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レビュー

2018年映画公開!! 日本ミステリ史に燦然と輝く悪徳警官小説の金字塔!『孤狼の血』

 警察小説を書くのは難しい。警察の組織、階級、捜査の実態、関連する符牒(ふちょう)について、詳細な知識が必要となるからだ。
 ヤクザ小説を書くのは、さらに難しい。この世界には独特の仕来りや隠語、疑似家族制度が存在する。たとえば、親分の弟分である舎弟と長男に当たる若頭ではどちらが偉いのか。盃の格で言えば舎弟だが、組の実権はナンバーツーの若頭にある、といった具合だ。絶縁と破門、処払いの処分の基準とその違いについても、ひと言で説明するのは困難である。また警察官の呼び名ひとつとっても、デカ(明治期の刑事が着ていた角袖からきた言葉で、カクソデのアナグラム、クソデカからクソが消えたもの)、サツ(警察のサツ)、ポリ(ポリスのポリ)、デコスケ(制帽の徽章がオデコにあることからそう呼ばれているが、多分に侮蔑の意味が込められている)、マル暴(暴力団の暴をマルで囲んだ警察用語で暴力団のことだが、暴力団対策担当の組織や刑事にも適用される)、暴力(暴力団係の刑事を指すが、主に関西で使われ、一説には暴力団よりも暴力的だから、という笑い話もある)など、多岐にわたる。通り一遍の生半可な知識では、とても書けるものではない。
 警察小説とヤクザ小説を融合させたリアルな物語を描くことが、いかに至難の業であるか、読者も納得いただけるだろう。
 その至難の業に、果敢に挑戦し、見事な成果を生みだしたのが、柚月裕子『孤狼の血』である。
 舞台となるのは、昭和六十三年の広島県呉原市。著者の出世作である佐方貞人シリーズ(『最後の証人』『検事の本懐』『検事の死命』、いずれも宝島社文庫)にも登場する、呉をモデルにした架空の都市だ。物語は刑事に成りたての主人公、日岡秀一巡査(25歳)が、呉原東署に赴任するところから幕を開ける。直属の上司となるのは、二課主任の大上章吾巡査部長(44歳)。暴力団係の捜査員としては抜群の実績を誇り、警察庁長官賞をはじめとする警察表彰の数は県警トップの敏腕刑事だ。だが一方で大上は、行き過ぎた捜査で不名誉な訓戒処分も数多く喰らっていた。組織で浮いた存在の大上は、かねて暴力団との癒着を噂され、県警監察室から目をつけられている、という設定である。
 日岡の赴任初日を描く一章からして凄い。「二課のけじめはヤクザと同じよ」と(うそぶ)く大上は、のっけから、日岡を組員引致の引きネタにしようと罠を仕掛ける。折から呉原は、老舗の博徒・尾谷組と、新興組織の加古村組のせめぎ合いで、一触即発の空気に包まれていた。加古村の背後にいるのは、長年、呉原で覇を争ってきた五十子会だ。会長の五十子正平は県下最大の暴力団・仁正会の副会長で、尾谷組組長・尾谷憲次の服役中を狙って、呉原を掌中に収めようと画策してきた。そんななか、加古村組系列のフロント企業・呉原金融で経理を担当していた上早稲二郎が行方不明になる。上早稲の失踪に加古村組が絡んでいると睨んだ大上は、「いずれ、広島の極道を束ねる男」と目を掛けている尾谷組若頭の一之瀬守孝や、学生時代からの〝盟友〟である瀧井組組長・瀧井銀次から情報を得て、捜査を続けるが、事態は思わぬ方向へ流れ、やがて血で血を洗う抗争事件の火蓋が――というのが、ストーリーの骨子だ。
 まず着目すべきは、昭和六十三年の広島、という絶妙な舞台設定だろう。ご承知のように、平成四年には暴力団対策法が施行され、またその後、各都道府県で暴力団排除条例が制定されるなど、暴力団とそれを取り巻く環境は劇的な変化を見せた。日本最大の暴力団抗争と謳われた山口組と一和会の、いわゆる山一抗争が終焉を迎えたのは平成元年。昭和の末期は、暴力団がもっとも暴力団らしかった時代と言っても、過言ではない。また広島と言えば、言わずと知れた『仁義なき戦い』の舞台である。本書で炸裂するリアルな広島弁の怒号は、最大の読ませどころのひとつだ。本書の世界観が『仁義なき戦い』に依拠していることは、一目瞭然だろう。
 実際、柚月裕子は本書が「『仁義なき戦い』なくしてはあり得なかった作品」であることを、何度もインタビューで述べている。
 面白いのは、深作欣二監督の『仁義なき戦い』をレンタル店で借りてはじめて観たときの感想だ。
「世の中に、こんな凄い映画があったのかと、脳天をかち割られるほどの衝撃を受けた」(「本の旅人」二〇一五年一月号)と述懐し、たちまちネット通販でDVD全八作ボックス(正編五作、『新・仁義なき戦い』シリーズ三作)を購入したという。さらには東映実録ヤクザ映画に嵌り、『北陸代理戦争』『仁義の墓場』など深作監督の映画はあらかた入手したそうだ。そんな関連作品のなかにあったのが、本書のキーワードとなる『県警対組織暴力』である。
 一九七五年に封切られた『県警対組織暴力』は、東映実録路線のなかでも異色の映画である。主人公はヤクザではなく刑事。舞台は倉島市という架空の都市だが、県警は広島県警がモデルであることは歴然と映る。菅原文太演じる久能徳松巡査部長が、倉島市での暴力団抗争を阻止するため、老舗の博徒・大原組若頭の広谷憲次(松方弘樹)に肩入れし、新興組織の川出組を潰しにかかる、という物語だ。骨格だけ見れば、本書は明らかに、この『県警対組織暴力』を下敷きにしている。
 ただ、ここで強調しておきたいのは、本書の世界観や骨格は『仁義なき戦い』および『県警対組織暴力』に準拠しているが、物語は完全にオリジナルのストーリーに仕上がっている点だ。本書には様々な資料を読み込んだと思しき跡が散見されるが、著者は膨大な資料を咀嚼し、ほぼ完全に自家薬籠中の物としている。これを男性作家ではなく、女性作家が書いたという事実に、驚く読者も多いに違いない。それほどの迫力と熱量が、本書にはある。
 冒頭を読みはじめた読者のなかには、悪徳刑事・大上と新人・日岡の関係性に、デンゼル・ワシントン主演の『トレーニングデイ』(アカデミー賞主演男優賞受賞)を想起する方もあるかもしれない。事実、悪徳凶暴刑事と新人刑事の一日を描いた『トレーニングデイ』は柚月の好きな映画のひとつと聞く。本書の凄いところは、読者にそう思わせたうえでの、意表を衝く展開である。この展開に寄与しているのは、大上の、どこか憎めない、濃密かつ圧倒的存在感であろう。
 ヤクザと癒着している大上は、粗にして野だが卑ではない、という人間だ。それは、読めば徐々にわかってくる。上司の違法捜査を難詰する日岡に、大上はこう諭す。

「世の中から暴力団はなくなりゃァせんよ。人間はのう、飯ィ食うたら誰でも、糞をひる。ケツ拭く便所紙が必要なんじゃ。言うなりゃあ、あれらは便所紙よ」

「わしらの役目はのう、ヤクザが堅気に迷惑かけんよう、目を光らしとることじゃ。あとは――やりすぎた外道を潰すだけでええ」

 
 詰まるところ大上はヤクザを必要悪と認定し、持ちつ持たれつの関係を維持したうえで、堅気に迷惑をかけた外道を逮捕する、というスタンスなのである。悪徳というよりも、悪漢と言った方がしっくりくる造形なのだ。
 大上の魅力に酔いつつ迎えたクライマックス――物語はまたしても、あっと驚く展開を見せる。まさか、そんな――と、思わず声を上げた読者も少なくないだろう。
 しかし驚くのはまだ早い。最終章で明らかにされるすべての構図は、圧巻の一語。本書では各章の冒頭に掲げられた日誌の一部が削除されているが、その理由も含めて、すべてが明らかになるのだ。警察上層部対現場刑事、ヤクザ対警察、そして迫真の暴力団抗争。昭和の匂いを纏った男たちを描く、ひりつくような熱き群像劇と見せつつ、構成にミステリ的興趣(きょうしゅ)を存分に含んだ傑作に仕上がっている。第六十九回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編部門)を受賞したのも、むべなるかな、だ。
 孤狼の血を受け継ぐ、ラストの余韻がまたいい。私なんぞは身震いするほどの昂奮を覚えた。控え目に言っても、大傑作。もっと言えば、日本ミステリ史に燦然と輝く悪徳警官小説の金字塔であろう。
 私ごとき者の言では信用できないという読者のために、本書を絶賛した賛辞および書評を紹介しよう。

緻密な構成、卓抜したリアリティ、予期せぬ結末。いやぁ、おもしろい。正統派ハードボイルドに圧倒された

作家・黒川博行氏

すごい小説があったものだ。読み始めたら途中でやめることは絶対にできない

文芸評論家・北上次郎氏、「日刊ゲンダイ」二〇一五年九月十一日付

 
 発売たちまち話題沸騰し版を重ねた本書は、ヤクザ映画の本家本元・東映での映画化が決まっている。全編、呉市中心に広島県でのロケという異例の態勢で、撮影はすでにクランクアップを迎えたそうだ。監督は『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』で知られる俊英・白石和彌、大上を役所広司、日岡を松坂桃李、一之瀬を江口洋介、紅一点のクラブママを真木よう子、他豪華俳優陣が連なるという。二〇一八年春の公開が、いまから待ち遠しくて仕方ない。
 読者にとって嬉しい知らせをもうひとつ。本書の続編に当たる『凶犬の眼』(「小説 野性時代」連載中)が佳境に近づいており、そう遠からぬうちに店頭に並びそうだ。『孤狼の血』に熱狂した読者には、こちらも待ち遠しくて仕方ないだろう。
 本書の文庫化と前後して、「読売プレミアム」で連載が終了した著者の新作長編『盤上の向日葵』(中央公論新社)も発売される。こちらは将棋界を舞台にした柚月版『砂の器』とも言える本格サスペンス。
 いよいよもって、柚月裕子からは目が離せない。いま最も〝旬〟な作家の傑作を、どうか存分に堪能していただきたい。
 
――二〇一七年七月
 
 
>>映画『孤狼の血』公式サイト


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