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快楽殺人の悪夢、偏愛、運命の残酷…巻き込まれてゆく人間たちを描く傑作集『角の生えた帽子』解説

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:あさみや うん / 書評家)

 デビュー作には作家のすべてが詰まっている、とはよく言われることである。もちろんあくまで一般論に過ぎないが、本書の著者・まことに関して言えば、この法則は見事に当てはまっているようだ。

 著者のデビュー作は、二〇〇六年に第一回『幽』怪談文学賞・短編部門大賞を受賞した「るんびにの子供」。家庭を顧みない夫と息子の肩を持つしゆうとめに悩まされていた主人公が、幼い頃から目にしていた幽霊の存在によってひそやかなふくしゆうを果たす、という怪談小説である。同賞の選考委員の一人であったひがしまさ氏が「現代的なホラーサスペンスと怪談との融合」と評したこの作品は、主人公の周囲に現れる異界の少女以上に、登場人物たちのどす黒い感情に恐怖のポイントが置かれていた。

 私たちは誰しも、他人には知られたくない秘密の感情を抱いている。ずるさ、どんよくさ、意地悪さ、我が身可愛さ──。普段はそうした感情を隠しながら社会生活を営んでいるが、ふとした瞬間、それがあらわになってしまうことがある。平凡な市民の抱く悪意を扱った「るんびにの子供」以来、著者が飽くことなく描いているのは、心のふたが開いた瞬間に生まれるぎりぎりの人間ドラマなのだ。


書影

宇佐美まこと『角の生えた帽子』
定価: 748円(本体680円+税)
※画像タップでAmazonページに移動します。


 本書『角の生えた帽子』は一七年に刊行された著者の第二短編集の文庫版である(文庫化にあたって「空の旅」「赤いあざみ」「えん切り」を追加収録)。先に角川ホラー文庫に収められた第一短編集『るんびにの子供』によって宇佐美ホラーの面白さに開眼した読者はもちろん、普段あまりホラーに縁のない人にも自信をもっておすすめできる、クオリティの高い小説集だ。

 全一二編の収録作に共通して立ちめているのは、なんとも言えない不穏な気配である。たとえば冒頭の「悪魔の帽子」。電子機器の工場で働く主人公が、見知らぬ女性たちを暴行し、殺害するという夢を続けて見ている。同じ頃、北関東のある街では女性を狙った連続殺人事件が発生していた。やがて主人公は夜毎の悪夢と、報道される事件との類似に気づくようになる。

 ここで描かれているのは、ひょっとして自分は犯罪者ではないかという、アイデンティティの揺らぎである。自分のことが分からないという不安は、モーツァルトが流れるせいひつな工場、そこで組み立てられる悪魔の帽子のような部品、といった秀逸なディテールに支えられ、じわじわと高まってゆく。そしてその暗い気配は、謎が明かされてもなお消えることがない。

 あるいは「夏休みのケイカク」では、図書館でボランティアをしている五十代半ばの主人公が、本に落書きをする少女・に関心を抱く。父の再婚に複雑な感情を抱いているらしい沙良に過去の自分を重ねた主人公は、絵本の余白を利用して、沙良と文通するようになる。孤独な者たちの密やかな交流を描いた図書館ミステリー、のように見せかけて、それだけで終わらないのが宇佐美作品である。幕切れにはある人物の黒い感情が露わになり、読み手を心底ぞっとさせる。

 本文庫版のために書き下ろされた「縁切り」でも、古い一軒家で静かに暮らす主人公の心の蓋が、クライマックスで大きく開く。ミステリー的などんでん返しとともに、ひたひたと恐怖が押し寄せるストーリーテリングは堂に入ったものだ。

 それにしても宇佐美まことはなぜ、恐怖という感情を作品の中心に据えるのだろうか。その理由について、二〇一七年『愚者の毒』で日本推理作家協会賞を受賞した際のエッセイではこう述べられている。

 恐怖という感情の前では、人はすっかり裸に剝かれてしまいます。「喜び」「悲しみ」「怒り」という感情は、取り繕えますが、「怖い」という感情ではそれができません。恐怖は、隠し持った人間性を露わにする一つの装置です。私は恐怖という名のナイフで、取り澄ました人間をざっくりと切り取り、その断面を「ほらっ!」と高く掲げてやりたいのです。(「小説NON」二〇一七年七月号)

 なおこのエッセイでは「怪異そのものよりも、怪異に見舞われた人間の方に、より興味を抱く」とも述べられており、著者のホラー観の一端をうかがわせる。とはいえ「怪異そのもの」をなおざりにしているわけでないことは、花にかれた人々の不気味なエピソードを連作形式で収める「花うつけ」、悪意の象徴のような幕切れが目に焼き付いて離れない「赤い薊」などを読めば明らかだろう。描かれる怪異がリアルで、生々しい迫力を備えていない限り、人間をざっくりと切り取ることなどできはしないのだ。

「犬嫌い」は幼少期のトラウマ的体験が原因で、性行為と犬に嫌悪感を抱くようになった年上の従姉いとこみつにまつわる物語である。ツイストの効いたミステリーとしても高い完成度を誇るこの短編において、ひときわ印象的なのは行方不明になった光枝の飼い犬・ジョンが家のまわりをうろつくシーンである。鎖をザラザラと引きずり、鼻をクンクン鳴らす犬の幽霊。彼岸とがんのはざまに現れたものが、見慣れた日常に亀裂を走らせてゆく。

 さらに本書にはもうひとつの傾向がある。それは風景や土地にインスパイアされた作品が複数収録されていることだ。著者の郷里・まつやまの歴史ある女子高を舞台にした「しろやまかいわいたん」がその好例。学生時代に図書委員を務めていた語り手が、司書の女性との忘れがたい日々を回想する物語だが、城下町ならではの印象的な風景や逸話が、怪異にリアリティと奥行きを与えていく。北海道でのツーリング途中、おおをした青年の絶望と再生を描く「湿原の女神」にしても、不実な夫から逃れようとした妻が、大雪のため北陸の空港で足止めされる「空の旅」にしても、作品のテーマと風景は密接につながっていた。

 おそらく著者の感受性は、各地の風景からさまざまな物語を読み取っているのに違いない。山深い集落と東京が対比的に描かれる民話風ホラー「みどりの吐息」において、狩人かりゆうどの男が口にする「あいつらは森を離れては生きられねえのさ」という台詞せりふには、土地に根ざした物語を紡ぐ著者の実感が込められているようだ。

 暗く不穏なムードに覆われた本書において、きらりと光を放っているのは人間のひたむきさや家族愛を描いた作品である。幼い子供とともに嫁ぎ先から逃げてきた主人公が、不思議な中年女性と知り合う「左利きの鬼」では、怪異が主人公に取り憑いていた妄執を消し去り、新しい一歩を踏み出させる。架空の家族が現実を侵食してくる「あなたの望み通りのものを」も悲惨な事件を描いてはいるが、胸を打つ家族愛の物語としても読める。

 先に引用したエッセイで、著者はこうも述べている。「人間は、したたかで、弱くて、ずるくて、どうしようもなく欲深く、時に悪意や狂気に支配されます。でも、だからこそ悲しく切なく、愛すべき存在なのです」。

 人は善良ではない。しかしそれほど捨てたものでもない。そんな大きな人間観に貫かれた宇佐美作品は、人生のさまざまな喜怒哀楽を味わった大人の読者にこそ、より深い感銘を与えるものだと思う。

 デビュー短編集『るんびにの子供』以降、主にホラーや怪談を執筆していた著者は、『愚者の毒』でのブレイクを契機にぐんと作風を広げ、数奇な人の縁を扱った『熟れた月』、児童虐待という社会派的テーマに挑んだ『展望台のラプンツェル』、女性事件をサスペンスフルに描いた『黒鳥の湖』など、現代ミステリーの力作を相次いで手がけてきた。今年(二〇二〇年)六月には、がさわら諸島の歴史を背景にした壮大なスケールの力作『ボニン浄土』を発表し、注目を集めている。前作と同じものは書きたくない、としばしば語っている著者だけに、これから先どんな作品が生まれるのか予測できない。

 しかしどんなジャンルを手がけようと、恐怖によって人間のありのままの姿を描く、というスタンスに変化はないだろう。本書はそんな宇佐美作品の本質が、ホームグラウンドであり原点でもある怪談の世界で、思うさま発揮された作品集だ。極上の恐怖がもたらすカタルシスを、ぜひじっくりと味わってみてほしい。

宇佐美まこと『角の生えた帽子』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000410/


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