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レビュー

オーストラリアの少年少女達の青春成長小説――初めての日本で“言葉”を巡る大冒険!『ジャパン・トリップ』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:北村 浩子 / ライター、日本語教師)

ジャパン・トリップ』の「トリップ」は、旅か、旅行か。タイトルを見たとき、そんなことを考えた。

「長旅」とは言うけれど「長旅行」とは言わない。『男はつらいよ』のフーテンのとらさんがするのは旅で、旅行じゃない。意味を分けるとしたら、ときにどこへ行くか分からないのが「旅」で、日程が決まっているのが「旅行」かな。ここに書かれているのは、どちらのトリップなんだろう──?

 わたしは日本語学校で働いている。仕事柄でもあるが、言葉を拾ってこんなふうにあれこれ考えるのが好きだ。「旅」と「旅行」のような類義語は、「大事」と「大切」とか「役に立つ」と「便利」など、挙げ出すとどんどん湧いてくる。無意識のうちに使い分けて(しまって)いるから、違いを分かりやすく説明するのは難しい。学生に質問されてもすぐには答えられなかったりする。日本人だから日本語が分かる、使いこなせるから理解しているとは言えないよなあと、そのたびに思う。

 言葉を分かっているって、どういうことなんだろう。毎日使っている、自分から出てくる言葉は、自分そのものなのか。

 いわ作品を読むと、いつも「言葉と人」について考えずにはいられなくなる。ざいおさむ賞、おおけんざぶろう賞受賞のデビュー作『さようなら、オレンジ』は、異郷で出会った三人の女性の生き直しと友情を、彼女たちが「生きるための言語」を獲得する姿を通して描き出した作品だった。二作目の『Masato』は、父親の転勤でオーストラリアで暮らすことになった十一歳のあんどうまさが、英語と格闘しながら新しい自分をいだしていく二年間の軌跡を、続編の『Matt』はそれから三年後、仲間たちにマットと呼ばれるようになった真人の人間関係とアイデンティティを巡る模索を描いていた。そしてこの『ジャパン・トリップ』は、メルボルンの小中一貫校、ローランド・ベイ・グラマー・スクールに通う子どもたちが、日本と日本語を体験する物語だ。

 メルボルンは、オーストラリアにおける日本語教育発祥の地と言われている。オーストラリアの日本語学習者は、日本人が想像するよりもたぶんずっと多い。国際交流基金のウェブサイトに掲載されている二〇一八年度の調査によると、その数なんと四十万人以上。学習者は初等、中等教育(日本の小学校から高校に当たる)段階に集中している。日本語は主に「学校の授業」で学ばれているのだ。

 第一章の「My トリップ」はいわゆる地の文がなく、校内の会場に集まった人たちの声だけで構成されている。その場で誰かが回しているビデオカメラの映像を見ているかのようだ。姉妹校協定を結んでいる大阪のりようせい学院への訪問とホームステイ、京都観光という「ジャパン・トリップ」の詳細を説明するのは、日本語の授業を担当しているコータ・ヤマナカことやまなかこうろう。彼は日本語学習と「トリップ」の目的についてこう述べる。

違う言語を学ぶことで、母語の成り立ちや文法をより深く理解したり、母国の文化を客観的にとらえることができるようになります
他の文化や言語に親しく触れることで他文化に対する寛容性を養うことになるでしょう

 寛容という言葉に照らされて浮かび上がるのは〈この人の英語もスゴイわね?〉〈理解できるからいいんじゃない?〉と、光太朗の英語をうっすらする保護者の会話だ。そのような目線を持つ親も、一部だがいることが分かる。もちろん、光太朗には強い味方もいる。ベテランの同僚、リアン・オキャラハンがその一人だ。ときに滑り気味のユーモアを発動するタフでおおらかな彼女は、学校のムードメーカー的存在だ。そして、なんと言っても子どもたち。光太朗の授業が大好きで、日本に興味津々の彼らは、滞在中は電車やバスに乗って通学することや、太秦うずまさ映画村の画像に大歓声を上げる。驚き、興奮しながら感嘆しているようでもある。日本語の勉強に意欲的なジョジーナ、「どうしても行きたい」と、親に対し初めて自分の意志を強く表明したシャンテル、ニンジャが大好きなローガン、日本での買い物を楽しみにしているニックら九人の「旅行トリツプ」が、いよいよ始まる。

 旅程の前半のてんまつが書かれた第二章は、十二歳のショーンが物語の中心になる。彼がホームステイすることになったみやもと家は、まさあきの夫婦と九歳の双子の四人家族。綾青に子どもを通わせている他の家庭との経済格差を茉莉は気にしているが、「タタミ・マット」や「金色のボウルが置かれた木の箱」、お湯の冷めないバスタブがある木造住宅は、ショーンにとってはハイテクとローテクが混在する不思議の館だ。家族の日常に加わり、彼は「生活という文化」を次から次へと体験する。やんちゃな双子が難しい漢字を読めることに感動し、タコヤキを食べ、電車の乗り方のマナーを知る。おいしいものや快適なものに出会うと、母親不在の家庭で自分を育ててくれた愛情深いナン(おばあちゃん)のことを必ず思い浮かべる。

 ナンへの感謝の気持ちから、ショーンは日本へ来たかった一番の理由を口にはしない。しかしナンは気付いている。気付いていることをショーンは知っている。この、祖母と孫の関係がいとおしくせつない。日本に慣れてきた滞在三日目、「理由」をめぐるかつとうに背中を押され、ショーンは自分でも思いがけないことをしてしまうのだが、抱きしめてくれる茉莉の全身から放たれる優しさに向けて彼が発した言葉が「オカーチャン」であることに胸がしめつけられる。ずっと抱えてきた小さな空洞に、すっぽりと温かく収まる「オカーチャン」。「日本語の」「オカーチャン」であることに、大きな意味があるのだ。

 ショーンの一人称パートと、雅明と茉莉に焦点を当てた三人称のパートがあることで、彼らが生きてきたこれまでの時間をも読者は見渡すことができる。だからこそショーンが得た思い出がとても個人的な、かけがえのないものに思える。初日の「アリガトウ」は、大阪を離れる日に「アリガトウ、ゴザイマス」になる。ゴザイマス、には三日間分のショーンの気持ちがこめられている。相手の言葉で伝えると渡せる気持ちが何倍にもなることを、彼はこの「トリップ」で知ったに違いない。

 ショーンが泣き笑いの濃密な時間を過ごしていた一方で、もどかしさといらちを募らせていた子もいた。優等生のハイリーだ。京都観光をしながら、彼女は消えないもやもやと闘っている。ホストファミリーのユイカの家で英語練習マシーンのように扱われたうえ、一番の仲良しのキーラともけんかをしてしまい、んだりったりの気分なのだ。

 ハイリーは自分に困惑する。仲間が示してくれる優しさ、あらしやまの雪景色、可愛い和小物の店、お店の人の接客英語……それらがないまぜになって心を刺激する。わけの分からない感情が奔流するのを抑えられない。

 彼女は、しかしほどなくして気付かされる。自分だってユイカと同じことをしていた。通りすがりの日本人にインタビューをするというアクティビティで、自分はキーラの〈出番〉を知らず知らずのうちに奪っていた。話す喜び、外国語が通じた、使えたという誇らしさを自分だけのものにしたいという気持ちがどこかにあったんだ──と。

ユイカ、別の言葉喋るのってすっごく楽しいよね、なんでユイカがあんなに英語で喋りたがったのか、わたし、わかったよ

 キーラとの仲直りを経て、ハイリーは心でユイカにそう語りかける。「すっごく楽しい」のは、話したいという想いと言葉を受け止めてくれる相手がいるから、そして自分も受け止める側になれるから。「トリップ」で九人は、ハイリーが得たようにそれぞれの実感と喜びを手にしたことだろう。帰国時の大きな笑顔がその証拠だ。



「主役」の子どもたちを支える「主人公」、光太朗のことを最後に書きたい。

 米屋の三男坊として生まれ、一流食品会社に就職したものの、虚無感に耐え切れず渡豪。異国の地で人一倍の努力をしてきた自負を持つ、熱心な教師だ。

 彼は、言葉がコミュニケーションにおいて果たせる領域とそうでない領域があることを知っている。言葉を尽くせば分かり合えるわけではないということも知っている。将来を思い描いた恋人との別れも、言葉の限界を思い知らされた経験のひとつだったかもしれない。〈言葉なんかおそろしく頼りないね、たかがしれている〉と、キーラとのけんかを打ち明けるハイリーに光太朗が言う場面があるが、心を込めて日本語を教えつつ、言葉は万能ではないと認識している人物であることがこの小説に厚みを与えている。

「トリップ」の二年後のある時間を切り取ったラストの掌編「ひとりごと」に、光太朗の母は国語の教師だったという記述がある。最後に置かれたあん西ざいふゆの一行詩「てふてふが一匹だつたん海峡を渡って行った」は、母が少年の頃の光太朗に教えたものだろう。夜、暗い教員室で彼はひとりこの詩を口にし、両腕を広げる。詩のタイトルは「春」だ。

 日本から海を渡り、オーストラリアにやって来て十年。過去の恋を上書きできそうな気配もある。光太朗の「トリツプ」は、これからも続く。

岩城けい『ジャパン・トリップ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000211/


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