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レビュー

あなたは正気でいられるか⁈エロ、暴力、ギャグ、ミステリー、全てを飲み込む変態粘膜ワールド『粘膜探偵』

 男子中学校で教師をしている友人によると、彼の受け持つクラスではいま飴村行の粘膜シリーズが一大ブームを巻き起こしているらしい。学級文庫にシリーズ全巻が並べられ、生徒たちは「ソクソク」「バチコーン」と〝飴村語〟で語りあっているというのだ。思わず「大丈夫か?」と聞き返してしまったが、考えてみると、性欲とバイオレンス、ブラックな笑いが三位一体となった飴村ワールドは、中学生男子の思考回路そのものである。大人以上に、現役の中学生がはまっても不自然ではない(不健全ではあるが)。読書離れが叫ばれて久しい昨今、届くべきところにはちゃんと届いているのだなあ、となんだか嬉しくなった次第。

 本書『粘膜探偵』は、そんな十代的衝動を詰めこんだ現代日本でもっとも危険なフィクション、粘膜シリーズの最新刊である。前作『粘膜戦士』の刊行から6年もの月日が流れているので、まずはシリーズの歩みを簡単にふり返っておきたい。

  1 『粘膜人間』(長編/2008年)
  2 『粘膜蜥蜴』(長編/2009年)
  3 『粘膜兄弟』(長編/2010年)
  4 『粘膜戦士』(短編集/2012年)

 シリーズ既刊は以上4冊。共通した舞台となるのは、国民の自由が制限され、憲兵が〝非国民〟に目を光らせる戦時下日本(といっても現実の戦時下ではなく、丸尾末広(まるおすえひろ)の漫画的にデフォルメされたもうひとつの日本)。各話に直接的なつながりはなく、ときに片田舎でときに大都会で、おぞましい事件が勃発する。そのためどこから読み出してもまったく問題はない。

『粘膜人間』は、第15回日本ホラー小説大賞に投じられた飴村行のデビュー作。エンタメ作家の登竜門として知られ、瀬名秀明(せなひであき)岩井志麻子(いわいしまこ)などを輩出してきたホラー大賞だが、この年は『庵堂三兄弟の聖職』の真藤順丈(しんどうじゅんじょう)、『生き屏風』の田辺青蛙(たなべせいあ)、『トンコ』の雀野日向子(すずめのひなこ)と今なお第一線で活躍する実力派がしのぎを削るひときわハイレベルな回であった。『粘膜人間』(応募時タイトルは『粘膜人間の見る夢』)は大賞こそ逃したものの、長編賞を射止め、飴村行は念願の作家デビューを果たすことになった(デビューまでの苦難の道のりは抱腹絶倒の自伝『粘膜黙示録』に詳しい)。

 凶悪な末弟・雷太(らいた)に日々虐待されている利一(りいち)祐二(ゆうじ)の兄弟は、身の危険を感じ、村はずれの蛇腹(じゃばら)沼に棲む河童のモモ太に弟殺しを依頼する。河童というと牧歌的なイメージがあるが、飴村行の描く河童はひと味違う。とにかくずる賢く、プライドが高く、いやらしいのだ。雷太を殺す代わりに、村の娘と思う存分「グッチョネ」をさせろと迫り、利一と祐二を動揺させる。一方の雷太はまだ11歳ながら身長195センチ、体重105キロという巨体の持ち主で、激昂すると手がつけられない一種の異常性格者だ。

 河童バーサス怪童、というホラー史上類を見ない一戦を主軸に据えたこの長編に出会った日のことを、わたしはいまも忘れられない。血肉が飛び散るスプラッタな人体損壊表現に、思わず目を覆いたくなるような拷問シーンに、不条理感に満ちた幻覚描写に、何度息を呑み、座っている椅子から立ち上がりかけたことか。最終ページを閉じると同時に、日本ホラー小説史に新たな傑作が誕生したことを確信した。同時にこうも思った。「この作者は天才だが、少々おかしいのではないだろうか?」と(失礼!)。荒々しい初期衝動とエンターテインメント性がぎりぎりのところで共存した『粘膜人間』は、そんな疑問を抱かせるほどにスリリングな作品だった。

 デビュー作から約1年後、第2長編『粘膜蜥蜴』が登場する。これによって飴村行は自らの筆力を世間に知らしめ、華麗なる一発屋ではという読者の危惧をこっぱみじんに吹き飛ばしてみせた。東南アジアの小国ナムールに棲息する、トカゲ顔の知的生物・爬虫(はちゅう)人(ヘルビノ)が初めてお目見えする『粘膜蜥蜴』は、少年少女の残酷な欲望がぶつかり合う内地パートと、極彩色の冒険絵巻が繰りひろげられる南方パートが巧みにつなぎあわされ、唯一無二の怪奇幻想小説に仕上がっている。

 不謹慎なギャグシーンも前作以上に満載だ。とりわけ驕慢(きょうまん)な少年・雪麻呂(ゆきまろ)と彼につきしたがう爬虫人の下男・富蔵(とみぞう)の掛けあい漫才は、つい口真似したくなるほど面白い。不気味さと奇妙なポップさを兼ね備えたこの作品で、飴村行は第63回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。年末恒例の各社ミステリーランキングでも上位にランクインし、一躍注目を浴びることとなった。

 シリーズ第3作『粘膜兄弟』は、フグリ豚という珍種の豚を飼育している双子の兄弟・磨太吉(またきち)矢太吉(やたきち)が主人公。両親を失って以来、助け合って生きてきた二人が、カフェーの女給ゆず子に同時に惚れたことで、運命の歯車が狂いはじめる。このシリーズには珍しく三角関係を扱ったラブストーリーだが、そこは飴村行のこと、豚しか愛せない変態飼育員のヘモやんを登場させるなど、決してファンの期待を裏切らない。暗い迷路を全力疾走するかのような、先の見通せない構成も魅力的で、兄弟を悩ませてきた超常現象の正体が明らかになるラストも含め、飴村行のクレバーさをあらためて印象づける作品だった。

 こうして一作ごとに作風を押し広げてきた飴村行は、現代もののノンシリーズ作品『爛れた闇の帝国』(2011年/文庫化にあたって『爛れた闇』と改題)を間にはさんで、粘膜シリーズ初の短編集『粘膜戦士』を上梓する。

 ナムールに派遣された軍曹が将校の狂った欲望に翻弄される「鉄血」、機械に改造された負傷兵とその家族の悲喜劇「肉弾」など、いずれ劣らぬ曲者(くせもの)揃いの全5編。「鉄血」の後日談にあたる「凱旋」は、河童が棲息する『粘膜人間』の世界と、爬虫人が闊歩(かっぽ)する『粘膜蜥蜴』『粘膜兄弟』の世界を橋渡しする、シリーズ史上においても重要な作品だった。円環をぴたりと閉じるかのようなこの短編を最後に、粘膜シリーズはしばしの眠りに就くことになる。

『粘膜戦士』から『粘膜探偵』までの6年間に、飴村行が発表した小説は『路地裏のヒミコ』(2014年)と『ジムグリ』(2015年)の2作のみ。サイクルがめまぐるしい現代小説界にあって、この寡作ぶりは際立っている。しかし飴村行は深く静かに潜行しながら、次なる攻撃に備えていた。わたしは2015年夏、ウェブメディア『ダ・ヴィンチニュース』で飴村行にインタビューしているが、その時点ですでにシリーズ次作の構想を明かしてくれているのだ。それが『粘膜探偵』として日の目を見るまでに、どのような紆余曲折を経たのかは分からない。ただこの長編にはこれまでをはるかに超える時間と労力が注がれていることは、間違いないだろう。



 というわけで、『粘膜探偵』の話題にたどり着いた。

 今回シリーズには新たに、帝都東京の治安維持のために設置された組織「特別少年警邏(けいら)隊」(トッケー隊)という設定が加わっている。ここに入隊できるのは、体力知力に秀でた一部の選ばれた少年のみ。14歳の主人公・須永鉄児(すながてつじ)は超難関を突破して、憧れのトッケー隊に入隊。イ號区(ごうく)二班に配属される。二班を率いるリーダーの久世(くぜ)は、次々と不良分子を摘発し、15歳の若さで班長に抜擢されたエリートだ。

 着任初日の警邏中、鉄児は国民を退廃堕落させるフランス文学の詩集を隠し持った学生に遭遇。久世がその学生を言葉巧みに追い詰め、警棒でめった打ちにする光景を目の当たりにする。ここまででわずか数ページ。ショッキングなシーンで読者の心をわし掴み、異様な世界に引きずり込む筆力は、今回も健在だ。

 鉄児の家族は、医学者の父・大堂(だいどう)とほぼ昏睡状態で寝たきりの祖母・菊乃(きくの)。日本の医学界で地位を失った大堂は、新天地ナムールに活路を求め、陸軍大佐の武智(たけち)とともに温室で極秘研究に没頭する。封印された須永家の過去が、温室の秘密とともにじわじわと明かされてゆく本作は、明治末に建てられた西洋館という道具立てもあって、飴村版ゴシック・ホラーとでも呼ぶにふさわしい。そう、今度の粘膜シリーズはちょっとだけ大人でかっこいいのだ!

 こうした方向性の変化は、もちろん意図的なものだ。先述の『ダ・ヴィンチニュース』のインタビューで飴村行は、前作と同じような刺激を求められてしまうのが悩ましい、という意味のことを語ったうえで、「初期のエグさを残しつつも、ストーリーや設定で新しさを出す、という二律背反をクリアする」ことを目標に掲げている。ある登場人物のどす黒い妄想を、架空の神話・宗教・動植物学を援用しつつ、伏線と意外性をそなえたミステリー的構成で描ききった『粘膜探偵』は、その目標を十二分に達成している。

 とはいえ、ギャグ要素が完全になくなったわけではないのでご安心を。今回は須永家に長年仕える爬虫人の女中・影子(かげこ)が、名脇役としていい仕事を見せている。嘘がつけないという奇癖が生みだす、ナチュラルな悪口雑言の数々がなんともいえず可笑しい。

 またあらためて痛感したのは、飴村行の言語センスの高さである。「忌悪書」「焚坑(ふんこう)会」「徹甲心注入」といった絶妙な造語や、キレのいい軍隊口調とドイツ語のセリフ回し、そして物語の幕切れである登場人物が言い放つ一言に、心地よい興奮を味わった。直接的なスプラッタ描写ばかりが取り沙汰されがちな粘膜シリーズだが、実は飴村行ほど言葉のイメージ喚起力を大切にしているホラー作家も、当節そういないように思う。

 総括するなら、『粘膜探偵』は飴村行のエンターテインメント作家としての著しい成長ぶりが見られる傑作である。デビュー作以来の危険なビジョンはそのままに、よりソリッドさと重厚さを増した本作は、粘膜シリーズ第二期のスタートを告げる作品と言っていい。飴村行はこの作品をきっかけに、より広範な読者を獲得することになるはずだ。

 もし澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)がいなければ日本はどれほど詰まらなかっただろう、と書いたのは三島由紀夫だが、わたしは粘膜シリーズのファンを代表してこう言いたい。もし飴村行がいなければ現代日本の小説界はどんなに退屈だっただろう。偉大なる粘膜作家の帰還を、心から(よろこ)びたい。


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