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試し読み

およそ一万人に一人、特殊能力を持つ者がいる。『夜がうたた寝してる間に』大ボリューム試し読み#2

 およそ一万人に一人。それが全世界における特殊能力所持者の割合だと言われている。能力は人によって様々だ。透視能力や発火能力のような漫画や映画に出てきそうなものから、体に花を咲かせたり他人の産まれたときの体重が頭の上に見えたりというような変わったものまである。
 そして俺は、時間を停止させることができる。止められる時間に限りはなく、俺が元に戻すまで、人や物はその動きを殺し続けている。その世界の中で動くことができるのは、俺だけだ。物心がついたときにはもう、俺はこの力を手に入れていた。
 能力者は、能力を持たない一般の人々とできるだけ変わらぬ生活ができるよう支援されている。教育機関についても同様で、受け入れ態勢が整っているところであれば一般の学校に入学することも可能だった。
 この学校は去年から能力者の受け入れを許可するようになった。幸いなことに我が家から近く、天を始め見知った顔もちらほらいて、俺にとっては非常にありがたかった。他の二人はそれぞれ引っ越してきたり遠くから通学してきたりと、それなりの不便さはあるらしい。そして今のところこの学校で能力者は、ここに集まる俺たちだけだ。
 数百人いる生徒たちの中で、たった三人。どんなにこの学校へ溶け込んだつもりでいても、この教室へ来ると自分は異質な存在なのだと思い知らされる。この時間が嫌いだった。
「それじゃあ、各々自習」
 岡先生のその言葉を合図に、それぞれが好きなことをし始める。宿題をしたり、スマホをいじったり。先生も生徒たちに興味を失くしたように、手元の文庫本に目を落としている。
 岡先生は、大人たちの中で唯一の能力者だ。教員免許は持っているらしいが、基本的には俺たち三人の為に駐在している。先生は、周りの能力者の力を封じ込めることができる能力を持っている。
 能力者を受け入れるにあたって、学校側はいくつもの規則を課される、と聞いたことがある。在校生及び学校関係者全てに、入学する能力者の詳細を伝えなければならない。教育者は能力者の学校生活を妨げるような行為をしてはならない。週に一度集まり情報共有をすること、というのもそのうちの一つだ。
 岡先生の仕事は、その週に一度のロングホームルームの担当以外にもう一つある。俺たちの監視だ。要するに、俺たちがテストなどで能力を使って不正を働かないようにしているのだ。とはいえしていることといえばただじっとその場にいるだけなので、当の本人はいつもただひたすらにだるそうにしている。
 この時間は嫌いだが、岡先生は嫌いではない。先生の傍にいるときだけは、普通の人間でいられるからだ。それはきっと俺だけではなく、他の二人も同じだろう。いつも先生が教室に来ると、凍り付いた空気が氷解していくような感覚がある。
 チャイムが鳴った。岡先生が読んでいた本にしおりを挟んでぱたりと閉じる。
「じゃ、また今度」
 かすれた声が響くと、生徒たちは一斉に帰り支度を始める。同時に、ドアを隔てて廊下がわっと騒がしくなる。他のクラスもロングホームルームが終わり、生徒たちで溢れ返っているのだろう。先生がドアを開けると、喧騒が教室の中に入り込んでくる。
 俺はマスクを着け、コートを着込み、かばんを肩に掛けると教室を出る。うちのクラスはまだ終わっていないようで、ドアはぴったりと閉め切られたままだった。廊下の窓際の壁にもたれ、なんとはなしに自分がさっきまでいた教室の出入り口をぼんやりと眺める。女子生徒が二人、ドアの前に立っていた。
 教室から篠宮灯里が出てくる。その口には黒いマスクを着けている。声までは聞こえないが、その二人と談笑する様子が見える。篠宮が目を細め笑う。ロングホームルームではくされた様子しか見せない彼女の、そんな表情は貴重だった。本当に気を許した相手にしかそんな顔をしないのだろう。教室から我妻が出てくる気配はない。どうせいつものようにさっさと帰ってしまったに違いない。
 話しながら三人はこちらへやってくる。俺の目の前に来ても、篠宮はこちらに一瞥すらくれず、通り過ぎる。
「でさ、また灯里に彼氏が浮気してるかどうか調べて欲しいんだって」
「えぇ、またぁ?」
「ね、またかよって感じだよね。そんなに心配なのかな」
 そんな会話が聞こえてくる。
 いろんな生徒が篠宮に、恋人は浮気をしているかとか、想い人に好きな相手がいるかどうかとかをいているということは知っていた。そういう意味では、彼女も一応この学園に馴染んでいるといえる。
 人の心の中を読むことができる。それが篠宮灯里の能力だ。
 篠宮の場合、少し変わった心の読み方をするらしい。相手の顔を見ると、その相手の口から煙のようなものが漂ってくる。その煙の色や匂いは様々だ。どうやら相手の感情によって変わるらしい。たとえば、喜んでいるとオレンジの煙で甘い菓子のような匂い、悲しみを感じているとあいいろの煙で雨で湿ったような匂い、など。実際俺が見たりいだりしたわけではないから本当はもっと複雑なのだろうけど、俺が知っている情報はそれくらいだ。そしてその煙の匂いを認識したときに、相手が何を思っているかが頭の中に浮かんでくるらしい。
 篠宮は俺とは違いその力を受動的に発動させてしまう。つまり意識せずとも、人の顔を見ただけで煙が現れ、こうに流れ込み、心の声が勝手に入り込んできてしまうのだ。
 そこで対策として配られたのが、黒いマスクだ。これを篠宮が着けることによって、煙自体は見えてしまうそうだが、匂いを嗅ぐことができなくなる。そして学校の生徒や関係者にも同じようなマスクが配られた。これは反対に、自分の煙を防ぐためのものだ。これを着けてさえいれば、篠宮に心を読まれることはない。
 篠宮が能力者だと知っている校内の人間のほとんどは、篠宮とたいするときマスクを着けるため、心を読まれることは少ない。けれど校外の人間はその限りではない。能力者は一応襟や胸元などに金色のバッジを常時着用することが義務付けられているけれど、それを外してさえしまえば、篠宮に疑念を抱く者はいない。そうして彼女は、友人やクラスメイトたちのために人々の心の中をのぞいている。
 俺はその事実を、あまり好意的には受け取っていない。知らず知らず自分の心の中を読まれているなんて、ぞっとする。だから俺は篠宮の前では、岡先生がいないと絶対にマスクを外さないようにしている。
 がらりと教室のドアが開いた。飛び出してきたクラスメイトが、俺の顔を見て「あ、アーサー、おつかれー」と声をかける。おつかれー、と俺も返す。しばらく待っていると、榎本と毛利が教室から出てきた。
「あ、アーサー。お待たせ!」
「アーサー、今日バイト? 俺たち今日部活なくなったから、カラオケ行こうぜ」
「今日はバイトなし。あと誰が行くの?」
 毛利がクラスの男子生徒の名前を何人か挙げる。俺はわざとらしく渋面を作ってみせる。
「えー、女子呼ぼうぜ女子」
「アーサー声かけてよー。その方が女子の食いつきいいんだもん」
「分かったよ、しゃあねえなあ」
 教室に入って、スカートの丈の短い女子の集団に声をかける。なあなあ、今日カラオケ行かね? いいけど、あんま今日お金持ってきてないんだよね。大丈夫だって、エノがおごってくれるから。えー、なんでおれなんだよー! なんだよエノ、ノリ悪いぞ。エノ奢ってくれるなら、私行こっかな。え、まじ? 来てくれるの? ほらエノ、チャンスだぞ。ちょ、ちょっと待って! 今財布ん中チェックするから!
 毛利が榎本をからかって、またどっと笑いが起こる。そして、俺も声を上げて笑った。


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