さらば、山猫――!?
最強の敵が現代の義賊に襲いかかる。累計90万部の話題シリーズ、堂々完結!
ドラマ化もされ、話題になった「怪盗探偵山猫」シリーズ完結巻、
『怪盗探偵山猫 深紅の虎』がいよいよ刊行。
シリーズ完結を記念し、カドブンでは、シリーズ1冊目の『怪盗探偵山猫』の
試し読みを公開します。
希代の名盗賊の活躍をぜひお楽しみください。
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4
「いい女だねぇ」
男は、望遠レンズの一眼レフカメラを構えると、車から降りてきた女性の
女性の顔に、見覚えがあった。昨晩も見かけた。名前は、さくら──。
何かを感じたらしいさくらが、一瞬動きを止め、辺りを見回す。
だが、男は見つからない自信があった。男がいるのは、犯行現場の向かいにあるビルの屋上。
直線距離で四十メートル以上離れている。
肉眼で存在を確認するのは不可能だ。
だが──。
「勘のいい女だ」
男は、ポケットから板チョコを取りだし、一口かじる。
暑さで、軟らかくなったチョコの甘さが、口いっぱいに広がっていく。
「うん、マズイ」
男は、ぼやきながらも、カメラのレンズを事件が起きたビルの七階の窓に向ける。
数人の鑑識の人間が、犯人の
しばらくして、現場に中年の男が入ってきた。こちらも、見覚えのある人物。
「どうする? 関本警部補」
男は、カメラのレンズ越しに見える関本に語りかけて、微笑んだ。
〈この事務所のセキュリティーは?〉
耳に差したイヤホンから、その関本の声が聞こえてくる。
〈入り口のドアだけです〉
あとから入ってきたさくらの声が、それに応じた。
〈盗まれたものは?〉
〈調査中です。ただ……〉
さくらが、言い
〈なんだ?〉
〈この会社は、廃業届を提出していたそうです〉
さくらの言葉を聞き、関本が押し黙った。
しばらく、無言のまま事務所の中を歩き回っていた関本が、不意に足を止める。
〈金庫は、犯行当時のままか?〉
〈はい〉
さくらが答える。
男は、カメラを金庫に向け、最大限までズームアップした。
五十センチ四方の、自立型耐火金庫で、ピンシリンダー式の
鍵穴の部分は、ドリルのようなもので壊された形跡があった。テンキーのパネルも、破壊されている。
「素人だな……」
男は、
プロの犯行であれば、あの程度の金庫なら、十五分もあれば形跡を残さずに開けることが可能だ。
〈あの……〉
別の男が、会話に割り込んできた。
男は、カメラを向けて確認する。鑑識作業を行っていた捜査官だった。
〈なんだ?〉
関本が、不機嫌に応じる。
〈まだ、確認中ですが、パソコンのデータが全部消えてるんですよ〉
〈データだと?〉
関本が、驚きの声を上げた。
男も、それに同感だった。何かの意図があって、データを消したと考えるのが妥当だ。状況から考えて、それは被害者の今井によるものではないだろう。
それから、細かい情報を幾つか確認したあと、関本とさくらは事務所を出ていった。男は、それを確認してから携帯電話を取り出す。
一回目のコール音が鳴り終わる前に、相手の女が電話に出た。
〈もしもし〉
「状況はどうだ?」
〈予想通りよ。女がいたわ。あとで詳細をメールしておく〉
電話に出た女が、簡潔に答える。
「頼む」
〈そっちの調子はどう?〉
「今のところ、想定内だ。関本が放っておいても、情報を流してくれるからな」
〈バカな男ね〉
女が、声を上げて笑った。
男も同感だった。真実を知ったとき、関本がどんな顔をするのか──男は、それを想像して
「一つ、頼みがある」
男は、間を置いてから切り出した。
〈なに?〉
「盗聴器と発信機を、幾つか用意して欲しい」
〈在庫はあるけど、数にもよるわよ〉
「取り
〈それなら、すぐに手配できるわ。あとで、店に寄って〉
「分かった」
〈鼻の調子はどう?〉
「悪くない」
〈結構、お金かかってるんだから、大切に扱ってよ〉
「分かってる」
男は電話を切ると、荷物を片付け、屋上をあとにした。
5
アパートを出た勝村が、最初に向かったのは、犯行現場のビルだった。
昨晩は、混乱していて、じっくり観察することができなかったので、改めて自分なりに現場検証をしようと考えていた。
ビルのエントランス前には、昨晩と同じように黄色い立入禁止のロープが張られていた。
他のフロアに用事があるふりをして、ビルの中に侵入しようと思っていたが、制服警官二人が見張りをしていて、侵入は難しそうだ。
だが、このまま何もせずに帰るのでは、あまりに無意味過ぎる。せめて、犯行現場である事務所を見ておきたい。
──裏口に回ってみよう。
勝村は、ビルの前を通り過ぎ、ぐるっと路地を回ってビルの裏手に足を運んだ。
鉄製のドアが見えた。〈夜間通用口〉というプレートが貼ってある。
──あそこから入れるかも。
歩みを進めた勝村だったが、急にドアが開き、中から制服警官が出てきた。
勝村は、電柱に身体を滑り込ませるようにして身を隠した。
心臓がバクバクと音を立てて脈動する。
──危ない。
警察官が、正面のエントランスだけ見張っているというのは、浅はかな考えだった。裏口にいても当然だ。
電柱から顔を出し様子をうかがい、制服警官が歩き去るのを待った。
外に出た制服警官は、無線で何やらやり取りをしたあと、正面の方に向かって走っていった。
──今がチャンス。
視線を走らせると、換気用の小窓が開いているのが目についた。
おそらくトイレの窓だろう。あそこから侵入することができるかもしれない。
勝村は、意を決し、身体を
──誰もいない。
勝村は、窓の中に顔を突っ込み、窓枠に手を置くと、そのまま身体を持ち上げ、侵入を試みる。
だが、肩にかけていたカバンが引っかかり、思うように侵入できない。
「クソっ!」
勝村は、一度身体を窓から出し、先にカバンを中に放り込んだあと、もう一度同じ要領で窓からの侵入を試みる。
──今度は、うまくいった。
一息つき、カバンを肩にかけたところで、トイレの扉が開いた。
──しまった!
入って来たのは、運悪く制服警官だった。
あまりに突然のことに、勝村は静止ボタンを押されたように、ピタリと動きを止めた。制服警官の方も驚いたようで、しばらくお互いに見合うかっこうになった。
「こ、ここで、何してる」
制服警官が、声を上げた。
「あ、いや……その、ぼくは……」
「質問に答えなさい」
「いえ、で、ですから……」
極度の緊張で、冷静な判断力を失った勝村は、制服警官にくるりと背中を向け、窓から外に逃げようとした。
だが、それは最悪の選択といえた。
「待て!」
叫び声とともに、制服警官は勝村に飛びかかり、窓から引き
「ち、違うんです!」
「大人しくしろ!」
制服警官は、抵抗する勝村を一喝すると、手を後ろに回し、そのままトイレから引き
騒ぎを聞きつけ、他の警官たちも集まってきた。
「ち、違うんです。ぼくは、雑誌記者で取材しようと思って……」
必死に弁解するが、時すでに遅しだ。
警官たちは、完全に勝村を犯人扱いしていた。
「噓をつくな。逃げようとしただろ」
「いや、だから、あれは……」
「詳しい話は、署で聞かせてもらう」
警官は、ついに勝村に手錠をかけた。
手首に感じる冷たい感触に、絶望的な気分になってくる。
「何があったの?」
声を上げながら走ってくる、女性の姿が見えた。それは、勝村にとって救いの女神だった。
「さ、さくら先輩……」
「勝村! こんなとこで、何やってんの?」
勝村が、懇願するように視線を向けると、さくらが、目を丸くして声を上げた。
「ちょっと事情がありまして……」
勝村は、ほっと息をつきながら言った──。
〈第5回へつづく〉
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