竹村凜々子はたまらなくかわいい奴である。私が上司だったら、眼の中に入れても痛くないだろう。まるで阿川佐和子さんを検事にしたような魅力である。
凜々子シリーズ第1作「正義のセ ユウズウキカンチンで何が悪い!」に出合った時、心が躍った。そこに生きた検事がいたからである。
検事が登場する物語はあふれているが、たいていの検事はなんともウソくさい。
ところが竹村凜々子は違う。私の30年の検事生活の中でも気性の似た女性検事が何人かいた。
だから、シリーズ第4作となる本書の解説を依頼された時は、驚き、光栄に思い、喜んだ。凜々子への愛と期待を公けに語ることができるからである。
実際、凜々子は、天性の検事の素質を備えている。ごく自然にユウズウキカンチンで、正義が身体の中に溶け込んでいる。同時に、熱い人の情があふれるように流れている。この両方の資質を併せ持つ検事は数少ない。人情味あふれる下町で、素朴に働きまっすぐに生きる両親と祖母に育てられ、受験戦争に心を歪められることもなく好きな友達と好きなことをして司法試験に受かる奴は、めったにいないからである。
しかし、検察には、日本に限らないが、政権与党から、正義のセもイもギも押しつぶそうとする圧力がかかるから、ユウズウキカンチンがいることは、重要なことである。曲がったことが通る社会では、人は頑張って生きる力を失う。
ただ、杓子定規では、堅苦しくて生きづらい。そこは、情のある仕切りが必要である。
だから、検事凜々子は人の心をとらえ、応援を受けるのである。彼女の活躍は、心ある市民の夢であり、その成長は市民の願いであり、快感である。検察という特殊な組織を舞台にしながら、一般の読者がわがことと感じられるような課題を設定し、それに立ち向かう凜々子の悩みと熱意、苦しみと喜びとを実感させる阿川さんの構想力と筆力には、しびれてしまう。
天性の検事の素質を持つ凜々子は、その仕事が大好きで、辛くても辞めたいとは思わない。正しいと思ったことは妥協しない。部下である検察事務官や、事件で組む刑事を大切にし、その能力を認めるから、みんなが凜々子のために快く働き、力を貸してくれる。容疑者のウソには厳しいが、その人間性を傷つけず、見下さず、真実を語って立ち直ることを願う。出世を考えず、いい仕事をすることだけを考えている。ついでに言えば、贅沢は望まず、ファッションにはあまり関心がなく、実用的で、居酒屋好き。スポーツはいまいちだが、家族と友達を大切にする。男にも食べ物にもさしてこだわらず、恋愛下手、あつかましく慕い寄る神蔵守検事を5年にわたってムゲに扱っている。
要するに、たまらなくかわいい奴なのである。
その凜々子、さまざまな課題を克服して成長してきたが、検事5年目、30歳にして冤罪事件を起こしてしまい、小、中学生時代の親友でもある記者明日香の裏切りでマスコミに追われるスキャンダルとなる(「正義のセ②史上最低の三十歳!」「正義のセ③名誉挽回の大勝負!」)。ほとんどの検事が体験しない大難題で、もし体験すればくじけてつぶれてしまうのであろうが、凜々子は家族や仲間の愛情に支えられて切り抜け、明日香の友情も取り戻して、冤罪者の素性を暴き出す。
立ち直った凜々子は検事6年目、神戸地検尼崎支部に転勤する。
本書でみせる凜々子の成長は、サンズイ(汚職)事件の独自捜査でもたらされる。
サンズイは殺人、窃盗などと違って直接の被害者がいない犯罪であるうえ、凶器や盗品などの直接の証拠がないのが普通だから、逮捕、起訴するのは容易ではない。だから筆頭検事である凜々子に事件が割り当てられたのだが、検察庁が直接告発状を受理しているから警察は関与せず、検察だけで捜査しなければならない。検事としては最高難度で、それだけにやる気の検事にはおおいにやりがいがある事件である。
凜々子もついにサンズイの独自捜査をやるところまで成長したのかと感慨深いのだが、凜々子らしく、頑張って証拠を集めた。尼崎市立医大の高中教授が贈賄者茂木の属する医療機器メーカーのMRI機器の購入を推薦したことも、その頃に1千万円を超える超高級時計を茂木から貰い、またいろいろ接待を受けていることも調べた。妹温子まで動員して、特捜検事並みの内偵捜査をした。
そこで意気込んで神戸地検本庁に出向き、ガサ(捜索)の許可を取ろうとするが、検事正、次席、特刑部長という上層部三名からみごとに拒まれる。おまけに事件を本庁に取り上げられ、その捜査に参加させてもらえず、事件は嫌疑不十分で不起訴にされてしまう。
やれ白ブタだ何だと幹部をけなしても気が治まるはずはない。
あのオールバック検事正は、最初から私を潰そうとしていたに違いない。凜々子は唸り声を上げる。
実は、幹部の決裁でノーと言われて凜々子のような思いをさせられる検事は少なくない。やる気の検事ほどそうである。検察幹部、特に男性幹部には、事件に着手したのに起訴できなかったという失態と非難を強くおそれる慎重な人(やる気の部下は、気が小さい人とか臆病者と呼ぶ)が結構いるのである。
凜々子がもし告発した人間などサンズイをめぐる内部状況を知っている人物を見つけて抱き込み、その供述を取っていれば、小心三人組の幹部たちも事件着手に踏み切っていただろう。あるいは、凜々子は小当たりに高中、茂木を任意で調べて両者から否認されているが、これを贈賄側の茂木に絞って体当たりして、せめて高中が売込みに役立った事実と、超高額な時計を贈った事実だけでも認めさせていれば、幹部はOKせざるをえなかったであろう。サンズイの独自捜査が初めての凜々子が思い及ばなかったのは、彼女はまだまだ成長の余地を残しているということである(それにしても身勝手者の支部長検事の指導が足りない)。
ただ、凜々子は「負けるもんか」と奮い立ってくれた。ここが彼女の資質の素晴らしいところである。そして、凜々子は“持っている”。札幌地検で茂木らの贈賄の大がかりな摘発体制が組まれ、そこに応援に呼ばれて、悔しい思いをした事件を真正面から調べるチャンスが来る。そう、ひたむきに前を向いている人間には、チャンスが前からやってくるのである。
その時の彼女の調べは、格段に成長している。あえて核心に踏み込まず、茂木を不安に追い込み、頼りは凜々子だと心理的に寄りかからせた上で「高中はあなたを悪者に仕立てているよ」と告げる。これには百戦錬磨の茂木もたまらない、「とんでもないのは高中です。彼はこんなに悪いこともしているのです」と、高中の愛人殺人疑惑まで暴露してしまう。微妙な調べは刑事に頼むという態度だった凜々子が、刑事文ちゃんが供述させられなかった殺人疑惑に関する茂木の供述まで取ってしまうのである。もちろんその功績は、文ちゃんに譲る。こうなると、凜々子は、一人前どころか、十人前の検事である。東京地検特捜部に入っても、輝くだろう。真実にせまることだけを追った成果である。
あとは凜々子がどこまで成長していくか。私は、いつの日か、彼女が、政府与党のワルから自分も聞いて驚くような“政治の闇”を聞き出すところまで育つことを夢見ている。阿川さん、どうか読者の夢をかなえて下さい。
ただ、その前に、阿川さん、凜々子を恋愛の面でももう少し育ててくれませんか。朝見桔平への恋は初恋でもないのに、イケメンというだけでフラフラとキスを許し、忘れられなくなるなんてあまりに幼く、あやういではないですか。女たらしの桔平に「検事の演技失敗」の罰を与えただけでは足りません。恋愛の機微にも通じるようにして頂かなければ、凜々子は政治家の愛人を抱き込んでその裏金を聞き出すような術を習得できないのではないかと心配しております。
凜々子はまだまだこれからです、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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