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試し読み

紛れもない天才か、それとも真逆か。和装名探偵と犯人に騙されまくる助手が、レトロな街の難事件に挑む!『谷根千ミステリ散歩』特別ためし読み!#10

「小説 野性時代」で人気を博した、東川篤哉さんの本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』。
10月17日の書籍発売に先駆けて、「もう一度読みたい!」「ためし読みしてみたい」という声にお応えして、集中掲載を実施します!

※サイン本のプレゼント企画実施中!
(応募要項は記事末尾をご覧ください)

>>第9回へ

 ◆ ◆ ◆

 それから、しばらくの後。ひと通りの話を終えた私は、ちゃぶ台の向こうに座る竹田津優介さんに、さっそく意見を求めた。彼は尖った顎を指先で撫でながら、まるで独り言を呟くかのように、淡々とした口調で答えた。
「ふむ、僕が真っ先に思い浮かべたのは、エラリー・クイーンというアメリカのミステリ作家が書いた『チャイナ橙の謎』という探偵小説だ。いわゆる《逆さま問題》とか《アベコベ問題》とか呼ばれるような種類の作品なんだがね。いま聞いた話は、その小説に似ていなくもない」
「え!? そういう探偵小説が存在するんですか」ミステリに詳しくない私は、ちゃぶ台の上に両手を突いて、思わず腰を浮かせた。「だったら、その『チャイナナントカのナントカ』っていう作品が、今回の事件を解決する上で何らかのヒントに……」
「いや、ならないね、たぶん何のヒントにも」
 前もって期待の芽を摘み取るように、竹田津さんは即座に言い切る。私はいったん浮かせた腰を、座布団の上にストンと落とした。「えー、ならないんですかぁ、何のヒントにもぉ?」
「うん、無理だね。詳しい説明はネタバレになるから避けるけど、要するに『チャイナ橙の謎』という作品は、いわゆる《逆さま問題》の嚆矢とも呼ぶべき古典的な名作には違いない。だけど、その解決は現代の我々が読んだときに、いささか首を傾げるようなものでね。正直、いまどきの谷根千界隈で起こった事件においては、あまり参考になりそうもないってことなのさ」
「そうなんですか。それは残念……」
「それに今回、滝口久枝さんの身に起きた事件は、一般的な《逆さま問題》とも少し様子が違うような気がするんだ」
「はあ、そうですか」そもそも《逆さま問題》の一般的なやつ、というのが私にはサッパリ判らないのだけれど──「何がどう違うっていうんです?」
「そうだな。例えば、そう、コレだ。――このクラシカルな和風ローテーブル」
「ちゃぶ台ですね。そういえば久枝さんの自宅の居間にも、ちゃぶ台があったそうですが」
「ああ、ちゃぶ台の上には灰皿が置かれていて、それは伏せられた状態だった」
「つまり、逆さまだった」
「そう。だが、ちゃぶ台そのものは、ひっくり返されていなかった。ちゃぶ台なのに」
「はあ!?」――『ちゃぶ台なのに』って、どういう意味!?
 目をパチクリする私の前で、竹田津さんは自らに問い掛けるように語った。
「なぜ犯人は、ちゃぶ台をひっくり返さなかったんだろう? ちゃぶ台なんて、この現代においては、もはや《ひっくり返されるためにある》。そういっても過言ではない代物だというのに、いったいなぜ。――そう思わないか、つみれちゃん?」
「な、なるほど!」考えてもみなかったことだが、いわれてみると確かに彼のいうとおりかもしれない。コツコツ積み上げてきたストーリーを根底から覆して台無しにすることを、俗に《ちゃぶ台返し》といったりするように、いまやちゃぶ台なんて、ひっくり返してナンボ。この『怪運堂』のように、普通にテーブルとして利用されているちゃぶ台のほうが、むしろ少数派だろう。実際のところ、ちゃぶ台の多くは昭和を舞台にしたマンガやドラマ、コントなどの中で何度も何度も《ひっくり返される》。もはやそのためのアイテムと断言していい。「――確かに、竹田津さんのいうとおりです。それなのに、この事件の犯人ときたら!」
「うむ、この事件の犯人は、居間にある様々なものをひっくり返しておきながら、なぜか肝心のちゃぶ台は、ひっくり返していない。その点に僕は引っ掛かりを覚えるんだよ」
「ううむ……」その点に引っ掛かりを覚える竹田津さんは、紛れもない天才か、もしくはそれと紙一重の存在であるに違いない。思わず唸り声をあげる私の前で、彼はさらに続けた。
「事はちゃぶ台に限らない。今回の現場にはソファとか大画面テレビとか、逆さまにされていないアイテムも結構あるようだ。しかし本来、この手の《逆さま問題》というやつは、部屋の中で目に付くものは片っ端から逆さまにされている――というのが通常のパターンなんだよ。それに比べると今回の事件は、いかにも不完全。どうも中途半端の謗りを逃れられないように思える。ということは、いわばこれは《中途半端な逆さま問題》とでも呼ぶべき事件なのかもしれないね。――さてと」
 そういって竹田津さんは突然、畳の上にすっくと立ち上がると、
「いずれにしてもだ、こんな辛気臭くてカビ臭い店内でウダウダ喋っていたって、何にもいいことなんて起こりゃしない。きっと優れたアイデアも浮かばないだろう」
「えぇー、『何にもいいことなんて起こりゃしない』って、それ、竹田津さんがいっちゃ駄目なんじゃないですか!? だってここ、いちおう開運グッズの店なんだから……」
「なーに、開運グッズで良いアイデアが浮かぶなら、誰も苦労はしないさ」
 と身も蓋もないことを堂々口にした『怪運堂』店主は、畳の小上がりから降りると、愛用の草履を履いて外出する構え。私も慌てて自分の靴を履きながら、
「あッ、出掛けるんですね。――これから、どこへ?」
「そうだな。まず被害者に会って、直接話が聞きたい。それに現場となった居間の様子も、この目で見てみたいところだが……そういうことって可能かな?」
「うーん、そうですねえ」私は彼の怪しい作務衣姿を眺めながら、「竹田津さんが、その恰好でひとりでいっても、たぶん無理でしょうね。でも私がいれば大丈夫です」そういって私はパーカーの胸を親指で示した。「だって私、滝口久枝さんの孫娘の友人ですから。足立瑞穂ちゃんに一本、電話を入れておいてもらえば、きっと会ってもらえるはずです」
「そうか。だったら、君も僕と一緒にきたまえ」
 竹田津さんは彼特有の命令口調で私にいうと、さっさと玄関の引き戸を開けて、外へと出ていく。私も彼の背中を追うようにして玄関を出た。
 竹田津さんがたったひとりで切り盛りする『怪運堂』は、彼が外出してしまえば、無人の店舗になってしまう。当然、その間の売り上げはゼロだ。そんなことで本当に店の経営が成り立つのか。ひょっとして来月には潰れて跡形もなくなっているのではないか。もうちょっと真面目に働いたらどうなんだ、この人――と思わないでもなかったが、そのような現実に、竹田津さんはいっさい頓着しない。《中途半端な逆さま事件》の謎に興味を惹かれる彼は、採算度外視で事件解決に乗り出す構えらしい。申し訳ないけれど、私としては『シメシメ、こちらの思うツボ……』といったところである。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、竹田津さんは店の玄関に鍵を掛けると、玄関先にぶら下がった木の札をくるりと裏返す。《ただいま営業中》だった開運グッズの店は、この瞬間から《本日休業》となった。「――うむ、これでよし」
「…………」ホントにいいのかしら?
 首を傾げる私に向かって、臨時休業を決めた店主は呑気な口調でいった。
「では、ぶらぶら歩いていくとしようか。とりあえず千駄木方面だね――」
 こうして竹田津さんと私は、奇妙な逆さま事件の現場を目指して、二度目の《散歩》に出掛けたのだった。

(このつづきは本書でお楽しみください)

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