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レビュー

ベネディクト・カンバーバッチ主演映像化作。兄弟という運命で結ばれた男たちの物語――『パワー・オブ・ザ・ドッグ』 トーマス・サヴェージ著 文庫巻末解説

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
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パワー・オブ・ザ・ドッグ』 トーマス・サヴェージ著 文庫巻末解説

解説
みつはし あきら

 二十世紀のアメリカ文学に明るい読者でも、トーマス・サヴェージの名前はご存じない方がほとんどではないか。その作品が翻訳紹介されるのは今回が初めてのようだが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』というタイトルを思わず熟視する読者もあるだろう。
 原題はThe Power of the Dog で、旧約聖書に収められた詩篇(宗教詩集)からとられている。その詩の一節は、一五○篇からなる詩篇の二十二番目のものでござというぜつは、日頃より海外のエンタテインメント文学に親しんでおられる読者諸氏にはいまさらだろう。なぜなら、タイトルそして巻頭言エピグラフまでが同じドン・ウィンズロウの『犬の力』という作品を既にご存じのはずだからだ。
 ご承知のとおり『犬の力』(二〇〇五年)は、『ザ・カルテル』(一五年)、『ザ・ボーダー』(一九年)とともに、人生の三分の一を費やしたというウィンズロウひつせいの三部作だが、べいぼく国境を挟んだ果てしなき麻薬戦争の宿命を負った二人の男の物語だった。そして、この『パワー・オブ・ザ・ドッグ』もまた、兄弟という運命で結ばれた男たちの物語なのである。ウィンズロウが本作を読んでいたという傍証はないが、その可能性を思うとなんとも興味をそそられる。


パワー・オブ・ザ・ドッグ
著者 トーマス・サヴェージ訳者 波多野 理彩子
定価: 968円(本体880円+税)


 快活で賢いフィルに対し、物静かなジョージは堅実だが要領が悪かった。二歳違いのカウボーイの兄弟は、東海岸ボストンの有力な一族バーバンク家の一員だったが、西部で牧場主として成功した父の後を継ぎ、まるで双子のようなチームワークで牧場を切り盛りしていた。しかし一九二五年、夏。二人は、牛追いで訪れたビーチの町で、食営む寡婦のローズとその一人息子ピーターに出会う。それが彼ら四人の運命を大きく狂わせていく。
 作者のトーマス・サヴェージ(一九一五さ二〇〇三)は、カウボーイや溶接工、鉄道員等の職を経て、一九四〇年代半ばからはきようべんをとりながら小説を発表し、六七年にこの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』をじようしする。商業的な成功には至らなかったが、〈ニューヨーク・タイムズ〉はギリシャ神話と比較して論じ、評論家はサヴェージの最高傑作と評した。
 作中に州の名前はないが、合衆国中部を流れるミズーリ川の源流が近く、近隣をノーザン・パシフィック鉄道が走り、ユタの州都ソルトレークシティーまで三百キロほどと説明されている。舞台となる大牧場は、作者自身が多感な時期を過ごしたモンタナ州南部だろう。
 やはり作中に登場するユタ州のソルトレークシティーでサヴェージは生まれたが、二歳の時に両親は離婚し、少年時代を母親やその再婚相手とともにモンタナ州南西端ビーバーヘッドの牧場で過ごすことになる。そこで母がアルコール依存に陥るのを目の当たりにし、自身も親元を離れ高校生活を送らねばならなくなった。『パワー・オブザ・ドッグ』からは、そんな自伝的な要素もかい見える。
 乏しい情報をネットであたると、サヴェージはウェスタン作家と呼ばれている。このウェスタンとは、先住民を仮想敵としたり、強盗と自警団の闘いを活劇調に描く大衆娯楽の西部劇ではなく、ヨーロッパからの移民による西部開拓の時代をとらえたフロンティア文学全般のことで、サヴェージをその書き手のまつえいと位置づけての呼び方なのだろう。

 それらの西部小説ウ エスタンの主な時代背景は、植民地域フ ロンテイアの消滅を国が宣言した十九世紀末までだが、以降もカウボーイたちは西部の各地で牧畜業に携わった。また、開拓の被害者たる先住民の苦難の歴史も同様に続いていったことが、本作にある先住民親子のエピソードからもうかがわれる。
 一方で二十世紀に入ると時代が激変したのも事実で、作中人物の口の端にものぼるように、欧州の戦争を終わらせる名目で第一次世界大戦に参戦したウッドロウ・ウィルソンや、大戦後の目覚ましい経済成長を後押しした寡黙なカルビン・クーリッジら時の大統領が率いる狂騒の二○年代ローリング・トウエンテイーズへ突入する。ジョージが口にする〝人は時代とともに変わるべきだと思うよ〞は、そんな時代の流れを踏まえているが、移りゆく世の中にいらつ兄フィルへ従順で心優しい弟からの数少ないさとしの言葉でもある。
 フィルは一種の超人で、めいせきな頭脳に加え、音楽や美術の才にも恵まれている。ジョージをからかっては笑いものにしているが、実は弟を深く理解し、大切に思っている。彼はローズとジョージの接近に、危機を本能的に察知する。実は、兄のこの不思議な力こそがタイトルにもある〝犬の力〞であり、フィルはローズの息子ピーターに理不尽ともいえる嫌悪感を募らせていく。
 しかし差別意識の根底には恐怖心があると言われるように、なよなよと女性的に映っていた少年に気骨のようなものをいだすにつれ、フィルの唯我独尊な生き方は揺らぎ始める。事ある毎にフィルが郷愁をこめてふり返るブロンコ・ヘンリーという人物の思い出が、実は彼をおびえさせる過去のきずあとではないかという疑惑が読者の心にも芽生えていく。
 そこからの展開をやや唐突に思う向きもあるやもしれない。しかし改めて冒頭に立ち返り、読み返していただければ、そのさりげない描写の中に、ひそかに、しかし丁寧に不穏の種子がかれていたことに気づく筈だ。読者は、作者の周到なたくらみに舌を巻くだろう。
 この知られざる犯罪小説の秀作が、再び注目されるきっかけになった映画化の話にも触れておく。原作の男らしさ、ノスタルジア、裏切りのテーマに心を奪われたというジェーン・カンピオン監督(『ピアノ・レッスン』)が、フィルにベネディクト・カンバーバッチ、弟の妻ローズにキルスティン・ダンストを配した映画は既に完成し、今秋のヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミアを待つばかりとなっている。権利を有するNetflix での配信も含め、目に出来る日を楽しみに待ちたい。

作品紹介



パワー・オブ・ザ・ドッグ
著者 トーマス・サヴェージ訳者 波多野 理彩子
定価: 968円(本体880円+税)

ベネディクト・カンバーバッチ主演映像化作。ラスト4行に驚愕!
「『エデンの東』や『ブロークバック・マウンテン』を髣髴とさせる」(ガーディアン紙) 、「時と場を完璧に再現し思い起こさせる」(ボストン・グローブ紙)と各紙誌で絶賛。
ジェーン・カンピオン監督、ベネディクト・カンバーバッチ、キルスティン・ダンスト主演でNetflixでの映像化が決定。

1920年代、モンタナ州。快活で賢い兄フィルと地味な弟ジョージは牧場を共同経営する裕福な兄弟だ。ジョージの前に不幸な初婚を経たローズが現れ、二人が結婚したことで、家族に亀裂が入ってゆく。露わになる本心、剥き出しになる人間の弱さ、立ちはだかる西部の論理。そして物語は、衝撃の結末を迎える!美しい大自然のなか、アメリカ社会のタブー、飲酒・人種差別・同性愛に斬り込み、世界の絶賛を得た幻の名作、本邦初訳!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000244/
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