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試し読み

【試し読み】芝村裕吏『猟犬の旗』第一章②

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 男はそのまま来た道を降りて行った。個人の持つ情報を局限するのがうちのやり方ではあるが、さすがにこれは非効率じゃないか。ついでに俺も今から降りるところだ。下で情報をくれてもいいじゃないか。
 まあいい。非効率は日本のお家芸だ。
 しかしもう少し厳重に撒いておくべきだったな。俺は少し、慎みが足りない。そういうスパイは、いいスパイではない。
 一旦戻って、岩の上に座り込む。即座に動いて、次に来る情報を拾えないのは恥ずかしいことだ。それに、携帯が使えないというのが気にかかる。優先回線は安全性にも留意されているはず、なんだが。
 サイバー攻撃でも受けているのか。
 日本がひっくり返りそうな事態を色々想像してみる。そりゃ色々な原因で起こりうるだろうが、俺たちだって何もしていない訳じゃない。俺たちがつかんでいるであろう何かの前兆はあるだろう。今回はそれがない。ないとするなら天災だろうが、そういうのがあれば、たとえ富士山の山頂でもスマホを片手に皆が何かを口にするはずだ。
 それに俺たちの仕事は、何もなかったことにすることだ。ということは、事件はまだ起きていないが、緊急対応が必要なものということになる。携帯電話各社の安全性確認を待つ暇もない、ということか。それにしては俺に向ける情報の与え方が小分け過ぎる。緊急事態なら、リスクをとってでもある程度の情報の塊は寄越してもいいはずだ。
 何事も前例がない俺たちの稼業は、創意工夫と技術革新で成り立っている。いくら麗しのわが職場でも状況に応じて与える情報量を変化させるくらいの臨機応変さは持っていてもいいはずだ。ということはなんだ。俺に敵の監視でもついているのか。
 なるほど。それで連絡役があの格好をしていたのか。監視をさらに監視して、敵の規模を確認するというところだろう。俺も連絡役も、囮、という事か。
 やっぱり慎みは重要だな。休暇だからって羽目を外すべきじゃない。
 まずは監視を外すことにして、俺は山梨側に降りることにした。江戸の昔から利用されている道で歩きやすい。俺を監視するグループがどれくらいの人員構成でやっているのかは分からないが、交代要員も含めて二〇人くらいはいるだろうと仮定する。
 どこの国か知らないが、それだけの人数を動員する価値が俺にあるかね。まるでVIPだ。
 山梨側に動いたことで、敵の人員の半分は無駄になったと考える。残り一〇人。行く手に五人、追跡二人、交代要員三人だろう。道を外れて動けば予想外というところだろう。人のいない樹海に行けば敵は銃で撃つくらいしか対応できない。それで勝ち、と行きたいが、俺が囮でない可能性もあるからこの手は使えない。仕方ないので走った。足を引っかけられて転落死する可能性はあるが、基本すれ違いの時に大回りすればいいだけの話だ。
 木々のない岩地を走り、少しずつ緑が復活するのを目で追いかける。走られると追跡隊も走るしかないので、普通に考えればそれで正体を明かすことになってしまう。敵はそんな間抜けはしないだろう。となれば、敵は電話で俺の行く先に人を動員して対処するしかなくなる。残り五人。増員をいれてくる可能性はあるが、諸外国の工作員で二〇人の同時投入というのもちょっと考えにくい。増員はないだろう。
 緑に囲まれながら駆け下りる。足首を固めた靴を履いていてよかった。一息、というには息が切れるが五合目までついた。観光バスが並び、土産物屋が軒を連ねる駐車場に出た。一気に降りてきたせいで、山頂にはない普段は気にならない車の排ガスが気になる。まあ、昔よりはマシ、なんだが。
 土産物屋もこの時間にはまだ開いてない。何気なく置かれている取っ手が折り畳める荷物搬入用の台車を見つけてこれを利用することにした。台車の上に足を掛けて蹴り、そのまま道に出た。下り坂を台車で下りる。子供の頃にやって以来だが、意外にうまく乗れる。ペルーの山で子供たちは坂道を台車転がして遊んでたものだ。遊びと言っても命がけで、俺が始めた頃から三年間で一〇人の友達が七人になっていた。
 その理由は速度にある。富士スバルラインのような長い坂道では時速七〇㎞くらい出てしまう。俺は台車に乗ってそのおかしさに顔を歪めた。これで、監視は全部振り切った計算になる。
 速度をあげ、ぎょっとする対向車を足を伸ばした靴ブレーキで方向転換して避けて、さらに台車の上で寝そべって加速した。警察に捕まる前に、あるいはカーブで曲がり切れなくなって事故死する前にどうにかしないといけない。幸い前をバスが走っていた。
 深呼吸一つ。バスの後ろからその下を通過する。手足を伸ばしてバスのフレームに摑まった。あとは腹をひっこめれば、台車と別れる。今度は握力の問題、ってほどでもない。たしなみの一つとして手首を固定するフックくらいは持っているものだ。あとは道路に凹凸がないのを祈るだけ。祈りに満ちた人生だ。
 ゲラゲラ笑いながら、停車までの時間を過ごした。
 結局腹を削られることもなく、停車。トイレ休憩かなにからしい。匍匐前進で外に出て、自分の薄汚れた姿に苦笑いする。上着を脱いでゴミ箱に突っ込み、次はどうしようかと考えた。
 とりあえずは監視は抜けたものとして、次は味方に接触しないといけない。新聞を売っている場所を探して歩く。ここは富士吉田市という場所らしい。時間はまだ早い。コンビニで新聞を買った。
 爆発物テロか。線路爆破で東海道本線が今も不通とある。死者もなし。昨日の件だろう。外国人らしい男女二人を捜しているという話で、片方は死体で見つかったことまでは書かれていない。そこまで捜査が及んでないというより、結びつけるに至ってないのだろう。顔写真との照合が行われている最中、そんなところか。
 それ以外に情報はない。新聞をゴミ箱に捨てて衣料品も扱うスーパーに行き、服を買って公衆トイレで着替えた。安いスーツだが、まあ仕方ない。
 さて、どうやって味方に連絡をつけるか。まあ、車を手に入れる方が先か。
 山梨に知り合いはいないが、愛知にはそれなりに知り合いがいる。外国人に人気のある車を売りまくる中古車販売店があって、そういうところの中には書面を誤魔化してくれる奴もある。持つべきものは悪徳業者だ。ま、おいたが過ぎれば潰すんだが。
 山梨から静岡に、そこから新幹線で愛知県の名古屋に移動した。堅実で無借金経営が多い名古屋の駅近くは今、富裕層向けの店が建ち並ぶ豪華な区画になっている。庶民はともかく、経営者のレベルでは堅実に稼いで金が余るという良い状況になっているんだろう。この風景を見る限り、政府の経済政策も、悪いわけではないらしい。
 ここからバスで、郊外へ行く。外国人観光客は少ないようで、そこは東京や大阪と随分違った。国道沿いの中古車販売店へ。冴えないおっさんが家族経営している、どうみてもぱっとしない店なんだが、最近は外国人客に支えられて羽振りがいい。アメリカ向けの古い軽トラックやジムニーが売れているらしい。アメリカの法律の関係で二五年以上前の車しか輸出できず、おかげで新しい年式より古い年式の方が高く売れるような状況だ。今日もアメリカ人らしい外国人が買い付けに来ていた。
 で、この店は帳簿を二つ持って違法な節税に励んでいるときている。顔を見せると店主は顔をしかめたが、俺としては何の感想もない。
「またですか。この二年で三台目ですよ」
「悪いね。次は別の店にするよ」
 あんまり頻繁に利用していると足がつく、というのもある。実際この店のことは職場に知られているだろう。
 店の外に並べられた車を見て回る。俺好みの車はなくて、仕方なくホンダのグレイスに乗ることになった。今となっては貴重な5ナンバーセダンだ。年寄りばっかりが乗っているという話だが、それにしちゃ勿体ない性能をしている。一周見て回って確認。
 内装がチャチだが、まあ、ないものはしょうがない。スパイはあるもので勝負するしかない。
「乗ってみる」
「鍵持って来ますよ」
「いや、いい」
 俺はロック解除ボタンを押した。日本に存在する車の電子ロックを解除できる優れものだった。元は東日本大震災で放棄、放置自動車に悩んで開発されたものだが、こっちの業界にもうってつけというわけだ。
 車に乗り込んだところでドアポケットに紙切れが入っている事に気づいた。見れば暗号、それも職場の暗号だ。やっぱり足がついていたか。見る限り暗号の強度はあまり高くはない。そらで解読できる程度のものだ。二重化もされていない。
 書かれている内容は場所だった。NEOPASA浜松。新東名のサービスエリアがそんな名前だった。
 情報はそこで得られるだろう。俺は車を走らせる。

 休暇を潰され面白くもない一日になるはずだったが、車を転がすと存外楽しい気分になるもので、俺は鼻歌混じりに国道302号を走った。名古屋の環状線で、そこから伊勢湾岸自動車道に乗る。巨大建築物が道になっている感じで、壮大な眺めになっている。ところが日本人は慣れてしまって気にもしていない様子だった。
 そこから一度降りて、新東名高速道路に乗る。ハイブリッド車であるグレイスにとって、高速走行はあまり得意でないはずだが、日本の法定速度くらいでは特に問題にもならず、エンジンに余裕を感じながら走り抜ける。警察沙汰になると面倒くさいので、速度は控えめだが、時速一五〇㎞位なら苦労もなしに出せる気がする。ハンドルもさほどだるくはない。なんだ、いい車じゃないか。内装はチャチだが。
 NEOPASA浜松と大書されたサービスエリアに入る。ピアノを模しているのか、建物が黒くて鍵盤らしきものが描かれている。
 ここに至るまであっという間だった気もするが、これは運転が楽しかったせいもあるだろう。どうせならもっとパワーのある車で来たかった。
 車の中で連絡を待つ。乗ったときの暗号から、上は俺がどんな車に乗っているか把握しているだろうから、あとは連絡を待つだけだ。あるいは店の中で待ってる可能性もあるが、まあ、ないだろう。
 向こうから何気ない顔で男がやってくる。冴えない顔をした眠そうな中年だ。俺がドアのロックを開けると、何食わぬ顔で助手席に乗り込んできた。そのまま袋を押しつけてくる。温かいというより熱い袋だ。中を見ないでも分かるくらいにバーベキューソースの匂いが漂っている。
「どういう話だ」
 俺が中に入っている骨付きの豚肉をかじりながら言うと、隣の男は肩をすくめた。
「昔ながらの連絡法になっているのはなぜか、か? 通信に食い込んだ野菜がいるかもしれない。洗い出しには時間がかかる」
 野菜というのは日本の敵の事だ。慎み深い我々は、敵なんて言葉を口にしたりはしない。
「雇った網屋の身元洗ってないなんて、失態だろ」
 俺が言うと、男は苦笑しながら小さく頷いた。向こうもそう思っていたのはまこと結構なんだが、気分は晴れない。
「俺たちが当然と思っていることはやっているようだがな」
「その上で裏をかかれたんだろ。やっぱり間抜けだ」
 俺は指についたソースと脂を舐めるかどうか迷う。ティッシュくらい買っておけば良かった。仕方なく舐めている間に、男は助手席のシートに深く座り込みながらまたしゃべり出した。
「どうかな。どちらかと言えば、前提が崩れた、という感じだが」
「とりあえず身内だろうと上司だろうと疑う俺たちが、か?」
「ああ」
 そいつは随分な前提だ。日本がひっくり返るくらいの話ということになる。
「で、どうすりゃいい」
「最終的にはテロを防ぐ」
「いきなり普通の仕事だな」
「まったくだ。お前の担当は関西国際空港。ドイツからの情報提供だ。イカれた日本人の活動家がシリア人満載した飛行機でなだれ込むことになっている。三日後になるな」
「空で爆破するなら別のところの仕事だろう」
 俺が言うと、また男は肩をすくめた。癖らしい。
「ところが連中、非武装の平和主義だ。計画はこうだ。合法的に乗り込んで空港に立てこもり、警察に突入、解散させられるまでシリア人の窮状を訴える」
「そんなことはアメリカでやればいいだろ」
「アメリカは端から入国を拒否している」
 それが普通の対応だと思うんだが、日本はそれができなかったらしい。外務省の大失点だな。書類の不備をあげて突っぱねることもできなかったらしい。
 それで尻拭いか。それと携帯電話の不使用命令に何の関係があるのか分からないが。
 俺はフロントガラス越しに外の風景を見る。並ぶ日本車はここがどこかを思い出させる。
「話を聞く限り、俺がどうにかできる話じゃないと思うがね。飛行機が着陸したら終わる。そういうことだろう」
「ああ。それでもどうにかして欲しい、ってな」
「ひでえ話だ」
 おまけのつもりか男は肩をすくめると、車を降りて去って行った。

(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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