文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『花嫁化鳥』寺山修司著 文庫巻末解説
解説
馬場あき子
「花嫁化鳥」という本の題名は
この本の中にも同題名でかかれた指宿紀行の一章があるが、その中で寺山さんは「花嫁」なるものについて、「結婚はきらいだが、花嫁と新婚旅行は好きだった」といっている。なぜかというと、「結婚には、日常性がつきまとうのでわずらわしいが、花嫁とか新婚旅行は虚構だからである」ということだ。
日本人が「花」ということばをどういうときに意識的につかうかを考えてみるだけでも、そこには憧れや理想とともに、
少し執していえば、花嫁は鳥になって空へ
「きんらんどんすの帯しめながら/花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」という感傷性を、寺山さんは「少女時代からあこがれた花嫁になってしまった。(つまり、もう二度となることができないのだ)という、悔悟が感傷になっている」と見ぬいているが、憧れを得てしまったあとにつづくのは、当然、長い不毛な日常という恐しい
寺山さんのシナリオ『田園に死す』にも、たしか「化鳥」という美しい本家の嫁が登場していた。八千草薫の
まだ二十二、三歳で、うら若く少年のようにさえみえた日の寺山さんは、「叔母はわが人生の脇役ならん手のハンカチに夏陽たまれる」とうたっていたが、私は八千草薫の化鳥をみながら、この花嫁化鳥こそ寺山さんの脇役の「叔母」にちがいないと思いつつ、「夏陽たま」るのみのハンカチの白さが、その役割ににじむのをみつめていた。
考えてみると寺山さんはその頃から「家族」とか「血縁」というものに大きな関心を寄せていた。それは父とか母というような自己の出生・出自の確認に一つの文学的な主題をみていることとともに、その人生の脇役としての、無数の叔母、叔父、いとこたちの存在が、自己の存立とどのようにかかわるかという血の分脈を明かすことこそ、日本文化論を成立させる要因であることを考えていたのではなかろうか。
その寺山さんが、二十年も昔になるが、私の歌集の出版記念会で発言したことばを、私はいまも覚えている。それは、「ぼくと馬場さんの歌とは、いわばいとこのようなもので」というものだった。このことばを覚えているのもその「いとこ」という
たとえば寺山さんは「消しゴム」という自伝抄をかいているが(これは同じ題の映画作品も感銘深かった)、鉛筆でかいた文字や絵を、たやすく消してしまえる消しゴムのように、不用になった係累や、憎い存在を、すうっと消してしまう人生の消しゴムはないものだろうか。消して、消して、消したあとにひっそりと残るひとりの「私」、それだけでは、はたして本当に世に存立することは不可能なのだろうか。そんな連想が感傷的に心にしみる寺山自伝であった。しかし、その寺山さんは、子供の日々に遊んだ「家族あわせ」の温かげな噓を憎しみながら、切るに切れないふしぎな
それは寺山さんの生きた風土のせいだろうか。その故郷の青森をいま辺境というわけにはいかないが、しかし、寺山さんの記憶する「ふるさと」はその思想の上で、必ず文化的辺境性をそなえておらねばならず、この『花嫁化鳥』一冊を構成する旅のゆくえも、すべてこの辺境性と辺境的文化として意味をもつ祭りの場の探訪となっている。
たとえば、洩れることなくゆきわたった血族関係の血の
そして、寺山さんの心は、そうした血の歴史に、遠い血族の
かつて寺山さんは『戦後詩』の中で、「歴史と地理の思想」について述べていたが、昭和四十年以降の寺山さんの仕事の中で、その「歴史」というたての時間、連続の時間への嫌悪とふしぎな執心は、たとえば「あとがき」にかかれた「──歴史は一つの連続体としてではなく、ただの現在としてのみ存在している。そして去りゆくものは、一瞬にして消失し、何者かの手によって虚構化されない限り、再現することはないのだ」というところにも、一つの結語となってあらわれているといえる。
そして、そうした、たての時間の存続、寺山さんを証言する歴史そのものとしての最も一般的な虚構を、寺山さんは本書の中でもかなり
そしてまた寺山さんは、因習や祭りや、文化史的になお収拾のつかぬほどの困惑的な情況にも、時には思想を与え、時にはその中から現代の
「風葬大神島」は宮古島の北端に位置する小島の習俗をつぶさに見つつ旅した紀行だが、島には
寺山さんはこの島の崩壊を防いでいる秘密な神事について、「それについて語ることを禁忌としていること自体、神秘化しようとするものではなく、外的干渉によって因果的連鎖がくずれることを恐れているせいではないか、と考える」という、組織論的見地から、原初的集団精神の秘事を
しかしながら、寺山さんはそのまっとう性の根っこと、異常な形態を通して異次元へと昇華してゆく祭りの情念とが通底していることをこそ日本文化論の正の位置を探る視座であると考えているにちがいない。だからこそ、寺山さんが、この大神島の子供たちが日没の頃に「かくれんぼ」をしてあそぶ、と指摘するだけで、我々は「かくれんぼは悲しいあそびである」ことを納得するのであり、「外来者の侵略を潜在化したこの島の子どもたちのかくれんぼは、実に見事にかくれてしまう」ことに、逆に不安なおそれを感じるのであろう。
そして、「トーヤマの洞窟で焼き殺された島の祖先は、かくれ方がうまくなかったから皆死んだ。だが、子どもたちは息をころし、一度かくれたら、月が出るまで姿を見せないのだ」という
つまり、寺山さんにおいて、習俗としての奇矯、人としての
それにもう一つ、寺山さんの詩は、すべて実画化された人生に特色がある。女相撲とか福助というような、いまは寺山さんの作品記号とさえ感じられるものもあるが、本書を通じてどれだけ多くの、
作品紹介
花嫁化鳥
著者 寺山 修司
定価: 748円(本体680円+税)
最も“カッコイイ”文学者が描く、型破りな紀行文!
稀代の文学者・寺山修司が旅した日本各地に存在する不可思議な世界。
自らの手で集めた資料をもとに、奇妙な風習の謎を解き明かしていく。
日本人の血の原点を探った、寺山流のユニークな紀行文学。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000329/
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