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レビュー

廃校寸前の高校で、彼女ができない凸凹男子4人組はハンドベル部を始める『誰がために鐘を鳴らす』

 本書の冒頭近く、重ねた脚にノートパソコンを載せ、カチャカチャと忙しく打つ女性のすらりとした脚を、下校途中の錫之助すずのすけがちらちら見る車内シーンが出てくる。それを見ながら級友の土屋つちやと錫之助の会話は続く。錫之助にはカノジョがいないこと、高校の二年間で母親以外の女と会話したことがないこと。一方の土屋も、カノジョがいないのだが、知り合うチャンスを作るためにアルバイトを始めたこと。しかしバイト先はおばさんばっかりであること。その二人の会話の中に、土屋の働く場所が「北口に友々家ゆうゆうやがあんだろ。あそこ」と出てくる。ここで思わず、「おお」と思ってしまった。案の定、少し読み進むと、目の前のすらりとした脚の持ち主が、「友々家フランチャイズ事業部 霧賀きりが久仁子くにこ」であることが判明する。
 この女性、実は『店長がいっぱい』に狂言まわしとして登場したヒロインである。『店長がいっぱい』は丼チェーン友々家の七人の店長が奮闘する日々を描く連作集で、霧賀久仁子は各短編を繋ぐ人物だ。三十一歳独身、店長が店の運営に悩んでいると電話一本で飛んでいき、居酒屋であれこれ愚痴を聞いて一緒に悩み、具体的な提案をする。それがこのヒロインの仕事である。仕事が出来るので敵も多いが、慕う人も多く、とても味のあるヒロインだった。読み終えたあともずっと強い印象を残している。この霧賀久仁子を主人公にした続編を読みたいと、当時の新刊評に書いてしまったほどなのである。それがちらりと本書で登場したのだから、嬉しい。
 本書を語る前に少しだけ遠回りをするが、『ある日、アヒルバス』のバスガイド、デコちゃんが『芸者でGO!』にわき役で登場するなど、山本幸久の作品にはこういうケースが少なくない。そのなかでもいちばんは「凹組クロニクル」だろう。これは私が勝手に名付けたものだが、『凸凹デイズ』に登場する面々がさまざまな作品に登場しているのである。本家本元の『凸凹デイズ』は小さなデザイン事務所を舞台にした長編小説で、山本幸久に傑作は数多いが、私がいちばん愛している小説だ。このラスト近く、バイクに乗って現れたゴミヤが真っ黒なヘルメットをかぶったまま事務所に現れるシーンはいまでも強く印象に残っている。こんなふうに書いたって未読の方には何のことだかわからないかもしれないが、時間があればこの傑作をぜひお読みいただきたい。
 たとえば『渋谷に里帰り』だ。主人公が元カノに電話するシーンでゴミヤが登場する。このときは声だけの登場だったが、『展覧会いまだ準備中』でも主人公の元カノとして一瞬だけ登場(ゴミヤはいったい何人の男と付き合ったんだ。ま、モテるのはわかるけど)。『カイシャデイズ』ではデザイナーの黒川がギャラとしてガリガリ君を一日二本ずつ要求する男として登場するし、結婚式場で働く女性を主人公にした『寿フォーエバー』ではなんとデザイン事務所凹組の面々が総出演する。お断りしておくが、すべてわき役というかあるシーンだけの登場なので、それが凹組のメンバーであることを知らなくてもそれらの作品の鑑賞の妨げにはならない。各作品はそれぞれが当然ながら自立しているので、そんなことを知らなくても十分楽しむことが出来る。山本幸久の愛読者がちょっとにやりとするお遊びと解されたい。この「凹組クロニクル」、これからも断続的に書かれていくと思うので、新刊を読むときの楽しみの一つにしていただければいい。
 ということがあるので、山本幸久の読者なら、『店長がいっぱい』の霧賀久仁子が本書に登場してきても驚かない。再会できるのは嬉しいけど。あとはいつものようにこのシーンだけの登場なのかなと思うところだが、これが一瞬だけの再登場ではないから、もっと嬉しい。まあ、わき役であることに変わりはないが、大変重要なわき役として最後まで頻繁に登場するから、久仁子ファンは喜ばれたい。
 ということでようやく本書の内容の紹介に移りたいが、前置きが長すぎてすみません。本書は、高校三年生になったばかりの錫之助を主人公にした学園小説である。これが普通の学園ではない。県立諏那すな高校は来年の三月で六十九年の幕を閉じる。十年前から定員割れしていて、廃校が決定したのは六年前。錫之助がどうしてこんな高校に入ったかというと、第一から第三志望までの試験期間をずっとインフルエンザで寝込んでしまったからだ。第四志望の県立諏那高校に入るか、浪人するかの選択を迫られ、大学受験を頑張ればいいかと諏那高校に入ることにしたとの経緯がある。もっとも高校に進学してからの二年間は受験勉強を全然頑張っていない。いちばんの不満は女子生徒がいないこと。県立諏那高校は男子校ではなく共学なのだが、定員割れして以来、女子生徒の受験者が減り、廃校が決定してからはゼロなのである。だから諏那高校にはいま三年一組しかない。クラスメイト四十二人が全校生で、男子ばかりだ。
 で、高校三年になった春、音楽準備室に積み上げられていたハンドベルのケースを発見する。それを見て、ハンドベル部を作らないか、と言いだしたのは土屋だ。県内唯一の女子中であり女子高でもある城倉じょうくら女子学園にはハンドベル部があるので、県立諏那高校でハンドベル部を作れば合同練習も夢ではない、というのが土屋の計画である。つまりハンドベル演奏に興味があるわけではなく、カノジョを作るための作戦である。
 この土屋を筆頭に、主人公の錫之助、唯一楽譜が読める美馬みま、そしてテニス部との掛け持ちである播須はりす、さらに教師のダイブツと五人のハンドベル部が結成され、練習が始まっていく。このダイブツの名は「大佛おさらぎ」と書き、ダイブツと読むわけではないのだが、あだ名の「ダイブツ」が定着して本人ももう諦めている。少しも大仏っぽくなく、むしろ地蔵さんに似ている。雪の日、道端に立っていたらかさを被せてしまいそうだ。ハンドベルの指導はカラニャン。週に一回、音楽の授業がある日の午後だけ学校にやってくるおじいちゃん先生で、九十歳を超えていると噂もある唐沢からさわ先生だ。
 ハンドベルというものがどういうものであるのか、ということについてはカラニャンの次の言葉を引いておく。
「ハンドベルは、ピアノの鍵盤をばらばらにして、その一本一本をベルに置き換えたものとお考えください。つまり音符ひとつにつき、ハンドベル一本になります。ピアノはひとりで弾きますが、ハンドベルは複数の人間が心をひとつにして、演奏しなくてはいけません」
 ここからこの物語はスタートするが、まず構成が素晴らしい。前半の100ページは登場人物を過不足なく紹介しつつ、ハンドベル部という中心舞台ができるまでの過程を、巧みな挿話を積み重ねて描いていく。このあたりはさすがは山本幸久で、ホント、軽妙でうまい。となると中盤の100ページが、さまざまな問題が露呈していくことになるのも当然か。たとえば、錫之助は中学後半から父親とほとんど会話していない。特に喧嘩したわけではなく、自然にそうなっている。錫之助の父親は工場を経営している。八十坪足らずの工場で、従業員は九人。亡くなった祖父が戦後間もなく開業し、父親が二代目。働いているのは父親の弟、祖父の弟とその息子、父親の妹の旦那さんと同族会社である。その工場を継げ、とは一度も言われたことはないが、継いでしまったらこの町から出ないまま一生を終えることになる。それもなんだか、という曖昧な気持ちのなかに彼はいる。つまり何かやりたいことが他にあるわけではないのだ。
 土屋は卒業までに百万円を貯めて会社を立ち上げるとの夢を持っている(何の会社にするかは不明)。だが、コーセー先輩に金をたかられている現場に錫之助は遭遇したりする。その土屋にいつも苛められていた美馬はハンドベル部が出来てから見違えるように逞しくなり、スナックを経営している美馬の母親からは、息子が明るくなったと錫之助は感謝される。もっとも高校を卒業してどうするかまでは決められないでいる。播須は父親のコネで就職が決まりながら、それに納得していない様子だし、ようするに全員が暗中模索のなかにいる。
 この中盤のハイライトは、ネタばらしになるので詳しく書けないが、あるものの奪回だ。みんなが協力して大切なものを奪回しにいく挿話がこの中盤のピーク。なにやら曖昧な書き方になって申し訳ないが、お読みいただければ何のことか分かっていただけるだろう。本書が真に素晴らしいのはこの先である。本来なら宝物を奪回する挿話でこの物語が終わってもいいのだ。電車の中で知り合った元ボクサーのアンチャンに殴り方を教わるという小ネタもいいが、あんなに仲が悪かったのに(土屋と播須は、演奏直前に楽屋で殴り合いの喧嘩までするのだ)、錫之助ですら友達でもなく仲間でもない、と言ってたのに、その面々がみんなで協力するというシーンに、そして錫之助の両親にこのクラスメイトたちが頭を下げるシーンに、何度も涙がこみ上げる。
 しかしこの物語はまだ終わらない。何かを取り返せば、みんなが仲良くなれば、それで終わりというものではないのだ。では何が、まだ必要なのか。
 考えるまでもなく、廃校が決定した高校の最後の一年間にハンドベル部を作ってもそれは続くものではなく、プロの演奏家になるというように彼らの将来を決定づけるものでもない。しかし十七歳という人生でもっとも危なっかしい時期を、ハンドベル部を結成してその練習に打ち込むことで、つまり膨大に無駄な時間をともに過ごすことで、彼らはその危ない時期を乗り越えていく。最後近くに出てくる土屋の台詞に留意。そのかたちがここにあるからこそ、私たちは深く感じ入るのである。つまりここで描かれているのは高校生活の最後の一年間ではあるけれど、その向こう側に、彼らの未来があるということだ。それを説明ではなく、具体的な挿話で描いていることが素晴らしい。本書は、ハンドベルを中心にした異色の学園小説であり、喧嘩しつつも繋がっていく友情小説であり、何度も目頭を熱くする家族小説であり、そして胸キュンの初恋小説である。
 まだまだ書き足りないことがある。たとえば、『シングルベル』(これがどういう小説であったのか紹介するときりがないので控えておくが)の登場人物たちはその後も元気で過ごしているだろうかとか、あるいはSF的シチュエーションを導入した『東京ローカルサイキック』(好きな人のことを考えるだけで体が浮いちゃうヒロイン花菜かなと、哀しくなると瞬間移動しちゃう日暮ひぐれまことの二人を中心にした恋愛小説で、この設定だけでも面白そうでしょ)は山本幸久には珍しくSFへの挑戦であったけれど、この実験をもっと読みたかったとか、いろいろあるのだ。しかしもう予定の枚数を大幅に超えているので、最後にこの言葉を置いてこのあたりで打ち止めにしたい。
 青春小説の傑作だ。山本幸久の傑作だ。


ご購入&試し読みはこちら>>山本 幸久 カバーイラスト:100%ORANGE『誰がために鐘を鳴らす』


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