文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』【文庫巻末解説】
解説
池 澤 春 菜
白状します。わたし、本書を、寝かせ玄米ならぬ寝かせ小説させました。
一章目を読んで、これは今すごいものを読み始めたのでは? とドキドキが止まらず、一気に読むのが惜しくなって数日、寝かせました。大好物のお菓子が詰まった箱をちらっと開けては閉めるように何度もゲラの束を
今、感無量です。
サラリーマンの
そのままホラーの世界に入るかと思いきや、誠一の元に届いた一通の手紙をきっかけに物語は思わぬ展開へ。
誠一があれだけ帰ろうとしていた元の世界は、今や〈未知なるもの〉、空を覆う〈未解明気象〉によって、ディストピアと化していました。「白い
この絶望的な事態を解決できるのは、誠一のみ。誠一の意思一つに、世界の命運がかかっていました。
物語は、両極を行き来しながら進みます。
〈未知なるもの〉の内と外。
取り込まれること。取り込むこと。
現実と夢。
章によって視点がくるくると翻り、立場も、考え方も、善悪も変わっていく。
内を守ろうと戦う誠一、外を守ろうと戦う
その均衡が崩れ、境を越えて外が内に
あなたがこの物語を最後まで読んでいたとして、この結末は
物語は、両極を行き来しながら進みます。
〈未知なるもの〉の内と外。
取り込まれること。取り込むこと。
現実と夢。
章によって視点がくるくると翻り、立場も、考え方も、善悪も変わっていく。
内を守ろうと戦う誠一、外を守ろうと戦う
その均衡が崩れ、境を越えて外が内に
あなたがこの物語を最後まで読んでいたとして、この結末は
トロッコ問題という古典的な命題があります。
トロッコが故障し、制御不能となった。あなたは線路の分岐点の側にいる。このままトロッコが進めば、線路上にいる五人が死ぬ。だけど、あなたが分岐を操作すれば、死ぬのはもう片方にいる一人だけで済む。五人を救うために一人をひき殺すか。それとも運命に介入することを拒み、そもそも死ぬ運命にある五人をそのままにするか。
もしくは、あなたはそのトロッコに乗っている。このまま進めば線路上にいる五人をひき殺す。だが進路を変えれば、トロッコは
五人を救うために一人を犠牲にするのは、表向き、正しいように思えます。でも、もしその一人が大科学者で、人類に恩恵をもたらす素晴らしい発明を数多くなしていたら? 五人が生きている価値もないような悪人だったら? あなたのトロッコに、あなたが愛する人が一緒に乗っていたら?
この問題をSF的に描いた名作が、アーシュラ・K・ル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」です。誰もが幸せに暮らす街、オメラス。ここに住む人々は美しく、高い知性と理念を持ち、平和と繁栄を
一人の不幸の上に成り立つ、大多数の幸福。
たった11ページの短編ながら、読んだ人の胸に忘れられない印象を残す短編です。
もしくは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』。16歳の誕生日、両親からプレゼントされた小型宇宙船を改造し、一人で宇宙へ飛び出したコーティー。彼女が道中で拾ったメッセージパイプには、シロベーンと名乗る心優しき生命体が付着していました。はからずも彼女の脳に寄生したシロベーンと大の仲良しになったコーティー。でも、事故によって親から引き離され、宿主との共存方法を学ぶことができなかったシロベーンは、本能を抑える
あるいは、トム・ゴドウィン『冷たい方程式』。
個人的には、この問題には答えを出してはいけないと思っています。幸・不幸はグラデーションで、どこかで線を引くことはできない。大勢のために一人を犠牲にすることも、一人のために大勢が犠牲になることも、きっと、どちらも等しく正しく、等しく間違っている。
それぞれの心の中にオメラスを置き、考えること。その問題に向き合い続けるしか、道はないと思うのです。
だからこそ、SFです。
SFはサイエンス・フィクションであり、またスペキュレイティヴ・フィクション、思弁小説でもあります。様々な設定で現実とは異なる世界を描き、推測を深める、いわば小説で行う実験。今、現実にある問題を、IFで
本作『滅びの園』は、そんな思弁SFの系譜に連なる、新たな名作になるでしょう。
作者の恒川光太郎さんのことを少し。
恒川さんは1973年東京生まれ。2005年、
異世界に飛ばされ、10個の願いを
少し不思議(これも〝SF〟ですね)で、
第9回
「滅びの園」とは、誠一のいた想念の世界のことだったのか。それとも、聖子たちのいる地球のことだったのか。
滅びる園なのか。滅ぼす園なのか。
異なる価値観全てを
物語に取り残されたわたしたちは、この園を心の内に抱え、自分だったらどうするか、考えながら、生きていきましょう。
作品紹介
滅びの園
著者 恒川 光太郎
定価: 792円(本体720円+税)
わたしの絶望は、誰かの希望。
ある日、上空に現れた異次元の存在、<未知なるもの>。
それに呼応して、白く有害な不定形生物<プーニー>が出現、無尽蔵に増殖して地球を呑み込もうとする。
少女、相川聖子は、着実に滅亡へと近づく世界を見つめながら、特異体質を活かして人命救助を続けていた。
だが、最大規模の危機に直面し、人々を救うため、最後の賭けに出ることを決意する。
世界の終わりを巡り、いくつもの思いが交錯する。壮大で美しい幻想群像劇。
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