数学者・望月新一教授が提唱したIUT理論(宇宙際タイヒミュラー理論)は、「未来から来た論文」と称されるなど、数学界のみならず、世界中におどろきをもたらしました。
論文を発表した望月教授と、議論と親交を重ねてきた数学者・加藤文元さんが、『宇宙と宇宙をつなぐ数学』を刊行します。
数学に詳しくなくても、「え? わかったかも!」と魔法にかかったような感覚を味わえる本書。その「はじめに」を公開いたします。

著者・加藤文元さん
はじめに
この本の目的は、望月新一教授が、整数論の非常に重要で難しい予想問題である「ABC予想」に関連して発表した「宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論」について、広く一般の読者にわかりやすく伝えることにあります。IUT理論は2012年に望月新一教授によって発表されて以来、一般社会でもさまざまな形で話題となりました。また、数学者のコミュニティーも、これに対してさまざまに反応をしてきました。残念ながら、現在までのところ、まだ専門雑誌にアクセプトされるという形で事態は解決していませんので、数学界はまだ完全にこの理論を受け入れたことにはなっていません。
欧米や日本も含めて、世界中の多くの数学者たちにとって、IUT理論の受けとめられ方はさまざまですが、多くの場合、次のような印象をもたれている感があります。「IUT理論とは単に新奇な抽象概念が恐ろしく複雑に絡まりあっている理論装置で、その中身はあまりに複雑なので、それをチェックすることは人間業では到底困難である」。したがって、だれもその真偽をチェックできない以上、これ以上まともに請けあってもしょうがないと、多くの数学者たちは考えているようです。また、この理論に疑義を唱えている数学者もいます。望月教授はそのような何人かと、2018年の春に京都で議論する機会があり、数学者のコミュニティーではかなり話題になりましたが、そこでもこの論争に対して結論的合意に達することができませんでした。このことも、IUT理論についての上記のような印象に拍車をかけているようです。
筆者は、IUT理論は「単なる抽象概念の複雑な絡まり」などではないと考えています。それはひとつの数学の「やり方」として極めて自然なものです。この点は、望月教授本人や、多くの関係者の不断の努力によって少しずつ理解者が増えている一方で、今現在に到っても大部分の数学者たちにはなかなか浸透していないのが現状です。
この本では、IUT理論がそれこそ数学者ではない一般の人たちにもわかってもらえるような「自然な考え方」に根ざしている、ということを中心テーマに据えたいと思います。そうすることで、IUT理論のような数学の専門家だけにしかアクセスできないような技術的に困難な理論と同様の考え方や思想に基づく理論の定式化を与えることだってあり得ると思われます。そういうことを、本書では読者に伝えたいと思っています。
本書では、それだけでなく、より一般的な見地から数学と社会とか、数学と産業といった広範な話題についても触れたいと思っています。というのも、今現在、世界では数学と社会の関わりについて、これまでの歴史にはなかった新しい流れや関係性の構築が始まっているように思われるからです。現代という時代は、以前に比べても飛躍的に、数学が社会のいたるところに見られる時代です。本書の前半を読めば、実は私たちのポケットの中にだって、現代的でとても高級な数学が入っていることがわかるでしょう。そういう意味で、ここで改めて数学という学問や、数学者の仕事について読者の皆さんにお伝えすることは、社会と数学という観点からも意義深いことだと思います。
いずれにしても、IUT理論をめぐる数学界の状況は、数学の現在と未来、そして数学と社会という視座からも、数学と数学界のさまざまな姿を浮き彫りにしてきました。数学のような、答えの真偽がはっきりしている世界で「正しさ」にまつわる論争が起こるということ自体、一般の読者にとっては不思議なことに思われるでしょうし、にわかには信じがたいかもしれません。
しかし、このような現状が、かえって数学という学問の多様性や豊かさを示しているとも言えるでしょう。そういう意味では、この本は、数学関係の本としては、今までになかった種類のものであると言えるかもしれません。
本書の内容は、2017年10月に行われた数学イベント「MATH POWER 2017」における筆者理論がその背後に擁している基本思想を、一般の読者にもわかりやすく伝えられますし、IUT理論が将来起こすかもしれない数学上の革新について実感してもらえることでしょう。また、IUT理論は複雑な理論装置でしかないと思っている数学者たちの印象を、少しでも緩和することもできるかもしれません。
IUT理論の詳細な数学的内容の技術的検証は、査読者やIUT理論の研究に携わっている研究者の仕事であり、その点について、本書は何か新しい寄与をしようとするものではありません。むしろ、仮に現在の状態がしばらく続くとしても、IUT理論の根底にある自然な考え方や思想そのものの重要性は変わらないでしょう。実際、だれか別の人が別の角度から、IUTの講演がもととなっています。したがって、この講演に際してお世話になった方々には、本書の執筆においてもお世話になっていることになります。
特に、講演や本書の執筆を筆者に提案し、その内容について相談に乗っていただいたカドカワ株式会社の川上量生氏と、講演のスライド作成に尽力していただいた株式会社UEIの清水亮氏に感謝したいと思います。川上さんには、本書の解説も書いていただきました。また、本書の実際の執筆に際しては、株式会社KADOKAWAの郡司聡さん、大林哲也さん、堀由紀子さんに大変お世話になりました。
そして、最後に、いろいろな行きがかり(それがどのようなものかは、本文を読んでください)から私にこのような素晴らしい機会を与えてくださった、古くからの友人である望月新一教授に感謝の意を表したいと思います。
2018年12月 大岡山にて
加藤文元
『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』

加藤 文元
定価: 1,728円(本体1,600円+税)
発売日:2019年04月25日
https://www.kadokawa.co.jp/product/321802000140/