相次ぐ映画館の閉館などで、大画面での映画鑑賞が贅沢なことになりつつある昨今。しかし、今年で八年目となる〈午前十時の映画祭〉のおかげで、この秋、久しぶりに「悪魔のような女」を大きなスクリーンで観ることができた。
 メガホンを取ったアンリ=ジョルジュ・クルーゾーは、ヒッチコックの好敵手ともうたわれたフランスの名匠だけど、この映画を初めて観た半世紀近く前の衝撃は今回少しも薄れていなかった。それどころか新たな発見もあり、この作品の細部に気を配った演出と、真綿で首を締めるようなサスペンスが、ミステリ映画の聖典と呼ぶにふさわしいものであることを再認識することになった。
 さて、東西の名作映画の数々をモチーフにした赤川次郎の〝懐しの名画ミステリー〟は、先に第一集の『血とバラ』があるが、それに続く本書には、その不朽の名画「悪魔のような女」をタイトルにいただいた作品をはじめ四作が収録されている。その表題作を含めて収録作品を順繰りに見ていこう。
 冒頭の『暴力教室』の原典は、リチャード・ブルックス監督によるアメリカ映画(1955年)である。原作者で脚本も担当したエヴァン・ハンターは、〈八七分署〉シリーズでおなじみエド・マクベインの別名で、原作『暴力教室〔決定版〕』の序文からは、職業訓練校の教師だった自身の経験をもとに同作が書かれたことを読み取ることができる。
乱暴者あばれもの」「理由なき反抗」「ウエスト・サイド物語」と、当時流行した不良、非行少年映画の中にあって本作を特徴づけているのは、主題曲として流れるビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」だろう。映画公開とともに曲はセールスを伸ばし、ロックンロール時代の到来を象徴する大ヒットとなった。では映画をご覧でない読者のために、まずは原典のあらすじを紹介する。

 海軍を退役したダディエ(グレン・フォード)は、首尾よくニューヨークの実業高校に国語教師の職を得た。しかし学校は荒廃し、生徒たちは勝手気ままに振舞っていた。着任から間もないある時、生徒に襲われた女性教師を助けたことからダディエは不良たちの反感を買うが、グレゴリー(シドニー・ポアチエ)という名の黒人生徒のリーダーシップが目にとまり、クラスをまとめようとする。しかし、反抗的なアーティ(ヴィク・モロー)は、妊娠中の妻アン(アン・フランシス)を巻き込んでダディエに攻撃を仕掛けてくる。

 映画では荒れる若者、小説では従順な生徒と、昔と今ではティーンエイジャーも大きく変わったが、止まないいじめの問題をはじめとして彼らをとりまく環境は、より一層の深刻さを増していることに改めて気づかされる。
 教え子の自殺で悩む主人公の女教師に同僚で恋人の男が「暴力教室」の映画を引き合いに出し、こう語る場面が印象的だ。「今の方がずっと怖いかもしれないよ。表面上の平和の陰で、暴力ではない暴力がはびこっているんだからな」。恐怖小説もお手のものの作者会心の一編だろう。
 次の『召使』はイギリス映画(1963年)で、監督は「唇からナイフ」や「暗殺者のメロディ」などでも知られるジョセフ・ロージー。原作はロビン・モームの小説だが、ノーベル文学賞も受賞している劇作家のハロルド・ピンターが脚本を担当し、主人と召使の危うい力関係を皮肉たっぷりの不条理劇風に仕立てている。
 召使といえば、少し前に日本でもドラマの「謎解きはディナーのあとで」や「黒執事」などがヒットし、〝執事〟ブームを招来したが、執事もまたイギリスで中世以降に広まった召使という職種の一つだった。召使役を不気味に演じたダーク・ボガードは、本作で英国アカデミー賞を受賞、当時二十歳そこそこのサラ・マイルズの小悪魔的な女召使も蠱惑こわく的だ。

 ブラジルから帰国した青年貴族のトニー(ジェイムズ・フォックス)は、召使の求人に応募してきたバレットを一目見て採用する。男を異様に感じたトニーの恋人(ウェンディ・クレイグ)は、クビにするよう忠告するが、彼は取りあおうとしない。やがて家事を有能にこなす一方で、狡猾こうかつな召使は愛人を妹と偽り、同じ家に住まわせることを主人に承諾させる。かくして男女三人の奇妙な同居生活が始まるが、不穏な緊張関係はほどなく飽和点を迎えてしまう。トニーは二人を追い出すが、それもまた召使の思う壺だった。

 仕える相手がデヴィッド・ボウイ似だった若き日のジェイムズ・フォックスということもあり、映画の召使と主人の関係は、BL好きの腐女子をときめかせるだろう。しかし小説の中で2DK暮らしの平凡なサラリーマン夫婦を訪ねてくる召使は、どちらかといえば『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造に近く、その後もブラックな展開が待ち受ける。
 雇う者と雇われる者の立場の逆転といえば、ミステリ・ファンならハリー・クレッシングの『料理人』を思い出すかもしれない。幸運に踊らされ、人生を狂わされていくこの夫婦の物語は、黒いユーモア漂う『料理人』の奇妙な味とも見事に共鳴する。
『野菊の如き君なりき』は、この名画シリーズ初となる邦画からの本歌取りである。1955年に木下惠介監督が撮った同題映画が伊藤左千夫いとうさちおの処女小説『野菊の墓』を原作としていることは、多くの方がご存知だろう。
 民子たみこ役の有田紀子の瑞々しさが語り伝えられる名作(同年の「キネマ旬報ベスト・テン」3位)だが、後に富本壮吉監督が安田(大楠)道代(1966年)、澤井信一郎監督が松田聖子(1981年)と、それぞれの民子役を起用して、映画化している。

 農村地帯を流れる川を小舟が行く。船頭と言葉をかわしながら、老人(笠智衆りゅうちしゅう)は遙か昔を回想していく。旧家の次男坊だった彼がまだ十五歳の頃、手伝いのためにやってきていた二つ年上の従姉いとこの民子と気が合い、仲が良かった。恋心というにはあまりに幼い互いの思いだったが、周囲はよこしまな噂を立て、二人の仲をことさらはやしし立てた。優しい母(杉村春子)も、家族の揶揄を聞き流すことができず、やむなく政夫(老人の若き日を田中晋二が演じる)を遠方の寄宿学校へ追いやり、民子は実家に返されてしまう。

 川を行く舟の上から始まるところや、純真な恋が引き裂かれる悲劇を描く点は同じでも、小説のテイストは原典とだいぶ異なる。旅人がやってくることを知った旧家の当主は忽然こつぜんと姿を消し、旅人を乗せた渡し舟の船頭はやがて死体で発見されるからだ。
 画面が楕円形となる回想場面がソフトフォーカスの効果をあげ、ノスタルジックな時代設定(明治期)や、挾まれて行く詩歌が郷愁を誘う映画に対し、小説の謎めいた事件はやがて登場人物の一人が抱いた邪悪な心を暴いていく。さらに半ひねりを加えてみせる幕切れににじむそこはかとない叙情は、本歌取りの奥義と言っていいかもしれない。

書籍

『悪魔のような女 懐しの名画ミステリー(2)』

赤川 次郎

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2018年01月25日

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    書籍

    『血とバラ 懐しの名画ミステリー(1)』

    赤川 次郎

    定価 648円(本体600円+税)

    発売日:2017年07月25日

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      書籍

      『三毛猫ホームズの卒業論文』

      赤川 次郎

      定価 691円(本体640円+税)

      発売日:2017年05月25日

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