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レビュー

よりよく生きることに貪欲な生き物=女子が、絶望の果てにつかむものは。

 とある有名な作詞家が「ラブソングは基本的には他人の恋バナ。だから聴き手に興味を持ってもらうには、二人の関係やそれぞれのキャラクターが魅力的に見える必要がある」とテレビで語るのを、私はうむうむと頷いて聞いていた。私が幼い頃から読み続け、40年間の人格形成の立派な礎となった(私の人格が立派だとは一言も言っていない)と自信を持って言える少女漫画だって、やっぱりキャラクターに惚れたり共感したりで読む部分が大きい。物語は、読む側が没入や共感をどこかで希求してそれを手に取る以上、どうしたって「人物で読む」ものだ。

 だからこの『砂に泳ぐ彼女』を読み出した時、ああこれはしまったぞどうしたものか、と暫し天を仰いだ。主人公・紗耶加に入りたくても入り込めないのだ。紗耶加と私は6歳違いだけれど、物語がすべり出す90年代から現在にかけては、紗耶加と同じく20~30代を送った私にとっても十分に見知った世界のはず。でもそこに描かれる感情が、苦しい。なぜそこでそう反応するのか。なぜその道を選ぶのか、なぜそれに思い悩むのか。
 いや、もう少し読んだらどこかで私と紗耶加のシンクロが始まるのかもしれないと思い直して再びページを開く。なのになかなか進まない。釈然としない。悪い人じゃない、悪い人じゃないんだよ、でもなぁ。なんだろう、この頭の奥底に澱のように堆積する疲労感。むしろその感覚の正体を知りたい、正体を見なければならないという一種の使命感に駆られて、気持ちを引きずりながら読む。苦しい。

 頭を抱えながら、いっそ酔いの助けを借りようと近所のカフェへ移動し、お気に入りの無精髭に眼鏡のイケメンにワインを運んできてもらって、7割ほどまで読み進んだだろうか。紗耶加が恋人の圭介に放った一言で、それまでのあらゆる疑問と違和感が劇的に氷解した。
「あなたは、いいわね、弱くて」
「弱い顔をして、そうやって誰かにすがって、助けてもらいたいって言い続けていれば、自分は頑張らなくて、闘わなくてよくて」
 ああこれだったのだと、飛鳥井さんがあの重たく引きずるような経過を丹念に描きこんでまでして到達したかったのは、この瞬間のこの紗耶加のことばだったのだと腹落ちしたら、それまで憂鬱に啜っていたワインが格段に美味しくなった。
 途端に、飛鳥井さんの筆致は紗耶加と読み手の解放に呼応したかのような軽さとスピードを得る。ことばが確信を深める。「自分の生き方を引き受けた」紗耶加は一筋の遠慮もなく成長し、それまで多用された「萎えた」気持ちには生きた感情がみるみる漲り、大人の女性として確かなありようへと歩き出していく。
 そうだ、紗耶加があのことばを発するに至るまで、彼女は砂を泳いでいたのだ。道理で、苦しかった。24から30過ぎという、現代の女にとって一番いい時期のようでいて、その実苦しくてたまらない時期を紗耶加が砂の中でもがくのを、読み手は追体験したのだ。あの澱のような、引きずるような疲労感は、果てしない砂をかき分けて泳ぐ、私たちの窒息と絶望の予感だったのだ。ああ、息ができる。

「どうしてこんなに頑張っているんだろう」。これは私たち「女子」に共通の、そして永遠の問いなのかもしれない。誰にそうしろと教えられたでもなく砂に泳ぎ続ける紗耶加が、ごく普通の女の子からプロの表現者としての自分を手に入れるまでのおよそ10年間の感情の動きを、飛鳥井さんは驚くほどの正確さで追っていく。非正規/正規労働の問題や男女のどうしようもない非対称性の間にキラリと光を帯びて顔を出す、他者と分かり合う喜びや表現の歓び。就職で世間に放り出された女子が、なんと小さく弱く、混乱した存在であるか。なぜそんな吹けば飛ぶように軽い存在でありながら、それでも頑張るのか。そして驚くほどの強さを身につけるのか。女子とは、よりよく生きることについてどこか貪欲な生き物なのだ、とふと思った。それが「強靭な方の性」、女子であるということなんだ。

 飛鳥井さんと私は、横浜の同じシェアオフィスでデスクを近くに並べる者同士だ。同じ字を綴ることを稼業としている人間ではあるけれど、私はライターでコラムニスト、短文書きを生業とする。小説家、と名乗る人を目の前で見る経験の少ない私はワクワクした。
 初めましてよろしくお願いします、と小柄な彼女は礼儀正しくペコリとお辞儀をし、大柄な私は脈絡など無視して「あのっ、小説ってどうやって書くんですか?」と不躾に訊いた。お互いの瞳には、文字で表現する人間というものへのポジティブな好奇心が映っていたように思う。名前の中に鳥を持つ人だからなのか、第一印象でまるで小鳥のような人だと思った。なぜだか瑠璃色の羽なんか持っていそうに見えた。さらに理由は謎を極めるが、英語でバードと言うよりフランス語でロワゾーだと思った。
 いちど隣同士に座って飲んだ時、「育ちの良い人が好きなんです」と朗らかに語る飛鳥井さんに、なるほどこの人の表現の性質もまた、その美意識で説明できるのだと知った。「妄想が強いんです」と断固とした調子で言う彼女は、何かに心動かされた時、場面の中で人物たちが動き始め、自然と物語が紡ぎ上げられていくのだそうだ。私は心が動いた時に見えるものは「場面と人物」ではないし、流れる文章は「物語」ではないなぁ、だから小説は書けないのだな、と、その晩はハイボールを啜った。同じ対象を見ていたとしても、彼女の目に映るものは私の目に映るものとは違っている。小説家という人々の頭の中をちらりと見せてもらった気分だった。
 飛鳥井さんのキャリアと紗耶加のキャリアは、どこか似る部分もある。もちろん物語の端緒とは常に創作者の視界のどこかなのだから、経験的な何かが多かれ少なかれ反映するのは当たり前のことだけれど、紗耶加の心が動き続けた10年に、もしや飛鳥井さんの女子としての10年のいくぶんかが見えるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
 とはいえ、それまではただ混乱していた紗耶加の感情に30を過ぎてから「哀しみ」「怒り」と明確な名前がつき、それと同時に、自分が求めているものを理解し自己の手綱を握っていく過程は、それを経験した者でなければ書けないことだ。カフェでグラスに残ったワインを飲み干して、無精髭と眼鏡のイケメンに今度は細い泡がするすると立ちのぼるスパークリングワインを一杯頼み、私も40オーバーの女子としてはるか昔に思い当たることがあったようななかったような、そんな記憶を手繰り寄せている。

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