『天上の葦』文庫が続々重版!
いま最注目の作家・太田愛の「カドブンノベル」新連載を記念して3作品をご紹介します。
文:佐久間文子
太田愛の新境地を感じさせる連載「彼らは世界にはなればなれに立っている」がいよいよ「カドブンノベル」で始まる。
小説の舞台は「塔の地」と呼ばれる小さな町だ。住民は「始まりの町」としての歴史を誇りに思っている。山の稜線には風力発電のプロペラが並び、町の映画館では半年間同じ作品がかかっている。港に客船が入るのは20年ぶり。建物や食べものはヨーロッパの地方都市を思わせるが、過去でもあり未来のことにも見える、言うならばどこにも存在しない寓話的な町だ。
ひとりの男が、変わり果てたふるさとに戻ってくる。かろうじて昔の面影を残している広場に立って、町を出るとき埋めた菓子の缶を掘り起こす。中から出てくるのは1枚の写真だ。港に大型客船が着いた日に写されたもので、男の両親をはじめ、かかわりのあった人々が写っている。
この町で何かが起きた。静かに語り始める男の名前は、トゥーレという。
敢然と現代社会に切り込む、『犯罪者』に始まるこれまでの3つの小説とは舞台設定もスタイルもまったく異なっている。そのことに驚く読者もいるかもしれない。「塔の地」が置かれていた状況が次第に明らかになっていくにしたがって、この寓話的な設定の中で作家が何を描こうとしているかがわかってくるだろう。エンターテインメント小説の中に、現代社会のゆがみや闇をはっきりと写し取ってきた作家の手法は、今回の作品世界にも持ち込まれている。
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1 『犯罪者』
改めて、これまでの太田作品を振り返っておきたい。
「ウルトラマン」シリーズや「相棒」の脚本家として第一線で活躍していた太田が初めて手がけた小説が、2012年に出た『犯罪者』である。
東京都下の駅前で白昼に起きた5人の殺傷事件。被害者の間につながりはなく、薬物中毒の通り魔による犯行と思われたが、事件の裏には大企業による恐るべき“犯罪”が隠蔽されていた。
5人の被害者の中でただ1人、一命をとりとめた修司。捜査にあたる刑事の相馬は、裏金づくりの領収書にサインすることを拒んだことで、組織からつまはじきにされている。暗殺者に狙われるようになった修司は過去の事件から警察に不信感を持っており、修司の命を守るため、相馬は大学時代の友人であるフリーライターの
小説には、メルトフェイス症候群という乳幼児のみがかかる病気が出てくる。罹患した子供は顔の半分を失い、助かっても再建手術を繰り返さざるをえない。そのうえ、突然死の恐怖から一生逃れられなくなる。虚構としてつくられた病だが、かつて世の中を震撼させた森永ヒ素ミルクなどいくつもの現実の事件を彷彿させる。
何の落ち度もない患者家族がさらされる心ない視線。喫茶店にいあわせた客や、近隣住民からの反応を含め、被害者を責め、無意識にも「犯罪者」の側に加担する者のこともゆるがせにせず、きちんと描き込まれていることに注目してほしい。
最初に示された事件の構図をダイナミックに塗り替えていく、謎解きの手腕もみごとだが、弱いものや、小さいものに耳を傾け、その声を聞こうとする、作家としての個性がよく出ている。
▼詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321404000117/(上巻)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321612000588/(上下 合本版 ※電子書籍)
2 『幻夏 』
翌13年に発表した『幻夏』では、日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)の候補にもなった。
『幻夏』は、『犯罪者』の続篇であると同時に前日譚でもある。
鑓水は新たに興信所を始め、いやがる修司をアシスタントに使っている。そんな鑓水のもとに、「いなくなった息子を見つけてほしい」という依頼が入るが、息子がいなくなったのは23年も前のことだった。一方の相馬は前作から交通課に飛ばされているが、駆り出された少女失踪事件の現場で、23年前に友だちの尚がいなくなった現場で見かけた印と同じものを発見する。
奇妙な依頼と、暗号めいた印。忽然と姿を消した12歳の少年の見えない背中を追う鑓水の調査と、少女失踪を追う相馬の捜査は接近し、重なり、いつしか一本の縄へとなわれていく。
この作品が正面からテーマとしているのは冤罪だ。容疑者が無実であっても犯行を自白させてしまう「叩き割り」という手法や、冤罪だとわかっても訴訟を起こさないむね、あらかじめ「恨みません調書」を書かせて言質を取るやりかたなど、近年の事件報道で次々と明らかになった、多少の冤罪もやむなしといわんばかりの旧態依然とした捜査方法が、容赦なく、批判的に描き出される。法とは何か、人が人を裁くとはどういうことかを考えさせる小説でもある。
▼詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321704000329/
3 『天上の葦』
現実と虚構を拮抗させる手腕は、このたび文庫になった、第3作の『天上の葦』でひときわ鮮やかに発揮されている。
『天上の葦』で描かれるのはマスメディアだ。渋谷のスクランブル交差点で、老人が空を指さしたまま昏倒し、そのまま息絶える。老人の姿は正午のニュースの冒頭、全国中継される。
鑓水への新たな依頼は彼が最期に何を指さしていたか突き止めろ、というもので、持ち込んできたのは『犯罪者』で鑓水たちにより政界引退を余儀なくされた政治家磯辺の秘書服部である。いかにも裏のありそうな、罠にしか見えないこの依頼を、鑓水はあっさり引き受ける。
たとえ罠であっても依頼を引き受けたのは、鑓水自身、この老人が指さしたものを知りたかったからで、祖父が進駐軍の海軍将校だったという、決して明るいとは言えない鑓水自身の過去も本作では明らかにされる。
謎解き部分の鮮やかな展開と同時に、現代社会のゆがみや闇をありのまま描き出すのが作家太田愛の持ち味である。本作では、権力と切り結ぼうとしたジャーナリストが社会的に葬り去られようとするのだが、そのやりかたが、小説が出た後、現実に起きたできごとと非常によく似ており、現実を予見していたようだ、ということでも大きな話題となった。
『犯罪者』にチラッと出てくる女性が『幻夏』では相馬の恋人として出てきたり、『幻夏』の犬が『天上の葦』では興信所で大事に飼われていたりするので順に読むことをおすすめするが、『天上の葦』で太田愛を知った読者はもちろん逆順で読んでもかまわない。
▼詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000364/(上巻)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000728/(上下 合本版 ※電子書籍)
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鑓水と修司、相馬は、組織の論理に丸め込まれず、従おうともしない、日本社会では異色の3人組である。彼らが登場する、シリーズ累計26万部の3作の後に書き始められたのが、「彼らは世界にはなればなれに立っている」である。
タイトルは、パウル・ツェランの詩「夜ごとゆがむ」の詩句から。ドイツ系ユダヤ人のこの詩人は、ウクライナとルーマニアの境に位置するブゴヴィナに生まれ、ナチス・ドイツにより強制収容所へ送られた過去を持つ。かろうじて生き延びたツェランの詩には、かたときも忘れることのできない死者への思いが反響している。
「彼らは世界にはなればなれに立っている」の世界は、いまある私たちの世界と似ているが、ところどころで違っている。
政治の代表者を選ぶ民選制度は、投票に行く人が少ないという理由で廃止されている。新聞はなくなり、ゴシップや催しを伝えるだけの「週報」が発行されている。
抵抗や反抗はよくないこととされ、初等科でまず教わるのは「規則を守ること、わがままをせず我慢を覚えること、指導的立場の人間に従うこと」の3つである。
トゥーレの母親は「羽虫」と呼ばれる帰る故郷を持たない流民で、「羽虫」の血を半分ひくトゥーレはそのことでいじめや蔑みの対象となる。「羽虫」ながら通りに店を構えた修繕屋の男は火事で大やけどを負った。
これは過去なのか、それとも未来図なのか。1枚の写真に写る人々のうえに、何かが起きた。章ごとに視点人物を変えて、その何かがこれから語り明かされるだろう。
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この静かな町で、半年の間に5人の人間が消えた。最注目の俊英が描く、「壊れてしまった世界」。
★新連載「彼らは世界にはなればなれに立っている」収録
「カドブンノベル」2月号は1月10日(金)発売!
(追記)
2020年10月30日(木)単行本発売決定!詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000901/