遠い昔、ある夏の日に少年は、尚と拓という転校生の兄弟と出会った。三人はたちまち仲良くなり、兄弟の秘密基地に招かれたり、母親のいない台風の夜に、彼らの家に泊まって過ごしたりした。
大人になって、それきり忘れてしまったかもしれないひと夏の思い出が、庭に咲いていたカンナの花の赤さや、一緒につくったインスタントラーメンのおいしさなどの細部まで記憶にとどめられているのは、その直後に尚がかき消すようにいなくなってしまったせいだ。消えた日の翌日の時間割の入ったランドセルを川岸に残して、尚は忽然といなくなった。
二〇一二年、『犯罪者 クリミナル』(KADOKAWA)で鮮烈な作家デビューをはたした太田愛を、「ウルトラ」シリーズや、「相棒」の脚本家としてご存じの読者も多いと思う。『犯罪者』の主要登場人物である元テレビマンでライターの鑓水七雄、友人で警察官の相馬亮介、危ういところで二人に命を救われた青年繁藤修司は、少しずつ齢を重ねてこの『幻夏』にも登場する。鑓水はちょっと怪しげな興信所の所長、修司はそこのアルバイトになっていて、時折、鑓水との腐れ縁を嘆いたりなどするが、まったく独立した物語として読んでもらってもいい。
ちょっと「スタンド・バイ・ミー」を思わせる、少年時代の記憶を抱えて大人になったのが警察官の相馬である。刑事課から交通課に左遷された相馬は、世田谷区内で起きた少女連れ去り事件で所轄の応援要員として捜査にあたっている。一方の鑓水のもとには、奇妙な依頼が入った。息子のゆくえを捜してほしい、という依頼内容はそれだけ見れば不審なところはないが、息子がいなくなったのは二十三年も前のことで、依頼してきた年齢不詳の美しい女性は、着手金三百万円を渡して姿を消してしまう。
相馬は、事件現場の木に刻まれた不思議な印を見つける。二十三年前の夏、尚がいなくなった西稲城市の現場に残された印と同じものだ。まったくなんの関係もなさそうな二つのできごとが、相馬・鑓水・修司の三人を介して結び合わされ、事件の全貌が少しずつ明らかになる。
探偵と、謎めいた美しい依頼人、といういかにもハードボイルドふうのはじまりにもかかわらず、『幻夏』が次第にそこからはみ出ていくのは、捜査を担うのが興信所の鑓水・修司コンビだけでなく、その二人と同じかそれ以上のウエイトで、現役警察官の相馬ががっちり関与しているからだ。
相馬は、よくあるところの、探偵につかず離れず協力して情報を流す都合のいい刑事などではない。きまじめで、組織の腐敗に与することができずに左遷され(『犯罪者』参照)、いまは応援要員の立場でしか捜査に参加できない。組織の内部にいながら外部からの批判的なまなざしもあわせ持つ特殊な立ち位置の少数派である。組織に対しては批判者であっても、無責任な第三者ではなく、組織全体に対する批判はその一員として甘んじて受けざるをえない。さらに、二十三年前の失踪事件では、尚と拓、彼らの母親をよく知る重要な目撃者でもある。
『犯罪者』では企業の隠蔽体質が引き起こす連続殺人が描かれたが、この『幻夏』で太田氏は正面から寃罪を取り上げている。
無実の人間が、やっていない犯行の自白を強要され有罪判決を受ける。その場合の自白とは、捜査員によってつくりあげられたものということになり、場合によっては証拠が捏造されたり、隠蔽されたりすることもある。寃罪もまた、警察・検察・裁判所それぞれの組織的な病理によって引き起こされるもので、どこかでチェック機能が正しく働けば多くは防げたはずのものだ。
司法への信頼性を脅かす、あってはならないこの寃罪が、じつは繰り返し起きていることを、報道を通して私たちは知っている。幼女殺害の足利事件、県議ら十三人が公選法違反などに問われた志布志事件、小学六年生の女児が焼死した東住吉事件など、逮捕された容疑者の無罪判決が出るたびに、大きく報じられる。その行き過ぎた取り調べや予断をまじえた捜査手法は、不思議に思うほどどれも似通っている。
その一方で、無罪判決が出ても報道の扱いが小さく見過ごされたり、無実のまま刑に服したりした人も少なからずいるはずなのだ。やってもいない犯罪の加害者にされるのは、犯罪の被害者になる以上に恐ろしいことだが、その恐ろしさはわが身に降りかからない限りなかなか実感できない。自分にはそんなことは起きず、たとえ何かあっても法治国家ならば適正に法は運用されると考えてしまう。
累は当然、家族にもおよび、悲劇は、さらなる悲劇を引き起こす。現在だけでなく、未来までも根こそぎ奪い去る誤認逮捕の残酷さを、『幻夏』という小説はあますところなく描いてみせる。
本書の中に「叩き割り」というあまり耳慣れない言葉が出てくる。これは志布志事件で知られるようになった、被疑者を精神的に追い込み自白を引き出す捜査手法の呼び名である。同じく、登場人物のひとりが寃罪であると明らかになった後で書くことを求められる「恨みません調書」というのも、富山県で強姦などの容疑で誤認逮捕された男性が、捜査にあたった警察官や検事を恨まない、という調書を寃罪と判明した直後にわざわざ取られたという現実のできごとが反映されている。
『幻夏』を読むと、太田愛という作家が、私たちが生きているこの社会の現実に取材し、そこに表れているゆがみや病理を、ミステリー小説の中で正確にとらえようとしていることがとてもよくわかる。
『犯罪者』や『幻夏』で描かれたのは、いままさに起きている現実である。
事件について調べている鑓水が関係者と会う浅草の古い喫茶店で、「ココア色のウールのコートを着た若い母が、毛糸の帽子を被った幼い鑓水の手を引」く情景がふいに想起されるシーン。鑓水の複雑な過去が、今後、明かされるであろうことがサブリミナルのように插み込まれている。
二〇一七年二月に刊行された太田氏の第三作『天上の葦』(KADOKAWA)では、まさにその鑓水の過去が明らかになるのだが、そこではいま起きていることだけでなく、これから起きることが描かれていて読者を慄然とさせた。政権への批判を試みる者が、それを察知した政権側によって批判封じのため社会的に葬り去られようとするのだが、しばらくしてそれと似たようなことが現実にも起きた。
どういう順番になってもいい。本書の読者には、ぜひその他の二作も読んでほしいと思う。