文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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(解説:山室 静 / 訳者)
ハンス・クリスチアン・アンデルセン(一八〇五─七五)が死んでから、去年(一九七五)はちょうど百年だった。それなのに、彼の〈童話の王様〉としての地位は、相変わらず少しも動かない。この百年の間には、多くのすぐれた文学者が出たけれど、童話の世界では、彼の地位に取ってかわるほどの作家が、ついに出なかったわけだ。また、今後もそれだけの童話作家は、なかなか出ないことだろう。それほどに童話作家としてのアンデルセンは、唯一無二の存在と言える。
デンマークのフューン島のオーデンセの町の、貧しい靴屋の息子として生まれた彼が、父には早く死なれ、小学校にもろくろく学ばずに、十四歳で都コペンハーゲンへ飛び出してから、どんな苦労をして作家の道にすすみ、ついには世界じゅうで愛読される童話作家にまで成長したか。それは簡単に話すには、あまりに長く、そして
彼の童話が人の心に深くふれてくるのは、つまりは彼が、そういう自分の苦しくもまた楽しかった生涯で体験したことを、すべて自分の童話の中に投げこんだからだと言えるかと思う。だから彼の童話は、決して子供が読んで楽しくおもしろいだけのお話でなく、人生の悲喜をたっぷりと味わった大人たちをも、十分に感動させるだけのものを秘めているのだ。でなくて、どうして〈童話の王様〉とたたえられ、その作が長い生命をもつことができようか。
この文庫版アンデルセン童話集は、彼が生涯に書いた百六十篇ほどの童話の中から、名作とよばれるものをよく吟味してえらんで、三冊にまとめた。ここに
作品は、創作年代順にならべ、それを三冊に分けたのだから、それぞれがほぼ、初期、中期、後期の代表作集になっている。
この巻は、その初期代表作集のわけだ。彼が童話に手を染めたのは、三十歳の年に、有名な長篇小説「即興詩人」を出したのに続いて、「子供のための童話」第一分冊を出したのが最初だった。この年から、三十八歳で出した「新童話集」第一分冊にいたる期間の主だった作を、ここには十二篇収めた。
「火うち箱」「大クラウスと小クラウス」「まめつぶの上にねたお姫さま」「イーダちゃんの花」の四篇は、最初の童話集から取ったものだ。この童話集は、六十ページばかりのパンフレットで、収めてあるのはこの四篇だけだった。しかも、そのうち三つは民話を書きあらためたもので、アンデルセン自身の創作は「イーダちゃんの花」だけだった。つまり未来の大童話作家も、当時はまだ手さぐり状態で、童話を書くにあたっても、小さい頃に祖母などからきいた昔話を、いくらか自分流に書き直すことから始めたのであった。それらは、なかなかみごとに再話されているけれど、なにしろ昔話を再話したものだから、すべてがアンデルセンの手柄とも言えないし、のちのアンデルセンの名作から見れば、きめも荒いところがあった。──そこにまた、のちの作に見られない野性味もあって、全体としてのアンデルセン童話の幅を広げているのだけれど。
そんな中で「イーダちゃんの花」は、彼がはじめて書いた純創作童話として注目される。ここには童話におきまりの魔法つかいやお姫様も出てこず、ふつうの少女の日常生活と夢が扱われているだけだ。こんなありきたりの材料だけで一篇の童話を書くというのは、現代ではそうめずらしくもないが、当時としてはずいぶん大胆なことだった。世界ではじめてアンデルセンがやったことだといっていいかと思う。昔話とか童話といえば、必ずのようにしてお姫様とか魔法つかい、さては竜とか
ただ、作品そのものは、かわいらしい作だけれど、そう名作だとも、アンデルセン童話の特色を出した作とも言えないかと思う。その点の説明は略すが、少し後の「小さい人魚姫」や「ヒナギク」と読みくらべれば、おのずと理解できるかと思う。一口で言えば、人生の表面で軽く戯れているだけで、真実に迫ってはいないからだ。
「親指姫」は続けて出た「子供のための童話」第二分冊にのっている作で、彼の創作童話の第二作だ。これも愛らしい作で、彼の代表作の一つに数える人もあるが、私に言わせれば、作者はまだ真の童話の道をさぐりあててはいないと思う。主人公の親指姫の歩みに、内的必然性がなく、誠実さも認められないからだ。
それで、この頃までのアンデルセン童話は、あまり評判がよくなかった。「『即興詩人』のような立派な作の書ける人が、なぜ子供だましの童話などを書くか」などと非難されたりした。それでアンデルセンも、しばらく童話を書くのをあきらめて、小説に打ちこんで「O.T.」とか「しがないバイオリンひき」などを書いていた。
しかしアンデルセンはやはり天成の童話作家だったから、またぞろ童話が書きたくなってきた。どうしても書かずにはいられないテーマもあった。こうして取りかかったのが「小さい人魚姫」で、彼はこれを書きながら幾度も涙を流したという。これはデンマークの古い民謡からヒントを得たものだが、彼がその中に盛りこんだのは、むしろ自分がそれまでに味わった二度の失恋の苦しい思いと、愛とはいったいどういうものかという真剣な思索の結果であったと言えるかと思う。彼はこの作を書く前にも、同じような材料を用いて「アグネーテと人魚」という詩劇を書いている。それは彼がルイーゼ・コリンに思いを寄せて失恋に終わった苦い思いから立ち直るために、心こめて書いた作だったが、作者の中にはまだ不純なものが残っていたためか、この作では主人公たちは、満たされざる愛のために両方とも不幸なままに終わっていた。ところが、この作の人魚姫は、自分の愛が報いられないのを悲しんで、一旦は王子を殺そうとまで考えるのだが、最後に短刀を投げすてて水の泡になるつもりで海にとびこむ。そこに不死の魂へ近づく道が
それまで、自分の恋が相手によって受けいれられぬことに恨みがましい気持ちをもち、いわれなく自分が人生から虐待されているという不満を抱いていたアンデルセンは、この作を書いてから、ずっと明るく広々とした世界に出ることができた。世間もこの作を見て
「はだかの王さま」はスペインの古い物語を書きあらためたものだが、これも名作として大変有名になった。原作では、黒んぼの馬丁が王様の裸のことを指摘するのだが、アンデルセンはそれを無邪気な子供の口から叫ばせることで、原作よりもずっと感銘の深いものにすることができた──子供の声は言わば天の声だからだ。
その後の「ヒナギク」などの五篇は、いよいよ童話作家として油ののってきた作者のいずれおとらぬ名作であって、特に言うことはない。このころアンデルセンは、仲のよかった先輩詩人のインゲマンに、こんな手紙を書いている──。
「このごろでは僕は、僕自身の内部に見入って、もっと年とった人々に向くアイディアを見つけ、そしてそれを子供に話すつもりで書くのです、父母も聞いていることを頭に置きながら。彼らにだって少しは考えることを与えてやらなくてはいけませんからね。材料はいくらだってあります。時々、すべての垣根、すべての小さい花々が、『ちょっとこっちを見てよ、そしたらあなたには私の話がわかりますよ!』と言うような気がするほどです。そこで僕が、そちらを見ると、それでお話ができるのです」
彼が子供のためばかりでなく、むしろ大人のために童話を書いていること、見るものすべてが童話になるほど、童話文学の秘密をつかんだことが、この手紙からは読み取れるだろう。
「ヒナギク」「しっかりもののすずの兵隊」「仲よし」などは、そんなふうにして、土手に咲いていたヒナギクや、玩具のすずの兵隊やコマとマリやらを見て、たちまちにできた作だ。ついでに言えば、この「仲よし」には、久しぶりに訪ねてきた昔の恋人リボア・ヴォイグトへの、作者の幻滅感がにじみ出ているとされる。
「野の白鳥」はデンマークの昔話を書き直したもの、「ナイチンゲール」はスエーデンのナイチンゲールと呼ばれた歌姫イエンニイ・リンドとのめぐりあいから生まれた作。やがてイエンニイも彼の愛情を受け入れることを拒んで、アンデルセンに苦い思いを味わわせるのだが、この作を書いた当時は、ひたすら彼女の清純と素朴を
一九七六年二月
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