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試し読み

【試し読み】芝村裕吏『猟犬の旗』第一章①

ミリタリー小説の新たな形を拓き、大ヒットとなった「マージナル・オペレーション」シリーズ(星海社FICTIONS)の芝村裕吏さんが描く2年ぶりの”スパイ小説“は、”現代日本でテロが起きる”ど派手な展開!!
7月28日の発売を控え、「カドブン」では本日より「第一章 発火」を4日連続で順次公開していきます。発売日を待ちきれない方は本連載を読んで発売日に書店さんにてご購読を!  芝村さん作品に興味津々の方は、是非この機会に”スパイ小説“用に開発した独特な世界・文体に触れてみてください。

推薦コメントも続々到着!
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「低温な一人称を通じて描かれる、日本の危機、外国人の叛乱、異国の人間が日本の情報機関の一員として戦う意義。類のない凄味のある“リアル”が行間から立ち昇る、これぞ現代スパイ小説の新たな風だ!」
宇田川拓也氏(書店員、ときわ書房本店)

「もしもある日、『親日外国人』や『日本を褒める外国人』たちがその安易な役割に甘んじずに反乱を起こしたら、私たちはなにを思えばいいだろうか? そんな想像も抱かせてしまう快作だ。」
安田峰俊氏(ルポライター、「本の旅人」2017年8月号より抜粋)
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『猟犬の旗』 目次

第一章 発火
第二章〝平和〟
第三章 雇用
第四章 外人
第五章 対峙
第六章 日本

何事もないのが一番いい。だが、もしも何事かが起きてしまったら。


第一章

発火

 日本人なら日本語を使えと外人である俺は思うが、セーフハウスという用語だけは、そのまま使っている。仕事上、訳語である隠れ家という言葉に別の意味があるからだ。
 セーフハウスだと政府系。隠れ家だと、非政府系、具体的には敵って意味になる。それで仕方なくセーフハウスという言葉を使っているが、使うたびに顔をしかめている。
 その日俺は、セーフハウスで髭を剃っていた。当然しかめ面だった。セーフハウスに居ると心の中で作文したせいだろう。何年も日本にいるのに未だ、頭の中で日本語の作文をしている。ぱっと日本語が頭に浮かばない。その事実に気付いて、鏡の中の俺はさらに顔をしかめていた。
 浅黒い肌。彫りの深い顔。少しくたびれた、皮肉屋のような目つき。口元が軽薄に結ばれているのは髭を剃っているせいだと信じたい。ペルーじゃそんなに珍しくもないが、日本だと頰骨から顎にかけてが細く見える。印象的な顔っていうのは、仕事上良くないんだが。
 最近じゃ変形可能な頰骨素材とかがひそやかに開発されて使われているが、俺にはまだ順番が来ていない。顔の輪郭を変えるときには脱脂綿を口に含ませている。前時代的だとは思うが、最近顔を変えないといけないような事態になってないのでまあいいかと済ませている。
 しかしまあ、そろそろ整形手術を受けた方がいいかもしれない。この顔が自分の顔に思えてくるようになってしまった。
 顔でもなんでも、人間は一つのことをやり続けるとバカになるもんだ。それは便利屋のような仕事でも例外ではない。便利屋をやり過ぎると便利屋以上になれなくなる。
 悪い事は十分にしてきた。だからその報いとして、このまま一生便利屋みたいな仕事でもいいと思っていた。しかし、バカになるのはどうにも我慢できなかった。悪いやつにはなれてもバカにはなれなかったというやつだ。そんな大した大学を出た訳でもないんだが。
 それで、休暇を取った。長期休暇だ。最近は俺のようなHUMINT専用の要員は需要が少ないらしく、それで休暇は簡単に取ることが出来た。
 とは言っても、俺の職場には就業規則も労働契約もないから適当なものだ。親と呼ばれるやつにしばらく休む、と言うだけだ。理由は言わないし、聞かれもしない。親の方に問題があれば、その場で何か言われて終わる。
 今回の場合は、何もなかった。いや、良い休暇を、と親は言った。親と言っても俺よりは五、六歳は下だろう。元は検事だという噂があるが、どこまで本当かは分からない。就業規則も労働契約もない適当な組織にも序列というのはあって、狂っている順に偉くなる。一番偉いとさらに愛国心も求められる。
 俺はそれほどでもないが、俺の親はかなり狂っていて、自らの意思でこっちの業界に来たらしい。名前も家族も捨てて、ついでにキャリアとしての道も捨てているわけだ。大した狂い方だ。俺はたまに仕事を楽しいと思うくらいでそれほどじゃないし、この業界としては至って普通だが、望んでこの仕事をしているわけでもない。
 ごったがえす東京駅を一人で歩く。気配を消して歩かないでも、誰も俺の方を見たりはしない。人が多いのに自分が影か棒人間になっているような気がする。観光で訪日する外国人が年間二四〇〇万人もいるせいで俺の姿が目立つこともない。職業柄迷うふりをした後で、ホームに上がった。ホームとホームの隙間から夏の終わりの入道雲が見える。高い太陽が、俺を嘲っていた。
 流れる棒人間の一つになって、電車になだれ込む。そこまで人が多い時間じゃないが、今でも残っている外国人としての俺の感覚は、たまらんなと嘆息している。インドかどこかという感じだ。
 もっとも、インドどころかよその国と比べても治安はいい。自画自賛する気にはなれなかったが。
 京浜東北線で品川に、品川から東海道本線に乗り換えて静岡へ向かう。新幹線には乗らない。無駄な時間というのを楽しみたいというわけだ。日本人には分かるまいと言いかけて、最近はそうじゃないよなと考え直した。
 昔、日本人はエコノミックアニマルだと言われていた。せかせか動いて働く、金に食いつくギラギラした獰猛な猿、ってのが一般的な日本人の印象だろう。
 ところが口ではなんと言おうと、強けりゃ真似するやつもいて、目端の利く順に日本の真似をしていった。猿の猿真似をしたわけだ。今は世界中、金持ちは皆エコノミックアニマルだ。日本を笑えなくなっている。
 まあ、俺には関係ないけどね。意識を切り替え、職業柄車内をそれとなく見渡した。三秒考えて肩をすくめる。今日の俺は休暇だ。
 いつもとは違うところを見ようと目を走らせ、ずらっと並んでスマホをいじっている連中を眺めて、新聞や雑誌を見る奴が減ったなと感じた。こんなところで時の流れを感じてしまうとはね。つまり俺は、すっかり日本滞在が長くなったというわけだ。故郷は遠く遥かなりだ。もう帰れないし、帰っても何もない。
 神奈川を抜けると人はすっかり少なくなってガラガラになる。座って、無意識に周囲の人間を確認する。休みだと思っていても、職業上の癖は抜けないもんだ。
 目が、あった。俺と同じような肌の色の外国人。短めのスカート、腹は見せていない。ずいぶんと日本人くさい格好だ。女はすぐに目を逸らした。その速度が速すぎて、それで俺は一段と注意を払うことにした。
 今日の俺は休暇だ。だが、間抜けにはなりたくない。
 のんびり車窓の風景を見るふり。そろそろ海が見えても良さそうなものだ。横目に足早に女が去っていくのが見える。鞄を置いたままだった。
 それから、一秒考えたかどうか。
 職業的なきな臭さを感じて直ぐに荷物を見に行く。新品のボストンバッグ。俺は窓の外を確認した後、今度は開く窓を探した。あった。最近は空調制御が細かくなったせいか、開く窓が少ない。窓を開けて、職業上のたしなみで持つ薄い料理用の手袋をつけて、バッグを外に投げ捨てた。
 びっくりしている同じ車両の人間に笑顔を向ける。家族連れだった。
「失礼。嫌な思い出が色々あって」
 父親とおぼしき三〇代半ばと思われる男が愛想笑いを浮かべた。
「に、日本語上手ですね」
「よく言われます」
 本当によく言われて、腹が立つ。愛想笑いも同様だった。
 そのまま女を追いかけ、別の車両に移動する。休暇中で義理もないが、俺を殺しに来ているなら話は別だ。俺の休暇を永遠の休暇にしようとするやつがいる。
 手袋を外してポケットに突っ込み、女を捜す。顔は覚えている、姿格好も覚えている。ついでにあの女は素人だった。しかも初犯だろう。自分が悪い事をしているという自覚がある。瞳の中に、慣れてしまうとなくしてしまう感情のゆらめきがあった。だからと言って許してやる義理もないが。
 四両進んで、女が四人掛け座席に座っているのを見つけた。近づくと俺に気付いたか小さく震えて、そして席を立って前方へ向かった。俺も急ぐ。動きからして俺を狙っていたような感じではないが、まあ、顔を認識されたからには仕方ない。
 先頭車両に追い詰める。女は死にそうな顔をしていた。目鼻だちは整っているが、日本風の〝KAWAII〟化粧があっていない。
 俺は何も言わずに、腕を組んだ。車両で片付けるようなことはしない。逃げられなくしておけばそれで十分だ。
 電車が湯河原で止まる。ドアの隙間に希望を見つけたか、女が走って逃げようとする。腕を摑んで電車を降りた。富士山に登るつもりだったんだが、とんだ騒ぎだ。
「騒げば警察に突き出すことになる」
「何の話?」
「爆弾だろ。駅のアナウンスが聞こえないか」
 日本語が通じる相手で良かった。女は俺よりも背が低い。小娘という風には見えないが、人生を悲観してテロに走る歳にも見えなかった。
 アナウンスは線路異常のため確認をしているという。この駅に捜査が及ぶ前に逃げるに限るが、その前に片をつけなければ。
「二つしか尋ねない。一つ目だ。俺を狙ったのか」
「あんたなんか知らない」
 女の腕を摑み、階段に向かって歩く。
「もう一つだ。警察に行って仲間を売る気はないか」
「あるわけないでしょう」
「そうか」
 俺は階段から女を突き落とした。銃の方が得意なんだが、ないものはしょうがない。スパイはあるもので勝負するしかない。今回の場合は、階段が武器だ。
 俺は首が変な方向に曲がっている女を横目に、歩いて外に出た。防犯カメラを避けて歩く。歩きながらメイク道具を出して、肌色を変えて服を着替えた。
 それにしても日本の治安はいいはずだが、この頃、妙な虫が湧いている気がする。休暇が取り消されるのも面白くないなと考えながら、バスに揺られて隣駅の熱海に行った。熱海から再びJRに乗って、富士山を目指す。富士山は普通、山梨側から登るものなのだが、今日の俺は変わったことがしたい。
 麓についたのは一七時頃。コンビニに行く。上で買うと色々高い。海外から見れば驚きの低価格で弁当が並んでいた。価格の秘密は外国人にある。原材料を供給する農業や漁業では技能実習制度の名のもとに労働法の外にいる外国人労働者、弁当の調理や詰め込みにも外国人労働者と、低賃金で働く外国人を多用して価格を抑えている。少し前にあったサミットの警護員が使う弁当のほとんども外国人労働者が作っていて、身辺調査が大変だった。毒を混入するとの噂があったのだった。
 結局弁当は買わず柿の種と飲み物を、近くのホームセンターで毛布を一枚買って一合目から登り始めた。登頂まで二時間かなと思いながら、走る。こんな時間でも富士山に登ろうという連中はいっぱいだ。手に持つ灯りが列になって登山道を照らしているおかげで足下が暗いということもない。走って抜き去りながら山頂を目指す。汗が出る。楽しい。運動はいい。心身ともに健康になる。清々しい気分だ。
 山頂付近にはあちこちで座り込んでいる連中がいる。避けて走る。山頂に到着、二時間二〇分もかかった。仕事にかまけて身体がなまっているということだろう。丁寧に汗を拭いて毛布に包まった。ご来光を拝むためか、夜が更けるにしたがってどんどん人が増えて来る。そろそろ登山シーズンも終わりということで、登山者も多いようだ。
 コンビニで買った砂糖が一杯のスポーツドリンクと、ピーナツ入りの柿の種を腹に入れながら、俺は夜空を見ていた。髪が風に揺れる。涼しいというより寒いくらいの風だった。これから夜中にかけて、気温はもっと下がっていく。
 日が落ちると、普段考えもしない今日殺したやつのことを考える。ラジオかなんかでニュースでも聴いて、情報でも集めようかと思ったが、面倒くさいのでやめた。休みは休み。俺がいないと職場が回らないと思うのは危険な幻想だ。
 岩の上に寝転がって星を見る。昔、群馬で見た星とあまり変わらない気がする。こんなところに来ないでも、群馬でいいじゃないかと苦笑いが出たが、すぐにひっこめた。
 さて、明日からどうするか。休暇にふさわしいことをすべきだろう。普段飲めない酒でも飲むか。いや、陳腐だな。
 とりあえず富士山の山頂で寝よう。寝ているうちにさらに人が増えて、うるさくなってきた。とても眠れる雰囲気じゃない。富士山が自然遺産に登録されないわけだ。起き上がって瞑想でもしながら時間を潰すことにした。
 まだ九月になっていないのに白い息が出る。面白がっているうちに空が紫色になって、歓声があがった。人が動き始める。ご来光を見るつもりらしい。
 俺は、撮影のためかスマホを手に歩く人々と逆方向に歩き出した。帰宅ラッシュに紛れるのもぞっとしない。走って帰ることにした。次は日本アルプスを縦走してもいいが、装備を本格的にしないとさすがに厳しいだろう。
 考えながら歩いていたら、知り合いの男が山を登って来るのが見えた。知り合いと言っても仕事の知り合いで、そのため名前は知らない。同じ局にいるらしいが、親しく話せるわけもない。日本人みたいな顔をしているが、実際どうかは分からない。つまりはまあ、顔と職業を知っているだけの相手だった。
「よう、なんとか」
 向こうも俺の名前に興味などないようだった。俺たちの仕事において、名前なんて変更可能な記号の一つでしかない。長年やっていると、そのうちどうでもよくなる。
「よお、俺を殺しに来た……にしては挨拶するなんて妙だな」
 俺がそう言うと、日本人みたいな顔をした男は眼鏡のブリッジを指で押して笑った。スーツ姿なのがいただけない。靴はスニーカーだ。こいつはたしなみってものが分かっていない。長いこと仕事をやり過ぎて頭のねじが外れたか。だとしたら殉職も近い。
「そりゃよかった。富士山に登ったと特定したまではいいが、人手不足でね。自分で登ることになってしまった」
「その格好でか」
 眼鏡を曇らせて日本人みたいな顔の男は笑った。
「この格好でさ。たしなみが足りてないと言うなよ。緊急事態だったんだ」
 まあ、それでも俺なら目立たない服に着替えるがねと目で語ったら、肩をすくめられた。
「で、用件なんだが」
「ろくでもない話だな。休暇の取り消し、急ぎの仕事、しかも東京に戻らず直行とか、そのへんか」
「全部その通りだ。あと携帯電話は使うなという指示だ」
 基本古めかしいこの業界でも、今や携帯電話、スマートフォンは必須の道具だ。七つ道具のうちの五つまでをこれでまかなえるというか、これがないと仕事が始まらない。
 それを使うなという。これまでにも珍妙な命令を数々受けてきたが、これは極めつけだった。そもそも俺たちのような職種が廃れているのも、遠隔地からスマートフォンで簡単に情報が盗めるようになったからだ。
 それか。それが原因か。
「汚染されたのか」
「さてな。興味もない。じゃ、僕は帰るよ」
 俺は男の後ろ姿に声をかけた。
「急ぎの仕事の内容は?」
「知らんよ」

(第2回へつづく)

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