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特集

680万部突破の神永学「心霊探偵八雲」、待望の新作ショートストーリー!

くも君。大変」
 ざわはるは、声を上げながら〈映画研究同好会〉のドアを開けた。
 定位置である椅子に座っていた部屋のあるじさいとう八雲は、いかにも面倒臭そうに顔を上げると、これみよがしにため息を吐いた。
「騒々しいな。何の騒ぎだ」
 あくびをみ殺しながら言う。
「実はね──」
 向かいの椅子に座り、しやべりだそうとした晴香だったが、八雲は手をかざしてそれを制した。
「喋るな」
「どうして?」
「どうせ、君のことだから、どこかでトラブルを拾ってきたんだろ」
 ──正解だ。
 今は、黒い色のコンタクトレンズで隠しているが、八雲は生まれつき左眼が赤い。
 ただ赤いだけではなく、その瞳は死者の魂──つまり幽霊を見ることができるという、特異な体質をもっている。
 これまで、その能力をかし、数々の事件を解決してきた。
 晴香が八雲と出会ったのも、ある心霊事件がきっかけだった。それ以来、心霊がらみのトラブルがある度に、八雲に相談を持ちかけていた。
 そのせいで、八雲からはトラブルメーカーと不名誉な呼称を与えられた。
 強く否定したいところだが、今回、八雲のもとを訪れたのは、まさに心霊がらみのトラブルを抱えているからだ。
「話くらい聞いてくれてもいいでしょ」
「嫌だ」
「どうして?」
「面倒臭いからに決まってるだろ」
 八雲は、ぴしゃりと言うと、テーブルの上に置いてあった文庫本を手に取り、ペラペラとページをめくり始めた。
 どうあっても、話を聞く気はないらしい。
「そっか……。そうだよね。いきなりトラブルとか持ちかけたら、迷惑だよね。ゴメン。八雲君の気持ちも考えずに……」
 晴香はうつむき、軽く下唇を嚙みながら、ゆっくりと立ち上がった。
「本当にゴメンね。自分で、何とかするから……」
 晴香は、もう一度謝罪をしてから、八雲に背を向けてドアノブに手をかけた。
 ──あれ?
 ここまですれば、同情して呼び止めてくれると思ったが、その気配はない。
「本当に、帰るけどいいの?」
 思わずいてしまった。
「言っておくが、その程度の芝居で、ぼくをだまそうとしても無駄だ」
 ──バレていた。
「お願い。本当に困ってるの」
 晴香は、もう一度八雲に向き直り、必死に懇願する。
「────」
 ──無視された。
 こうなれば、強硬手段に出るしかない。
「実はね、私の友だちが、呪われているらしいの」
「誰が喋っていいと言った」
 八雲が、不機嫌そうに眉をひそめる。だが、今度は晴香が無視してやった。
 強引に話を進めれば、八雲は乗ってくるはずだ。
「有名な占い師に鑑定してもらったら、悪霊に呪われているって言われたらしいの。このまま放っておくと、その呪いによって、自分だけではなく、親族に至るまでたたりが及ぶって」
「祟りねぇ……」
 八雲が、本のページを捲りながらだるげに答える。
「逃れるためには、何十万もする水晶玉を買わないといけないみたいで……」
「見え透いた霊感商法だ。無視すればいいだろ」
 ──よし。段々乗ってきた。
「そうなんだけど、自分以外の人にも累が及ぶって言われたら、放っておけないでしょ。それに、放っておけない事情もあるの」
「事情?」
「うん。それ以降、友だちの身の回りで、変なことが起き始めたらしいの」
「具体的に、どんなことだ?」
「車にねられそうになったり、駅のホームで背中を押されたり──危ないことが何度かあったらしいの」
 占い師が言ったように、身に危機が迫りつつあるのだから、無視する訳にもいかない。このままでは、本当に自分が死んでしまうのではないかと、すっかりおびえてしまっているのだ。
「だから、八雲君に助けて欲しいの」
「もし、それが事実なら警察に相談すればいい。立派な殺人未遂だ」
「警察にはもう言ったの。でも、これが悪霊の仕業なら、逮捕することなんてできないって」
「何度も言うが、幽霊は……」
「人のおもいの塊のようなもので、物理的な影響力はない──でしょ。それは分かってるけど、放っておけないよ。だから助けて」
 改めて懇願したが、八雲は相変わらず本のページを捲っていて、顔を上げようともしない。
 こうなったら奥の手だ。
「問題が解決できたら、ちゃんと報酬が出ると思う」
 しばらくの沈黙のあと、八雲がパタンと本を閉じた。
「幾らだ?」
 八雲が、無表情に問い掛けてきた。


 晴香は、駅の改札前に立つ美奈子に、大きく手を振った。
「晴香ちゃん」
 美奈子が、手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。
 が、すぐ近くまで来たところで、晴香の隣にいる八雲を見て、ピタッと動きが止まる。
「あ、こちらは斉藤八雲君。心霊現象の専門家なんだ。色々と協力してもらおうと思って、呼んでおいたの」
 晴香は、早口に説明した。
 美奈子は、丁寧に「よろしくお願いします」と頭を下げたが、八雲は肩をすくめるようにして「どうも」と答えただけだった。
 相変わらず無愛想だ。
「美奈子に何かいてる?」
 晴香は、小声で八雲にたずねてみた。
 もし、占い師の言ったことが本当だとしたら、美奈子には何かしらの霊がひようしているということになる。
 晴香には何も見えないが、赤い左眼をもつ八雲なら、その真偽を確かめることができるはずだ。
「いいや。何も」
 八雲は小さく首を振る。
「ってことは、やっぱり占い師はインチキだってこと?」
 晴香が訊ねると、八雲はこれみよがしにため息を吐いた。
「そうやって、結論をくから、真実を見失うんだ。少しは学習して欲しいものだな」
 言い方は腹が立つが、そう言われても仕方ない部分もある。
 八雲には何も見えないが、それは今は──という注釈がつく。時間帯や場所によって変化する可能性は、これまで何度も指摘されてきた。
「ゴメン」
「それで、くだんの占い師の事務所はどこだ?」
 八雲がガリガリと頭をかきながら美奈子に目を向けた。
「案内してくれる?」
 晴香が訊くと、美奈子が「うん」とうなずいて歩き出した。
 歩きながら、八雲が改めて美奈子の身の上に起きた出来事について質問をした。
 道路での一件や、駅のホームのことについて、日時や場所、周囲の状況など、子細にわたって訊ねた。
 美奈子は、戸惑いながらも、それについて答えていく。
 そうこうしているうちに、ファミリー向けマンションの前に差し掛かった。美奈子は、そこで足を止める。
「このマンションの402号室」
 美奈子が、マンションを指さしながら言った。
 庭には緑が設けられ、クリーム色の壁のしようしやな建物で、占い師の事務所があるようには思えなかった。
「ぽくない」
「ぽくないってのは、どういう意味だ?」
 晴香の独り言に、八雲が口を挟んできた。
「占い師がいるようには、見えないなぁって思ったの」
「それは先入観だ。そうやって決めつけるから……」
「はいはい。私が悪かったです」
 晴香は、八雲の小言を遮った。いちいち、耳を傾けていたら、胃に穴が開きそうだ。
「一つ訊いていいですか?」
 八雲が、人差し指を立て、美奈子を見据える。
「な、何でしょう?」
 美奈子は、顎を引き、緊張した面持ちで言う。
「件の占い師のことは、どうやって知ったんですか?」
「大学のOBの方の紹介です。ありさんといって、今は出版社に勤務しているんですけど、取材で知り合った、よく当たる占い師がいる──と」
「フルネームと、出版社名は分かりますか?」
 美奈子は「はい」と答えて、有部のフルネームと、勤務している出版社の名前を告げた。
 八雲は、メモを取ることなく「なるほど──」と答えると、改めてマンションに目を向ける。
 細められたその目は、いつもより曇っているように見える。
 もしかしたら、自信がないのだろうか? いや、八雲に限ってそんなはずはない。きっと。
 いよいよ、占い師に会いに行くかと思うと、晴香まで緊張してきた。
 ところが──。
 八雲は、くるりとマンションに背中を向けてしまった。
「え?」
 驚く晴香を無視して、八雲はさっさと駅に向かって歩いて行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ。どこ行くの?」
 慌てて呼び止めると、八雲がため息を吐きつつ振り返った。
「どこって、帰るに決まってるだろう」
 さも当然のように言うが、全然納得できない。
「占い師に会いに行くって言ったじゃない」
「会いに行くなんて言ってない。事務所はどこか聞いただけだ。目的は達成された。だから帰る」
「全然、達成されてないよ。美奈子は、どうすればいいの?」
 晴香が詰め寄ると、八雲は苦い表情を浮かべた。
「うるさいな」
「うるさくもなるわよ。だって……」
「そうだな。三日ほど黙って待っていればいい。それで、全て解決だ」
「は?」
「聞こえなかったのか? 黙って三日間待て──そう言ったんだ」
 それだけ言い残すと、八雲は歩き去って行った。
 残された晴香は、美奈子と顔を見合わせることしかできなかった。

 ──もう。何なの。
 晴香は、不満を抱えながら大学へと歩いていた。
 占い師がいるマンション前まで行ったものの、八雲は「三日間待て──」と言い残して、さっさと帰ってしまった。
 当然、美奈子は不安がり、どうすればいいのかと問いただしてきた。
 せめて説明だけでもしてもらおうと、八雲に何度も電話をしたのだが、コール音ばかりで、留守電にすら切り替わらなかった。
 最初は、何か予定があるのだと思っていたが、折り返しの連絡すらない上に、メールまで無視しているのだから、おそらくはえて避けているのだろう。
 そうこうしているうちに、八雲が言っていた三日が過ぎてしまった。
 電話やメールだと無視されそうなので、こうして直接足を運んだというわけだ。
「八雲君、いる?」
 晴香は、声をかけながら〈映画研究同好会〉のドアを開けた。
「何だ。君か──」
 ようやく八雲に会えたのだが、相変わらず気怠げな表情でポツリと答えるだけだった。
「何だ──じゃないわよ。もう三日ったよ」
「そうだな」
「早く解決しないと、美奈子が……」
「もう解決した」
 八雲は、そう言ってから大きく伸びをした。
「え?」
「聞こえなかったのか? あの事件は、もう解決した」
「どういうこと? だって……」
「ニュースを見てないのか? 検索してみろ。記事が上がっているはずだ」
 いったいどういうことだろう?
 晴香は、困惑しながらも、スマホを使ってネットで言われた通りに検索してみた。
 するとニュースの記事が幾つもヒットした。
 その記事によると、女性に対する暴行容疑で、有部という出版社勤務の男が逮捕された。駅の防犯カメラの映像が決め手になったらしい。
 その後、有部は、占い師と共謀し、客を突き飛ばすなどして、危険な目に遭わせることで、悪霊に憑依されていると信じ込ませ、けとして水晶玉などを高額で売りつけていた──との供述をした。
 その後の捜査で、占い師も詐欺容疑で逮捕されたとのことだった。
「これって……」
「そう。問題の占い師だ」
「どうして急に?」
「君の友だちは、警察に相談したとき、悪霊がうんぬんという言葉を口にした。そのせいで、警察はまともに取り合わなかった。だから、悪霊ではなく、暴行の疑いがあると警察に助言をしておいたんだ」
「ああ……」
 言われて納得した。
 確かに、悪霊に背中を押されたと言っても、警察は動かない。だが、人であれば話は別だ。
 八雲の助言で、警察は防犯カメラの映像を解析し、有部が捜査線上に浮上したということだろう。
 有部は、おそらく後輩の中から、詐欺に引っかかりそうな学生を探していた。
 美奈子のように、気の弱そうな子を見つけては、占い師を紹介し、そこで悪霊にとり憑かれていると脅した上で、信憑性を持たせる為に、隙を見て背中を押したりして、危ない目に遭わせていたのだろう。
 八雲は、そこまで見抜いたからこそ、敢えて占い師に会うことなく、あとを警察に任せたということのようだ。
 三日待て──というのには、そうした意味が込められていたのだ。
 警察が、どうして八雲の助言を素直に聞いたのかという疑問が浮かんだが、それはすぐに消えた。
 みの刑事、とういしだ。
 あの二人なら八雲の言うことを真剣に聞き入れ、捜査をしてくれるはずだ。
 事件が解決したことは、喜ばしいことだが、ちょっと残念な部分もある。八雲とインチキ占い師との対決を見てみたかった気もする。
 そのことを告げると、八雲はふっと息を漏らして笑った。
「無駄な労力を使わないのが、ぼくの主義だ」
 八雲らしい言い分だ。
「それより、報酬はきっちり払ってもらうぞ」
 八雲が、じっと晴香を見据える。
「報酬って……解決したのは警察でしょ」
「誰をどう使おうと関係ない。もらうものは、きっちり貰う。これもぼくの主義だ」
 がめついというか、何というか──。
 それに、困ったことに、今回、実は美奈子に報酬が発生するとは言っていない。八雲に動いてもらう為の方便に過ぎない。
 晴香が肩代わりするにしても、今は月末で金欠だ。とても、払えるような状況にない。
「私、報酬払うって言ったっけ?」
「言った」
 八雲が、腕組みをしてむっとした顔をする。
「えっと……ゴメン」
 もう、ここは素直に謝るしかない。
「謝って済むなら、警察はいらない。分割にしてでも、きっちり払ってもらう」
 容赦のない八雲の言葉に、晴香は深いため息を吐いた。


了 

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