫である』を書いていた時のなつそうせきは猫っぽかったはずです。ですがそれだと困るのです。小説の文章を書くためには、ものごとを細密に観察したり、通常は見ないような角度を探して描いてみたり、言葉遣いや音韻のリズムで雰囲気を面白くしたり、ボーッと生きていると意識されないような「隠れ固定観念(制度とも言う)」を探し出してそこからずれた表現をしてギョッとさせたり、そういう「芸」をしなければなりません。つまり猫をやりながら同時にそういう芸もしなければならなくなるのです。二歳児の相手をしながらテロリストと戦ったり、タップダンスをしながら証明問題を解いたり、ブラヴァッキーなか西にしのモノマネをしながら包丁の実演販売をするようなものです。ブラヴァッキー中西が何者なのかはよく分かりませんが。
 したがって、大抵の場合、小説家は自分に近い人物を語り手にします。一見、年齢やセクシュアリティや出身地が違っても、ものの見方、考え方が、著者と同じなのです。面倒臭いからではなく、二歳児の相手をしたりタップダンスをしたりブラヴァッキー中西のモノマネをしながらでは文章内容の方に100%注力できないのではないかという恐怖があるからです(あと単に大変で時間がかかります)。結果として、程度の差こそあれ「この作者の書く主人公は全員同じような人」現象が起こるのです。書く側も分かってやっているんです。すみません。まあ結果的にそれが作家のカラーになるわけですから。きたかたけんぞうが書くゆるふわ女子の主人公とか、つじむらづきが書く銀河帝国軍人の主人公とか読みたいですか? 超読みたいですね。
 それ以外に、小説家、中でもミステリ作家という人種は往々にして自分自身はなるべく出さず、正体不明になりたがる傾向があります*1。昔は本のカバー折り返し部分に著者近影と生年月日や出身地を含むプロフィールが載っていましたが、今は少なくなりました。漫画家さんなんかも自画像を動物や珍生物にする方が多いですよね。それどころか名前を性別不明にしたり、デビュー当時使っていた関数電卓から取ったり*2、アルファベット表記すると点対称になる謎の回文にしたりします*3。読者に性別を誤解されると喜ぶという変な性癖がある人も多いです。みんな正体不明になりたいのです。それなのに主人公のキャラにはどうしても自分が出てしまうわけで、つまりそれだけ、自分から離れた主人公で「長編を一本やりきる」のは難しいのです。
 にもかかわらず、作家・いつゆうは本作で、全く別の主人公二人を描き切ります。かたやウェブデザイナーで、天才的な色彩感覚を持ち、(作中に表記はないがおそらく)アスペルガー症候群らしき気配のある十七歳の少女・きくあい。かたや育児休暇中の敏腕探偵で、極めて冷静に対人調査をこなす一方、自ら危険にきつけられていくかのような危うさを持つもりみどり。目に映る色を「#EFCD9A」といったカラーコードで説明する藍葉はもとより、一見、落ち着いていて人あしらいが上手うまいように見えて、実は機械的冷淡さとも言うべき過剰な対人技術を持つみどりもかなり特異な人物造形で、二人が見る世界は平均的な人間のそれからだいぶ離れた、異質なものです。一人描き切るだけでも大変で困難な視点人物を、逸木裕は二人、れいに描き分けます。しかも二人の人格と行動に全くブレがなく、これは作者自身のことを書いているのでは、と思うようなリアリティがあります。確かに「西にしむらきようろうは最低五人いる*4」とか「なかやましちは七人いるから『七里』。中山一里から中山七里までいる*5」とか言われるので、「逸木裕」が二人いてもおかしくないのですが、それだとしかし、作家「逸木裕」はデビュー作からみんな違った主人公を書いているので、作品の数だけ「逸木裕」が増殖していくことになってしまいます。これでは生活していけません。
 それなのに、本作の主人公二人は「どちらも作者本人のことではないか」と思うほどリアルです。これは逸木裕作品の特徴でもあるのですが、藍葉が仕事で詰まった時に受けたアドバイスや、みどりが周辺住民から情報をき出すシーンなど、「人間の扱い方」が非常に的確かつ考え抜かれており、「なるほど、こういう人はこういう風に対処するのか」と思わずうなずかされてしまいます。
 加えて、逸木裕作品の登場人物にはちゃんと過去があります。
 小説の批評などでは時折言われることですが、小説の登場人物は、たとえどんな端役であっても生きた人間です。つまり登場シーンになって突然ポッと存在を始めたわけではなく、どこかに両親がいて、どこかで子供時代を過ごし、あれこれの経験を経て成長し、然るべき理由または然るべき偶然があってその場にいるのです。たとえば生まれつき髪と目が緑色の人がいたら、その人はそれまで様々な誤解や偏見に悩まされてきたかもしれません。黒く染めてカラーコンタクトをしていた時期もあるでしょう。そこを考慮すれば、たとえ小説内では初登場で、主人公にとっては初対面であっても、主人公に「綺麗な髪ですね」というふうに言われたら、それに対する受け答えは慣れきってルーチン化しているはずです。そういう「物語外での時間の積み重ね」が、藍葉とみどりの二人からはにじていて、そこが人物造形に説得力と厚みを生じさせています。その厚みは「リアリティ」という形で読者を物語にのめり込ませ、二つの別世界へ連れていってくれるでしょう。
 本作は文庫化され、よりリーズナブルになりました。てのひらサイズで、いつでもどこでも可能な別世界への旅。しかも単純な人探しかと思いきや、進むにつれてどんどん不可解なことが判明していき……というワクワクの旅。やはり小説は最強のエンターテイメントだな! と、読者に思わせてくれる一作です。

*1 傾向も何も、自分本体に自信がないから小説家をやっている、というやつが多い。
*2 おついち
*3 西にししん(NISIOISIN)。
*4 都市伝説。
*5 都市伝説。「中山七里」は川沿いの地名で、谷川の両側にすごい形の岩が続く景勝地。

作品紹介



星空の16進数
著者 逸木 裕
定価: 858円(本体780円+税)
発売日:2021年12月21日

どうして私を誘拐したんですか――? 色鮮やかな青春ミステリ。
17歳でウェブデザイナーとして働く藍葉のもとを、私立探偵のみどりが訪ねてきた。「あるかた」の依頼で藍葉に百万円を渡したいというのだ。幼い頃に誘拐されたことのある藍葉は、犯人の朱里が謝罪のために依頼したのだと考え、朱里と会わせてほしいとみどりに頼む。藍葉は、誘拐されたときに見た色とりどりの不思議な部屋を忘れられずにいた。風変わりな人捜しを引き受けたみどりは、やがて誘拐事件の隠された真相に辿り着く。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321911000194/
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