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試し読み

【新連載試し読み】乾ルカ「明日の僕に吹く風は」

10/10(水)より配信の「文芸カドカワ」2018年11月号では、乾ルカさんの新連載「明日の僕に吹く風は」がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。

離島の高校で、少年は人生を取り戻していく。
心の傷を抱える少年の、成長と再起の物語。

 

 もしもあの日がなかったら、世界はどう変わるだろう?
 僕の世界は。

 川嶋有人かわしまゆうとはスマートフォンの小さな画面に目を凝らし、標的を探していた。右の人差し指で細かくスワイプして視点を変え、左の人差し指でズームを操る。高層ビル、建築用大型クレーン、鉄塔、ペントハウス。液晶の中はアメリカの都市部だ。この中で八人のプレイヤーがスナイパーライフルを構えている。銃声は聞こえる。他のプレイヤーは既に銃撃戦を始めたらしいのに、自分は倒す相手を見つけられない。落ちる前髪が邪魔だ。右にスワイプ。画面の下のメッセージは『ターゲットが見えない』。もう少し動かす。『ターゲットは遠くにいる』になった。メッセージの下にオレンジのゲージが出た。左右から中央に向かうそのゲージは、しかしまだ隙間が広い。ぐいと指を引くと、ようやく『ターゲットは近くにいる!』に変わり、一気にゲージの両端が接近した。
 林立するビルの屋上に、対戦プレイヤーを発見した。ズームする。伸びた髪が画面の一部を隠す。苛立ちのままに頭を振る。
 と、画面がかしいで有人は死んだ。正確には、有人の分身であるプレイヤーキャラクターが。
 ヘッドショット一発だった。銃声もなかった。武器をカスタマイズしてサイレンサーをつけているのだ。
 一度殺されたら、蘇ってもう一度戦闘に参加するまで十秒待たなくてはならない。その間に、他のプレイヤーはどんどんポイントを積み重ねていく。有人は自分を撃ち殺したスナイパーを確認した。現段階で既に有人を含めて三人スナイプし、トップの位置にいる。プレイヤー名の横には星条旗。通信対戦だから世界中から参加者が集まるとはいえ、なんでこんなときに。向こうはそろそろカウントダウンじゃないのか?
 最下位の日の丸プレイヤーは有人だった。
 二分間のラウンドはまだ終わっていなかった。残り時間は一分以上あった。
 だが、有人は接続を切った。
 どうせこのままドベだ。相手が悪すぎる。おそらくゲームに金をつぎ込んだ課金兵だろう。そんな奴に勝てるわけがない。こっちは無課金なんだから。
 このゲームもつまらなかったな。
 有人は鼻を鳴らし、ゲームアプリを削除しようと、アイコンを長押しした。
「有人」
 階下から母の呼び声がした。怒っているような、呆れているような、ほとほと情けないというような口調。
「下りておいで。せっかく雅彦まさひこ叔父さんも来ているんだから」
 これだから正月は嫌なんだ――有人は階下のリビングのにぎやかさを思う――うちは本家だから、それなりに親戚が集まる。久しぶりに親戚が集まったとき、話題は互いの家族の近況だ。特に幸子さちこ伯母は小うるさい。
 ――お兄ちゃんの和人かずとくんは、附属駒場こまば高校よね。今年はうちの加奈かなと一緒で受験でしょ? すごいわあ、どこを受けるの? やっぱり医学部? ここを継ぐんでしょう?
 ――加奈はお茶の水よね。頑張んなさいよ。
 ――有人くんのほうは今何年生? 駒場附属の……違うわね、ごめんなさい。どこの私立中だったかしら。高等部へはエスカレーターで行けたんだった?
 想像しただけで頭髪の毛根がちりちりして、いたたまれないのだから、リビングに顔を出すなど言語道断だった。幸子伯母は心配してくれているのだと父はかばうが、有人には言葉の裏の本音が透けて見える。
 うちの子が登校拒否にならなくて良かった、引きこもりにならなくて良かった、ああいうふうにならなくて良かった。
 どうせ、出席日数不足で高等部には進めなかったことくらい、承知なのだ。
 有人は自室のドアに背を押しあてて床に座った。親戚なんて早く帰ればいい。おまえらは、お年玉配給係でしかない。閉め切ったカーテンの向こうが、いつもより明るい気がする。もさっさと落ちろ。夕方になれば、客は帰る。
 腐りながら、意味もなくフローリングの板間を指先でなぞる。今年は雅彦叔父も来ているのか。叔父が正月に帰省するのは、何年ぶりだろう?
 雅彦叔父には、ちょっとだけ会いたい気もした。就学前はよく遊んでもらった。父とは十歳近く年の離れた叔父は、研修医として福井の大学病院へ赴任するまで、同じ食卓を囲んでいた。当然と言えば当然だ。ここは叔父の実家なのだから。
 有人にとって、雅彦叔父は叔父というより兄のような存在だった。二つ年上の和人よりも、親しみと頼りがいを感じるほどだ。和人は近すぎて、コンプレックスを刺激される。たとえば受験。和人が合格した私立中に有人は落ちた。確かに兄は優等生だった。でも有人は、兄の優秀さは努力の結果だと見ていた。地頭じあたまで勝るのは、つまり本当に優れているのは自分だ、同じだけ頑張れば、より良い成績で合格を勝ち取れると信じていた。だから、ショックも大きかった。有人の中学受験以降、両親の期待ははっきりと和人に注がれるようになった。
 引きこもりになったのが和人じゃなくて良かったと、両親は胸をでおろしているはずだ。
 その点、雅彦叔父は違った。両親が叔父と有人を比べることはない。叔父も和人と自分を比較しない。
 なにより、叔父は憧れの対象だった。
 しかし、皮肉なことだが、叔父への憧れが、あの日を招いたとも言える。
 そうしたら、急に叔父が憎たらしくなって、有人は立てた膝に額を押しつけ、頭を抱えた。すべての音がこもって聞こえる。飛行機に乗っていると、ときどき耳がおかしくなるように。
 飛行機。あのときの叔父があんまり格好良かったから、自分も叔父のようになりたいと思ってしまったのだ。

    *

 ――ただいま当機内におきまして、急病人が発生しております。お客さまの中に、お医者さま、または看護師の方がいらっしゃいましたら、お近くの客室乗務員までお声がけをお願いいたします。
 一瞬で張り詰めた機内の空気。ざわめき。探り合うような気配。そんなものを一掃するように、叔父は立ち上がった。通路を歩いていた客室乗務員に言った「私は医師です」との声は、ごく普通の挨拶みたいに落ち着き払っていた。八つだった有人は、乗務員に先導されていく白いセーターの背を、ベルトを緩めて見送った。
 叔父と和人と有人、三人での冬休みの旅行だった。子どもの長期休暇に付き合えない開業医の両親に代わって、当時大学病院に勤務していた叔父が、休暇をねん出してニセコへスキーに連れて行ってくれたのだった。ドクターコールは、新千歳から羽田への帰途だった。
 若い客室乗務員が兄弟の席へやってきて、叔父さんは着陸まで席には帰って来られないと謝った。
 ごめんね。なにかあったら、そのボタンで呼んでね。君たちの叔父さんは、とってもすごいのよ。すごいから、助けてもらっているの。もうすぐ飛行機は高度を下げるから、おトイレに行きたかったら今のうちに行っておいて。着陸したらそのまま席で待っていてね。
 羽田空港に着陸し、ボーディングブリッジが接続されるや、救急隊員が乗り込んできて、急病人を搬送していった。それから、他の乗客が降りた。さっきの客室乗務員がやってきて、叔父がいるはずだった席に座り、もうちょっとここにいてねとジュースをくれた。
 ――叔父は今どこですか?
 有人の頭越しに和人が尋ねた。
 ――一緒に救急車までついて行っているの。申し送りをしなくちゃいけないって。
 ――急病の方はどうなったんですか?
 ――きっと大丈夫。搬送されるときは意識がはっきりしていたから。君たちの叔父さんのおかげよ。
 客室乗務員の顔には安堵の色が浮かび、瞳はわずかに潤んでいるようにも見えた。
 やがて叔父が姿を現し、いつもの笑顔で有人たちに降機を促した。荷物を持つという客室乗務員の申し出は、必要ないと柔らかく断った。
 ――少しでもお役に立てたのなら、私も良かったです。
 有人たちが機内を出るとき、客室乗務員のみならず、パイロットの制服を着た二人の男性も見送りに出てきて、深々と頭を下げた。ネクタイを締め左胸に胸章を飾り、袖口に複数の金のラインがあるパイロットは、まるでテレビに出てくる俳優のようだった。
 でも有人の目には、なんでもない白のセーターにジーンズ姿の叔父のほうが、はるかに格好良く映った。
 叔父みたいになりたい。こんなふうになりたい。
 小さな憧れの花が、その日有人の心に咲いたのだ。
 叔父がどれほど格好良かったか、有人は両親に話した。意外なことに両親、特に父はあまりいい顔をしなかった。父は深夜バスで帰るという叔父をつかまえ、苦言を呈した。
 ――客として乗った航空機内だぞ。応召義務違反は問われないだろう。今回はたまたま患者が軽症だっただけだ。ろくな機器もない環境で、一歩間違えば寝覚めの悪いことになる。
 叔父は穏やかに言い返した。
 ――知識や技能があっても、生かせないのなら、ないのと同じだよ。次も俺は名乗り出る。これは医師の心構えとか、そういう問題じゃない。生き方の問題なんだ。

    *

 その叔父が。
「有人。いるんだろう?」
 ドア越しに声をかけてきた。
「少し話をしたいんだが」
 顔を見たくないし、話もしたくない有人は、獲物に狙われた小動物のように身を硬くして気配を殺す。
「有人の気持ちもわからなくはないよ。辛いよな」
 だったら放っておいてほしい。一人にしておいてほしい。それを声に出して伝えるかわりに、沈黙で答える。
 叔父は察したようだ。間が生まれた。
「一つ教えてくれないか」再び話しかけてきた叔父の口調は、昔となんら変わらなかった。「有人はどうしたい?」
 頭を抱える手に力を込める。
「引きこもり続けるのが、おまえのしたいことなのか?」
 責めているのではない。純粋に尋ねている。
「有人。ちょっと未来の自分を想像してみないか」
 首の後ろがざわりとなり、続いて首から上の毛穴がぶわっと開いた。睨みつけるフローリングの木目に、白目を剝く少女の顔がよぎった。
「どうしても話したいことがある」
 叔父の声が滑るように降りてくる。上から聞こえていたのが、有人の頭と変わらぬ位置まで。叔父もドアの向こうで座ったのだ。
「七時の飛行機で帰るけど、ぎりぎりまでここで待つから」
 ――未来の自分を想像してみないか。
 うっざ!
 有人は体を搔きむしった。むずがゆくてじっとしてなどいられなかった。なんだ、あの言葉は。世の中のウザいものすべてを集めて、三日三晩煮詰めたみたいだ。
 ウザさの濃縮エキスだ。蒸留酒だ。ミュートワードにするべき単語だ。未来なんて。
 そんなものなんてないのに。
 あの日、消えたのに。


(このつづきは「文芸カドカワ」2018年11月号でお楽しみください)
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