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試し読み

【試し読み】『おおかみこどもの雨と雪』TV放送記念! 細田守監督による書き下ろし原作小説の冒頭を特別公開

細田守監督、待望の最新作『果てしなきスカーレット』の公開を記念して、11月の「金曜ロードショー」は4週連続で細田守作品を放送!

1週目の今日は『おおかみこどもの雨と雪』。
カドブンではTV放送に合わせて、監督自ら書き下ろした原作小説の試し読みを大公開!
小説でも『おおかみこどもの雨と雪』をお楽しみください!

細田守『おおかみこどもの雨と雪』(角川文庫)試し読み

「好きになった人が、おおかみおとこだった」




 はなは、彼と出会ってすぐに恋におちた。
 そのとき花は19歳で、それ以前のあこがれに似た淡い恋心のいくつかを除けば、はじめての恋だった。恋におちてみて花は、恋することの不思議を知った。不思議とは、たとえどんなことが起こったとしてもすべて受け入れる、心の持ちようのことなのではないか。

 彼と出会う前、こんな夢を見た。
 柔らかな光にあふれた草原だった。
 咲き乱れる野花に埋もれて、花は横たわっていた。
 幸せなまどろみから目覚め、胸いっぱいに息を吸うと、目を開いた。
 草の匂いと、あたたかな日差しが心地よかった。
 ゆるやかな風が、前髪を揺らした。
 そのとき、
「――?」
 何かが近づいてくる気配がした。ゆっくり身を起こし、気配のする方を見た。
 遠くの丘の向こうを、こちらに向かって歩いてくる者がある。
 四つ足で草をかき分け進む、耳のとがったシルエット。
 ――おおかみ。
 花は、それがすぐに、おおかみだとわかった。なぜかはわからない。でも、間違いなく、おおかみだと思った。
 風に吹かれて、おおかみが歩いてくる。
 わき目もふらずに。ひたすら一直線に。きれいに整ったリズムで。
 怖くはなかった。
 きっとあのおおかみは、どこか遠い場所からやって来たのだ、と感じた。おそらく、自分に何らかの用事があって、ずっと長い旅をしてきたのだろう。
 だから、じっと待った。
 すると、おおかみは歩きながら、自らの姿を変化させた。
 それは確かに変化、と呼ぶべきものだった。
 おおかみの周りの空気がゆらめくと、次の瞬間には、背の高い男の姿になった。
 花は、はっとした。
 ――おおかみおとこ。
 そんな言葉が浮かんだ。
 背の高い男は、まっすぐこちらに歩いてくる。
 花は、息をのんでじっと待った。
 胸が、高鳴った。

 夢はそこで終わった。
 花は、夢の続きをまぶたの中に追った。だがどうしても、それ以降の風景を見ることはできなかった。あのおおかみは、私に何を伝えたかったのだろう。胸の中に、背の高い男のぼやけた像だけが残っていた。

 花は、東京のはずれにある国立大学の二年生だった。
 おとぎ話に出てくるような赤い三角屋根の古い駅舎を出ると、数百本ものサクラやイチョウがつらなる大きな通りがある。この並木道を五分ほど歩けば、こぢんまりとしたキャンパスに着く。時計台のある図書館棟を中心に、講堂や講義棟などが豊かな緑の中に並ぶ、古めかしい大学だった。
 初夏の大教室に、古代思想史の講義をする教師の声が淡々と響いている。教科書を読み上げては丁寧にちゆうを付す教師の言葉を、花はノートにちようめんな字で書き取っていた。
 この大学の学生たちは、決して易しくはない選抜試験を経て入学してきた者たちで、みな真面目そうで身なりもよかった。裕福な家に育ち、充分な教育を受け、卒業後は官途に奉ずるか、法曹界へ進むか、でなければ商社等に就職するか、いずれにしろ未来を約束されているような若者たちだった。既に司法試験などの各種資格取得へ向けて勉強を始めている者もいた。
 花は、少なくとも真面目であるという点においては、彼らと共通していた。ただし、まだ将来は漠然としていた。いずれは誰かの役に立つような人間になりたいと思ってはいるものの、ただ勉強ができる、というだけでは社会にとって何の役にも立たないということに極めて自覚的だった。自分がいったい何者で、これからどんな人生を選択すべきなのか、見当もつかなかった。
 午後の日差しが窓から差し込み、大教室の長い机に美しく反射していた。
 花はノートを取る手を休め、ふと顔を上げると窓のほうを何げなく見た。そして、ある人物の後ろ姿に目が留まった。
「――」
 その人物は、この大学に通う裕福な学生たちとはまるで違って見えた。かき乱したようなぼさぼさの髪に、日焼けした浅黒い肌をしていた。襟の伸びたTシャツは、ところどころ穴があいていた。引き締まった腕でボールペンを握り、教師の言葉をひたすらノートに書き留めていた。一文字も聞き漏らさないかのような書き方だった。シラバスで指定されていたはずの教科書は持っていないらしかった。
 花は、その背中にくぎけになった。窓から差し込む光が、その人物の肌に照り返しキラキラと輝いて見えた。心地よさそうな日なたの光だった。そしてなぜか、その光に見覚えがあるように思えた。
 講義が終わり、学生たちが出席票を提出して次々と教室を出て行く。
 花は、自分の名前を記入した出席票を教卓に置き、教室を振り返ってあの人物を探した。ノートを片手にひとり出て行く長身が見えた。おそらく、あの人は出席票を提出していないのではないか。あとを追って教室を出ると、おおまたで廊下の角を曲がるTシャツと色あせたジーンズの姿が見えた。小走りで行かないと見失いそうだった。階段を下る背中にようやく追いつくと、花は思わず声をかけていた。
「待ってください」
 その人物――彼――は、踊り場で足を止めた。せた頰をゆっくりと向け、目だけでこちらを見た。
「――」
 花の胸はドキンと鳴った。
 驚くほどきれいな目をしていた。
 しかし同時にその目は、他を寄せ付けない距離を感じさせた。どことなく神経質な野生動物を思わせた。何か言わないと、すぐに去ってしまいそうだった。
 だから、
「――これ」
 予備の出席票を見せた。「書いて出さないと出席じゃなくなります。だから……」
 すると彼が、その言葉の途中で打ち消すように、
「わかっているかもしれないけど――」
 とつぶやいた。静かに威嚇するような声だった。「俺、ここの学生じゃない」
「え?」
「目障りなら、もう来ない」
 彼の澄んだ目が別の方向を向くと、靴音を残して階段を下りていった。
 残された花は、しばらくぼうぜんと立ち尽くした。見当違いな気遣いをしでかしたような気持ちになった。たとえば、希少な動物を不用意にでようとして、きばを向けられてしまったときのような。
 きびすを返そうとしたが、もやもやとした気持ちが花を押し止めていた。このままずっともやもやした気持ちを抱え続けるのだろうか、と思った。
 花は一階へ下りると、柱の陰からそっと外をうかがった。半円形のアーチ越しに、ちょうど講義棟を出る彼の姿があった。午後の大学構内の庭園に、小さな子供たちの遊ぶにぎやかな声が響いている。オープンスペースとして公園代わりに庭園を利用する老人や親子連れは多い。集う母親たちからちょっと離れたところで、子供たちが走り回っている。
 と、ふいに子供のうちのひとりが転び、くぐもったような弱々しい泣き声を上げた。だが母親たちはおしゃべりに夢中で気にも留めない様子だった。彼は泣き声に気付き、行きかけた足を止めて戻ると、転んだ子を抱き起こした。だいじょうぶ、とも、危ないよ、とも言わなかった。そのかわりその子の頭の上にそっとさわるように手を置いた。するとその子は不思議なほどすぐに泣き止んだ。まるで痛みや悲しみが瞬時に溶けて消え去ったみたいだった。彼は立ち上がると、何事もなかったかのようにその場を離れた。その子はただ口を開けて彼を見送った。
 花は、このさいな出来事を柱の陰から目撃し、なぜかとてもうれしいような気持ちになった。まるで自分が転んだ子供で、彼に抱き起こしてもらったように。
 だから――、
「あの、待ってください。もういちど」
 正門を出たところで、勇気を出して彼を呼び止めた。
「あなたがここの学生かどうか、私は知りません。ただ……」
 言いながら、急いでかばんを探り、
「さっきの講義、これがないとちょっと難しいと思います」
 と、教科書を両手で掲げた。
「よかったら――、一緒に見ませんか?」
 精一杯の提案だった。

 花は大学を出たあと、夜遅くまで駅前のクリーニング店でアルバイトをする。それから深夜営業のスーパーに立ち寄って買い物をして、高架沿いに建つ古いアパートに帰る。父の写真の横にあるみの水を換え、狭い台所で簡単な食事を作り、エプロン姿のまま小さなダイニングテーブルでひとり食べる。に入り、パジャマに着替えたあとは、眠くなるまで図書館で借りた本を読む。
 変わらない花の日常がある。
 しかし、今日は違った。
 正門の前で彼と約束した。次の講義で待ち合わせる、と。
 アルバイト先で伝票を片手に仕上がった衣類を探すとき、いつのまにか彼のことを考えていた。スーパーで特売品の野菜を選ぶときも、彼の姿が浮かんだ。アパートのドアノブにかぎを差したときも、椅子の背にエプロンを畳んで掛けたときも、本のページをめくるときでさえ。
 すでに花は、恋におちていた。

 その日、洋服選びにいつもより時間がかかった。いままで一度しかそでを通したことのない、青いワンピースを選んだ。
 彼は仕事を終えたあと、午後に来るという。
 なのに朝、正門で振り返り、登校する学生たちの中に彼を探した。午前の講義のあいだも気が気ではなかった。にぎわう学生食堂の片隅で、ひとり彼を思った。
 午後の講義の時間になった。だが彼は姿を見せなかった。教師がやってきて短いあいさつを済ませると、教科書を開いて前回の続きを話し始めた。花はとりあえず教師の声に耳を傾けようとしたがうまく集中できず、つい窓の外を見てしまうのだった。
 講義も半ばにさしかかったころ、走り来る彼が窓越しに見えた。
 出会った日と同じ、襟の伸びたTシャツ姿だった。
 胸が高鳴った。
 彼は息を殺して教室へ入ると、音を立てないようにして花のとなりに座った。花は胸の音を聞かれてしまうのではないかと恐れ、教科書をその場に残すと、長い座席の端へ移動した。彼は教科書を手に、戸惑いながら花を見た。きみは見なくていいのか、と。花は座席の端から目だけで合図を返した。いいの。使って、と。
 講義が終わったあと、彼を大学の付属図書館へ誘った。
 原則として図書館内は教員と学生しか中に入れない。しかし花はどうしても彼に紹介したかった。IDをセンサーにかざし、確認音とともにゲートが開く。花は彼の手を引いて素早くゲートを通った。女性司書がいぶかしげにふたりを見ている。彼女が何かを言い出す前に、足早に通り過ぎた。
 最新の移動式書架と大量の書物に、彼は興奮して目を輝かせた。それを見て、花も嬉しくなった。
 この大学の図書館は都内でも有数の蔵書数を誇っている。特徴的なのはその6割以上が開架していることだった。そのため、希少な本でも手に取って確かめることができる。彼は本を探すことに集中し、ある一冊を引き出して素早くページをめくると、そのまま時が止まったように読みふけった。花は邪魔しないようにと、ひとりで周囲の書架をぶらぶら巡った。しばらくして戻ってみると、彼が同じポーズで読書に集中しているのが、なんだか可笑おかしかった。花も適当に目に留まった本を引き出すと、彼のそばで読んだ。
 大学を出て、夕暮れの空が広がる土手を、ふたりで歩いた。
「何をしているときが楽しい?」
「どんな食べ物が好き?」
「いままで、どんな人を好きになった?」
 花は、立て続けに彼に質問した。
 彼は、何も答えずに笑うと、花にいた。
「――どうして、花っていうの?」
「名前?」
「うん」
「私が生まれた時、庭にコスモスが咲いていたの。植えたのじゃなくて、自然に咲いたコスモス。それを見て父さんが突然思いついたんだって。花のように笑顔を絶やさない子に育つように、って」
 花は、思い出すように遠くを見た。「――つらいときや苦しいときに、とりあえずでも、無理矢理にでも笑っていろって。そしたらたいてい乗り越えられるから、って」
「――」
「だからね、父さんのお葬式の時、ずっと笑っていたの。そしたらしんせきの人に『不謹慎だ』って、すごく怒られてしまって……」
「――」
「でもやっぱり、不謹慎だったかな?」
 彼はじっと花を見て微笑んだ。そして、空を見上げて、
「不謹慎じゃない」
 と言った。
 花は安心したように大きな笑顔を向けた。それから同じ空を見て、
「よかった」
 と、つぶやいた。
 父の話を、誰かにするのは初めてだった。

 受験の年、父に病気が見つかった。
 ひとり娘の彼女は父に付き添いながら、ベッドの横で受験勉強をした。がんばって勉強し合格すれば、病気も良くなるにちがいないと彼女は思った。そんな娘を父は病床から励ました。
 彼女の合格の知らせを待たずに、父は息を引き取った。
 父子家庭だった彼女は、ひとりぼっちになった。
 親戚たちは同情して援助を申し入れた。叔父おじ夫婦は部屋が空いているから一緒に住めばいいと提案してくれたし、また別の叔母夫妻は学費を負担してもよいと申し出てくれた。しかし彼女はそれをひとつひとつ丁寧に断った。
 入院費を支払ってしまうと、貯金は入学金と前期の授業料分しか残ってはいなかった。しかし幸いにも、奨学金の予約資格を得ることができたので、アルバイトを掛け持ちすればなんとか生活できるのではないかと考えた。
 家財を整理し、父と過ごした借家を引き払うと、高架沿いの小さなアパートに引っ越した。
 古い桐のタンスと、姿見を運び入れた。
 父が使っていた本棚の上に、子供の頃に庭先で撮った親子ふたりの写真を置いた。
 葬儀で着た喪服で、入学式に出席した。
 あっという間に一年が過ぎた。
 そして彼と出会った。

 彼はそんな彼女を、野に咲く小さな花のように大切に扱ってくれた。
 いつも帰り道を送ってくれた。待ち合わせ場所は、駅前の古い喫茶店の前だった。アルバイトを終えてそこへ向かうと、たいがいは彼が先にいて、文庫本を読みながら待っていてくれるのだった。
 夜の町を並んで歩いて、いろんな話をした。
 彼は引っ越し専門の運送会社に勤めていた。大きなトラックを運転しているのだと言った。仕事で訪れたひとつひとつの家と、そこに住む人々の様子を、いとおしそうに話した。
「同じ団地でも、家の中はまるで違うんだ。お金のあるうち。ないうち。家族のたくさんいるうち。ひとりのうち。赤ん坊のいるうち。年寄りだけのうち」
 高台の公園から、街を見渡した。
 家々の明かりが、地平線の向こうまでいっぱいに広がっていた。
 そのまんなかを、ぎっしり人を乗せた下り電車が通過していく。
 あの電車に乗ったひとたちはそれぞれ、どの明かりの家へ戻るのだろう。
 彼は、それをじっと見つめて言った。
「家があったら、いいだろうな。ただいまって言う。靴を脱いで、顔と手を洗って、椅子に深く腰掛ける。――いいだろうな。本棚を作る。本でいっぱいになったらまた新しい本棚を作る。なにをしたっていい。自分の家だもの」
 お金を少しずつ貯めて、小さくてもいいから、いつか家を持ちたい、とあこがれのように言った。
 花の内側を、じんわりとあたたかいものが満たしていくのがわかった。
「じゃあ、私がおかえりって、言ってあげるよ」
 と街の明かりを見てつぶやいた。
 彼は、そのなにげない言葉にハッとしたように花を見た。
 そしてゆっくりと、顔を背けた。

 帰り道、彼は一言も話さなかった。彼のサンダルが落ち葉を踏みしめる音だけが響いていた。花のアパート近くの、小さな川に架かる橋にさしかかったところで、ふいに彼が口を開いた。
「花」
「なに?」
「実は」
「――」
「君に、言わなきゃいけないことがあって……」
「――何でも言って」
「――」
「実は」
 と言ったまま、彼は押し黙った。
 なにかとても大事なことを彼は伝えようとしているのが、花にはわかった。
 その“なにか”が何なのか、想像もつかなかった。だが、たとえどんなことを言われても受け止める準備をしようと思った。
 薄い川底に、水草がゆるやかに揺れていた。
 車が何台か行き過ぎたほかは、誰も橋を渡らなかった。
 やっと彼が口を開いた。
「またこんど」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ」
 彼の後ろ姿を、花はずっと見送っていた。

 それから幾度も待ち合わせをして帰り道をふたりで歩いたが、彼がそのときの“なにか”を言い出すことはなかったし、花も自分から訊くことはしなかった。
 そうして冬になった。
 花は、ダッフルコートの上にマフラーを首に巻いて、クリーニング店をあとにした。大学通りの街路樹を、イルミネーションの光がきらびやかに彩る。いつもの古い喫茶店の前に、約束の時間ぴったりに着いた。
 彼の姿はなかった。
 珍しいことだった。
 手を息で温めつつ、人波の中に彼の姿を探した。まるでお祭りのように多くの人が行き交った。読みかけの本を読み進めながら、ときおり街灯の向こうの時計を見た。待ち合わせの時間をだいぶ過ぎていた。
 彼は来ない。
 文庫本を読み終えてしまうと、ほかに何もすることがなかった。しかたなく、続々と駅へ向かう人々の背中を、ただ眺めた。誘導する道路工事の作業員が、時おり気にしているようにこちらを見た。
 彼は来ない。
 人通りが少なくなると、よけいに寒さが増したようだった。靴底から伝わる冷たさに、足踏みして耐えた。とつぜん喫茶店の明かりが半分になったので、びっくりして振り返った。もうそんなに時間が経ったのだろうか。片付けを始めた店員が、不審そうに見ている。花は済まなそうに脇へずれる。
 彼は来ない。
 十二時を回り、大学通りのイルミネーションが消えると、駅前はいっぺんにさびしくなった。喫茶店のシャッターの前にひざを抱えて座った。寒さで身が縮こまった。酔った男が声をかけてきたが返事をしなかった。遠くでサイレンの音がして、やがて消えた。マフラーに顔を埋めたまま、目を閉じた。
 それから、どれほどの時間が経っただろうか。
 声がした。
「花」
「――」
「ごめん。花」
 彼が見下ろしている。
「――悪かった」
 花は、ゆっくりと見上げた。
 寒さでほおがしもやけになっていた。
 それでも、いっぱいの笑顔でこたえた。

 街を見渡せる丘。
 夜空に、無数の星が瞬いている。
「いままで、誰にも言ったことがなかったんだ。――怖かった。君が去ってしまうかもしれないから。でも……」
 彼のコートの襟についたファーが穏やかに風に揺れている。
「もっと早く言うべきだった。――いや、見せるべきだった」
「見せる?」
 花は白い息でき返した。
「少しのあいだ、目を閉じて」
「――」
 言われるままに目をつむったものの、彼の意図を図りかねていた。
 少しして、薄目を開けようとすると、
「もっと長く」
 と声がする。
 花は覚悟を決めて、目を閉じた。
 長い時間が経った。
 こわいほどの静寂だった。
「もういい?」
 花は訊いた。
 だが返事はない。
 風がゆるやかに髪を揺らした。
 花は、ゆっくり目を開いた。
 そして、目の前の光景に、息が止まった。
「――!」
 彼は、確かにそこにいた。目を伏せて。左手を見つめたまま。
 だが――。
 その左手が、人間の手から、またたくまにケモノのそれに入れ替わっていく。
 風が激しく渦を巻く。あおられて乱れた彼の髪が、いつのまにかケモノのとがった耳へと形を変える。
 首が、そして顔があっというまに体毛で覆われたかと思うと、口の端が裂けたように大きく広がっていく。
 長く伸びた鼻先が、ゆっくりとこちらを向く。
 閉じられた目が、ふいに開く。
 そのひとみ
 野獣そのものの色。
 見つめられて、花は身動きひとつできなかった。
 声ひとつ、発することができなかった。
 とつぜん、風が止んだ。
 彼――野獣はため息をつくようにうつむくと、
「花。俺が、何に見える」
 と静かに言った。
 吐く息が、闇に溶けた。
 瞳が、憂いをたたえた深い色に変わっていた。
 きれいな色の瞳。
 まちがいなく、彼だった。

 冬の空に、おそろしいほどの数の星が瞬いている。
 その日は新月だった。
 満月の夜に変身したり人を襲ったりするのは、ただの伝説だと知った。
 世界は、私の知らない事柄で満ちている――そう、花は思った。

 青い夜を、花のアパートの電気ストーブが赤く照らしている。
「驚いた?」
 と彼の声がする。
 花は、答えない。うつむいたまま、ただ小さくうなずいた。
「もう会わない?」
 花は、やはり答えず、小さく首を振った。
「でも、震えてる」
 花は、答えない。
 野獣の手がゆっくりと伸び、そっと花の白い肩に触れた。鋭い爪がやわらかい肌を傷付けないように、細心の注意を払っているような触れ方だった。
 花は、
「――怖くない」
 とつぶやくと、彼を見上げた。
「あなただから」
 彼はゆっくりと花を引き寄せ、その唇にやさしく触れた。
 花が、初めて迎える夜だった。

 彼は、明治期に絶滅したとされる、ニホンオオカミのまつえいだった。
 オオカミとヒトとが混ざり合い、その血を受け継ぐ最後の存在だった。
 彼の両親は、まだ幼い彼に滅亡した一族の歴史を語り、その事実を他言してはならないと告げて亡くなった。
 その後、何も知らないしんせきに預けられ、苦労して大人になった。
 運転免許を取得すると、仕事を求めて都会に出てきた。
 誰にも知られず、誰にも顧みられず、こっそりと隠れるように今まで生きてきたのだ、と彼は言った。

 朝になった。
 花は、ベッドから裸身を起こすと、はんせいはんすいのまま、傍らを見た。
 眠る彼は、人間の姿をしていた。
 しなやかな筋肉を覆う肌が、大理石の彫刻のようだと思った。
 昨夜聞いた「絶滅」という言葉が、花には地下鉄の大理石の柱に埋もれる、太古の貝の化石を連想させた。
 彼の寝顔を、じっと見つめた。
 昨夜のことは幻ではない。
 確かに、彼は野獣へと姿を変えた。
 そして自分は、彼を受け入れた。
 花はひとり、これから起こりうる出来事を想像し、それからひそかに覚悟を決めた。

 実際、彼の秘密を知る者は、世界中に花ひとりだった。
 彼の秘密は、とりもなおさず花の秘密でもあった。
 大学の同級生たちは、外国製のジャケットを着ている社会人や、イベントやライブに誘い出してくれるような他大学の学生とつきあっていた。
「それで、花ちゃんは、どんなひととつきあっているの?」
 と、彼女たちの一人が訊いた。どのくらい年上なのか。背は高いのか。せているのか。学歴は充分か。親の職業は何か。記念日にプレゼントをちゃんとくれるのか。
 たてつづけに質問されて答えに困った。彼女たちには、とても彼のことは紹介できないと思った。
 ただ、誠実な人とつきあっている、とだけ言った。

 近所にある深夜営業のスーパーが、新しい待ち合わせ場所になった。花は、彼といっしょに買い物をして、アパートに帰るようになった。
 よく鶏肉を使った料理を作った。
 胸肉(あるいはモモ肉)を一口大に切りわけ、ピーマンと一緒にくしに刺す(ほんとうの具はネギやタマネギなのだが、彼が苦手だと言ったため)。塩を少々振って網で焼いているあいだに、しようやら酒やらぽん酢やらすり下ろしたタマネギやら(少量のタマネギなら平気だと彼は言った)を混ぜ合わせて、15センチほどの高さの細長いコップに入れる。焼きあがった串を皿に盛り、タレに串ごと浸して食べる。これが花の家の伝統的なやきとりの食べ方だった。
 花が最初に、コップの中のタレにとぷんと漬けてみせた。引き上げると、タレがとろりとうまそうに滴る。彼はいままでやきとりをそんなふうに食べたことはなかったので、戸惑っていた。見よう見まねでタレにとぷんと浸し、これでいいの? と花を見た。
 はぐっ、と、ふたりでいっしょに口に運んだ。
 しゃくしゃくしゃく……。
 おいしい!
 彼は感心するように、しげしげと串を見た。それから続けざまに口に運んだ。
 このやきとり料理がやがて彼の好物になったので、花はたびたび作ることになった。特売の日に大きな鶏肉の塊を買って、冷凍保存しておいた。
 花が食事の用意をしているあいだ、彼は、帰り道に見つけた路傍のタンポポを牛乳瓶に生けて窓辺に置いた。
 満足げに眺める彼を、花は微笑ましく見た。
 彼は仕事が終わると彼女のアパートへやってきて、夜を過ごし、朝はそこから直接仕事に出かけた。
 いつの間にか、それが普通になっていた。
 何ヶ月かの後、花の勧めで、彼は住んでいたアパートを引き払った。文庫本の入った紙袋を二つ、花のアパートの隅に置いた。引っ越しはそれで終わりだった。
 彼は本のあいだから古い写真を取り出して、花に見せた。きゆうしゆんりようせんを持つ雪山が写っていた。自分のふるさとなのだと言った。
 花は、本棚の父の写真と並べるように、その写真を置いた。

 よく晴れた初夏の日の午前だった。
 牛乳瓶に生けたツユクサとゲンノショウコが風に揺れていた。アイロンをかけた彼の大きなシャツをゆったりと畳んでいるとき、突然、ぐっと吐き気が襲ってきた。苦しさのあまり、傍らのベッドにもたれて、せっかく畳んだ洗濯物が床に落ちた。
 花は、異変に気付いた。
 予感はあった。実のところ、このひと月ほど妙に体がだるかったり、食欲がなかったりした。
 しかし今日はっきりと、自らの体の中で起こっていることを自覚できた。
 近所の産婦人科医院をのぞくと、待合室は妊婦であふれていた。窓越しに中の様子を何度もうかがうが、どうしても中に入れなかった。あの妊婦たちと自分とは、事情が違うと思えた。ではどこに相談に行けばいいのか。医院の入り口の前で、寄る辺ない気持ちになった。
 花はきびすを返すと、その足で大学の図書館へ向かった。
 人のまばらな閲覧室で、何冊かの妊娠と出産に関する本を積み上げて、内容をノートに取った。この事実を告げたら、彼はどう思うだろう、と想像した。喜んでくれるだろうか。もしかしたら、困った顔をするかもしれない。
 迷った末、公衆電話から彼の会社に連絡をした。産婦人科に行ったが受診はしなかったという事実だけを伝えると、すぐ行く、と言い残して電話は切れた。
 くだんの古い喫茶店の前で、花は待った。何冊かの自然出産と、自宅出産の本を手にしていた。しっかりと自分の意志を彼に伝えよう、と心に決めた。
 やってくる彼の姿が見えた。
 一大事のように走って来る。
 心臓が高鳴った。花は、最初の言葉を準備した。
 ところがそれを言う前に、花は彼に抱き上げられた。彼の持っていた桃の缶詰が歩道に落ちて、ごろごろと転がった。すれ違う人々が、何事かと彼を振り返った。
 彼は人目もはばからずに花を抱きしめた。
 何度も、何度も。
 その顔が、たまらなくうれしそうだった。
 だから花も嬉しかった。

 夏から秋にかけて、花は、重いつわりに苦しんだ。
 吐き気は一日中、続いた。とても大学に行ける状態ではなくなり、悩んだ末に休学届を提出した。アルバイトも辞めざるを得なかった。クリーニング店の女店主は驚き、熱心に花を引き止めた。不満があれば何でも言ってほしい、できることだったら何でもする、とまで言ってくれた。だが事情を話すわけにはいかず、ただ休ませてください、としか言えなかった。入学以来、ずっと世話になっていた店なので、心苦しかった。
 生活が変わった。
 ベッドから動くことができず、ひたすらつわりに耐える日々だった。ほどなくして食べ物を受け付けなくなり、ただでさえ瘦せている花の体重を容赦なく奪った。それでもおうが止まらない。
 彼は仕事から戻ると、何も言わずに一晩中背中をさすってくれた。そして一睡もしないで朝には家を出て行く。花にとって、彼がそこにいてくれることが一番の支えだった。
 ある日のこと。
 彼が帰ってきたので、ベッドから半身を起こして出迎えると、なぜか彼のコートが茶褐色の鳥の羽根にまみれていた。心配げな花に、彼はいたずらっぽく微笑んでみせると、後ろ手に隠したものを掲げた。
 深い緑色の尾をした美しい鳥はケーンと鳴いた。野生のキジであった。
 花はあっけにとられた。おおかみの姿になって狩りをする彼の姿を思い浮かべたが、うまく想像できなかった。
 彼は台所に立ち、手際よくキジをさばくと、沸かしたいっぱいのお湯に入れた。をとっているあいだに、背中を丸めて野菜を切っている。手伝おうか? と起きだす花に、彼は、そこに座ってて、というばかりだった。
 やがて、ふきんでなべを持って、コンロからテーブルの鍋敷きに移し替える。彼が土鍋のふたを取ると、湯気とともにあたたかい匂いが立ち上がる。
 澄んだ出汁がキラキラ光る、キジうどんだった。丁寧にいちょう切りされた、ダイコンとニンジンが浮かんでいた。
 しかし花は、複雑な表情でそれを覗き込む。せっかく作ってくれたのにちゃんと食べられるかな? と、心配になった。ここのところ、食べ物を見るのも、においをぐのも苦しかったからだ。
 花は、うどんをはしでつまみ上げ、ちゆうちよしつつもその一本をかじってみた。
 口の中にやさしいうまみがじんわりと広がった。
「――ああ!」
 思わず花は声を上げた。
 まず最初に、ものを食べられたことが嬉しかった。そして次に、食べ物を美味おいしいと感じることができたことが嬉しかった。それはほんとうに久しぶりのことだった。
 食欲が急激に湧き起こってきた。今まで食べられなかった分を補うように食べた。
 彼は、そんな花を見て、ホッとしたようにほおづえをついた。

 冬になると、つわりは噓のように収まっていた。
 彼は今まで以上に働いた。朝、日が昇る前に出かけ、帰りが深夜にまでなることもあった。将来に備えて、貯金を少しでも増やしておこうと思ってのことだった。
 花は大きくなったおなかを抱えて、アパートでひとり出産に備えた。布おむつを縫うついでに、おおかみの形の小さなぬいぐるみを作った。生まれてくるこどもにえるようにと願ってのことだった。
 父親がおおかみおとこだから、おおかみのこどもが生まれてくるかもしれない、と花はあらためて思う。
 しかしそうだとしても全くかまわない、と思った。
 ただ、早く逢いたい。
 夕焼けの空を見て、訳もなく涙が出た。

 花は、その小さなアパートで、こどもを産んだ。
 雪の日だった。
 産院の医師にも、助産師にも頼まず、自分たちだけで。ずっと彼が手を握ってくれていた。花は、おおかみのこどもを想像していたが、少なくとも生まれたときは人間の赤ん坊の姿をしていた。
 コンロにかけたやかんが、しゅんしゅん鳴っていた。
 生まれたての赤ん坊を、ふたりでずっと見ていた。赤ん坊は女の子だった。小さな手に指を添えると、頼りなく握り返してくる。
 無事に生まれてくれてよかった、と彼女は言った。
 いや、これからまだまだいろんなことがあるよ、と彼は言った。
 優しい子になるかな、と彼女が言った。
 頭の良い子になるかもしれない、と彼が言った。
 どんな大人になるんだろう、と彼女が言った。
 看護師でも、教師でも、パン屋でも、好きな職に就かせたいな、と彼が言った。
 つらい思いをしないで、元気に育ってほしい、と彼女が言った。
 大きくなるまで見守ってやろう、とふたりで約束した。
 雪は小降りになっていた。

 赤ん坊を、ゆきと名付けた。
 生まれた時、雪が降っていたからだった。
 元気な子で、しょっちゅうギャンギャン泣いたが、彼が抱くとすぐに泣き止んだ。
 雪を連れて、夕方の土手を散歩した。ベビーカーを押す幾組もの親子とすれ違った。自分たちは、どこにでもいるありきたりな親子と変わらない、と花は思った。
 ありきたりなことに、誰にともなく感謝した。

 次の年の早春、二人目のこどもが生まれた。
 男の子だった。
 赤ん坊を、あめと名付けた。
 生まれたのが、雨の日だったからだった。
 その翌日のこと。
 突然、彼の姿が見えなくなった。

 生まれたての子を抱きながら、外を見た。瓶に差したナズナの向こうに、雨滴がガラス戸をつたっている。
 彼が、いつまでたっても帰って来ない。
 その不安な背中に、1歳と1ヶ月になった雪がつかまり立つ。
 タオルで何重にも巻いた赤ん坊をたすきがけの布で胸に抱き、ダッフルコートを着込むと、その上からおんぶひもで雪を背負った。お産直後で足元がふらついたが、それでもかまわず部屋を出た。
 アパートのドアを開けると、何かにぶつかった。スーパーの袋が二つ、ドアの外に置かれてある。
「?」
 いぶかしんでしゃがみ、転がり出た缶詰をとりあえず中に入れようとして、何かに気付いた。粉ミルク、米、野菜の奥に、彼の薄い財布が押し込まれてある。
 なにかあったのか?
 不安が強くなった。

 早春の冷たい小雨に傘をさして、街に出た。
 車が行き交う大通りの交差点で、四方を見回した。
 住宅地の坂道を行く傘の中を、ひとりひとり確かめた。
 しかし、彼の姿はない。
 それでも花は、街中を歩き回って探した。
 住宅地を流れる川に架かる、いつかの小さな橋にさしかかった。川沿いの遊歩道に、市のゴミ収集車がウインカーを点滅させている。幾組かの傘をさした人々が足を止めて、川の浅い流れをのぞき込んでいる。10メートルほどの高さのコンクリート護岸を、あま合羽ガツパを着た保健所の作業員が下へと降りていく。
 花も、誘われるように橋の下を見た。
 川底に集まった作業員たちの足元に、半分水にかって横たわる動物の死体があった。
 せて骨の浮かんだ狼のからだが、雨粒に打たれていた。
 狼。
 彼だった。
「!」
 ボロぞうきんのように汚れてれた毛に、見覚えのある茶褐色のキジの羽根がまとわりついていた。頭部からはにじんだ血がかわに溶けていた。
 その日、彼が何を考えていたのか、わからない。赤ん坊のために狩りをする本能が働いたのかもしれない。あるいは、産後すぐの花に滋養のあるものを食べさせたかったのかもしれない。
 見開かれた狼の目は、何も語らなかった。
 作業員は二人掛かりで狼の足をゴム手袋で持ち上げ、もう一人が下に構える遺体袋へと無造作に入れた。キジの羽根がバラバラと落ちて、水面に流れた。
 遺体袋は、ロープで遊歩道まで引き上げられた。
 花は傘を投げ出して走り寄ると、その袋にしがみついた。触らないで、と制する作業員が花を引きはがす。どうか引き取らせて、と懇願する花に、にべもない。
 もみ合っているうちに、別の作業員が遺体袋をゴミ収集車へと乱暴に放り込んだ。遺体袋はプレス板に押しつぶされながら、荷箱の奥に消えた。
「<外字>」
 花は急激に脱力すると、その場に立ち尽くした。
 ウインカーの黄色い点滅を残して、ゴミ収集車が去っていく。
 よろよろとあとを追うが、追いつく訳もない。
 全身から力が抜け、その場にへたり込んだ。
 顔を覆って、泣いた。
 その背中に見物していた男女の一組が傘を差し掛けて、なぜ泣いているのかと尋ねた。
 お葬式は、できなかった。

 草原に、ゆるやかに風が渡る。
 いつかのワンピースを着た花が、気配に気付いて振り返った。
 彼だった。
 いつかのようにノートを持って、微笑んでいた。
 襟の伸びたいつものTシャツを着ていた。
 花は笑顔を見せて、彼に歩み寄ろうとした。
 すると彼は、済まなそうな顔をして、背を向けた。
 その瞬間、花の足がまるで動かなくなった。
 花は不安になり、彼の名を呼んだ。
 風が強くなり、その声をかき消した。
 彼の横顔は、半獣の姿となった。
 いつかのファー付きのコートを着た背中が、遠のいていく。
 動けない花は、なおも彼の名を呼んだ。
 彼はおおかみの姿になり、草原の向こうへと去っていく。
 まるで、いつか来た道を辿たどるように。
 花は、強く彼の名を呼んだ。
 その声は風に溶けて、どこにも届かなかった。
 花は、広い草原に、ただひとりだった。

 目が覚めた。
 ダッフルコートを着たまま、ちゃぶ台に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。部屋が暗い。もう夕方だった。小雨はまだ降り続いているようだった。布団にくるまって眠るこどもたちを、電気ストーブが赤々と照らしていた。
 ちゃぶ台に置かれてある彼の財布を見つけ、手に取った。
 中を確かめたが、わずかな札と、割引券やレシートがあるばかりだった。
 カード入れに、運転免許証があるのに気付いて、引き出した。
 彼の顔があった。
 そして、彼を写した姿がこれっきりしかないことに気がついた。
 免許証を、窓辺のナズナを差した瓶に立てかけた。
 写真の中の彼が、微笑んでいる。
 もちろん彼は、自分自身が死んでしまうなどとは、思いもよらなかったはずだ。ずっとこどもたちを見守っていたかったに違いない。成長を見届けたかっただろう。だがそれはもうかなわない。
 絶対に。
 そう思うと、胸が締め付けられた。
 なのに、写真の中の彼は、穏やかに笑っている。
 ――こどもたちを、よろしく頼むよ。
 と、言った気がした。
 涙があふれそうになった。
 しかし花は、唇をんでそれに堪えた。
 そして、彼に精一杯の笑顔を見せ、
 任せて。ちゃんと育てる。
 と、誓った。

 彼のいない、新しい生活が始まった。
 1歳半になった雪が、花を見上げて、
「まんま」
 と、ご飯を要求する。花は、
「今作っているよ。待っててね」
 と返すが、雪はまだ言葉がわからないから、
「まんま!」
 と、大きな手振りで要求を繰り返す。
「もうすぐだから」
「まんま!!」
 空腹に我慢できずに何度も大声で叫ぶ。
 興奮して頭の髪の毛から、おおかみの耳がぴょこんと出る。
「まんま<外字>」
「雪!」
 花が大声で諭すと、目に涙をいっぱいにためて、すねたように身を翻す。四つ足でクッションをらし、部屋の隅で振り返ると、いつの間にか子おおかみの姿になっている。ご丁寧にごみ箱を後ろ足で蹴飛ばして中身をぶちまけると、わざと花から見えない場所に隠れてしまう。あとはどれだけ呼んでも返事をしない。
 なのに、
「もーしょうがないなあ。じゃあ先にビスケットでも食べてて」
 花がため息まじりに戸棚から菓子を取り出すと、稲妻のように駆けて来てビスケットを奪い取り、もう人間のこどもに戻ってニコニコとかじっている。
 怒ったりぐずったりすると、すぐに毛を逆立て耳を張りつめて、おおかみの姿になる。
 毎度のことだ。
 ときおり、半獣――人間とおおかみの中間――の姿になることもあった。
 それはまるで、どちらの生き方をすればいいかで迷っているように、花には見えた。

 台所で、ゆでた空豆とジャガイモを雪専用のわんで直接すりつぶす。タッパーに保存した離乳食を混ぜることもある。指ですくってめると、空豆の甘い味がする。
 雪はまだスプーンをうまく使えない。それでもわしづかみにして、なんとかマッシュポテトをすくうのだが、口に持っていくあいだにボロボロと全部落ちてしまう。結局は指でつまんで食べ、さらにテーブルに身を乗り出して拾うので、椀が盛大にひっくり返る。でも気にしないで、もりもり食べる。
 テーブルの周りはあっという間にヨーグルトやこぼれたお茶でめちゃくちゃになる。小さいのに、生命力にあふれている。
 おおらいの雪は、朝から晩まで食べ物を求めて泣きわめく。
 小食でひ弱な雨とは大違いだ。
 まだ3ヶ月の雨は、頼りなげに花のおっぱいを吸うが、すぐにむせて乳首を離してしまう。吸う、休む、吸うを繰り返すので、とても時間がかかる。でも、乳のついた口元をぬぐってやると、ふあぁ、とびっくりしたような顔になるのが、花にはたまらなくかわいい。
 雪にはそれがわかるのか、雨におっぱいをあげているときに限って、花の服や髪をつかんで肩によじ登ると、よだれだらけの唇でチューをせがんでくる。
 花は、ふたりのこどもを育てるのにすべての時間を使った。
 干した布おむつでいっぱいの部屋で、一日中過ごした。
 もちろん、働きになどいけなかった。彼の残したわずかな貯金が、生活のすべてを支えていた。
 子育てして初めてわかったことのひとつは、たとえ家の中にいても、常にこどもたちから目を離してはいけないということだった。
 予想のつかないことを、雪はする。
 ある日、食事の支度をしている花のうしろで、雪がいつのまにかテーブルクロスを引っ張っていたことがあった。ダイニングテーブルの上のジャムを取ろうとしてのことだった。ところがジャムのかわりに米酢の瓶が手前に来て、雪の頭に落下しそうになっていた。花は気付き、あっ! と大声をあげると、落ちそうな瓶をギリギリで受け止めた。なんとか事なきを得たが、花は大いに肝を冷やした。
 それ以来、テーブルクロスは片付けることにした。
 また別のある日、洗濯物をアイロンがけしている花の後ろで、雪がいつのまにかタンスの引き出しを開けてよじ登っていた。一段登っては上の引き出しを開け、さらによじ登っては上の引き出しを開ける……を繰り返すうちに、上の段になるほど引き出しが前に出て、その重みで傾いていく。花がやっと気付き振り返ったときには、目の前にタンスが覆いかぶさって来たあとだった。あっ!! と花は大声をあげた。そばには雨がいる。慌ててタンスを体で受け止めつつ、瞬時の判断でアイロンも押さえた。タンスを元に戻して事なきを得たが、もしあのまま倒れていたら、幼い雪を押しつぶしていたかもしれない。もし熱したアイロンを押さえていなかったら、何かの拍子にひっくり返って幼い雨にやけどを負わせていたかもしれない。
 それ以来、花はタンスにかぎをかけ(それは昔、父が使っていた古いこつとうダンスで、すべての引き出しに鍵がかかるようになっていた)、アイロンがけはこどものそばでは決して行わない事にした。
 花は、少しでもこどもたちを傷付ける可能性があるものを、日常生活の品から慎重に取り払っていった。しかしどれだけ注意深く目配りしても、雪や雨が何をしでかすかわからないと思うと安心できなかった。
 特に雪は、狭い6畳間で自由奔放に振る舞った。
 おおかみの雪は、与えたぬいぐるみをバラバラに嚙みちぎる事に飽き足らず、クッションの中身をすべて引き出し、ダイニングテーブルの脚に嚙みつき、扉にも歯形を付け、本棚から大切な本を引き出しては部屋いっぱいに嚙み散らかした。おかげでどれだけ花が部屋の掃除をしても、雪にかかれば、ものの五分で無惨な姿に変わり果てた。悪びれず大あくびする雪を見て、花はただ笑うしかなかった。
 こどもたちをに入れ、ようやく寝かしつけても、花の一日は終わらない。
 周囲の人に相談するわけにはいかなかった花は、ひとりで本で勉強をするしかなかった。深夜にデスクライトの明かりの下、育児本とオオカミの生態に関する本を交互に読み比べ、おおかみこどもに最適な育て方を探る。世界のあらゆる書物の中で、おおかみと人間の二つの顔を持つこどもを育てた母親の記録は、当然ながらどこにもない。
 育児の失敗は、こどもたちの命にかかわる。
 自分がしっかりしなければ。この子たちには自分しかいないのだから。
 そう思うと、休んでなどいられなかった。
 だが、勉強を始めてしばらくすると、日々の疲れが押し寄せて、ペンを持ったまま、うつらうつらとしてしまう。ハッと気付き、目の前の本に集中しようとするが、ほどなくまぶたが落ち、気を失うように机に突っ伏して眠ってしまう。それでも、雨の泣き声が聞こえると、瞬時に跳ね起きてしまう。夜泣きの雨を抱っこして、だいじょうぶだいじょうぶ、と背中をさすってあげる。
 おとなしい雨は、昼間は手がかからないが、夜になると夜泣きばかりする。抱いて揺すってやるとそのうち寝るのだが、下ろすとまた泣き出す。その繰り返し。昼夜問わず二時間おきの授乳。おっぱいを吸ってくれるときは機嫌がいい。乳首を嫌がるときは、脱脂綿に母乳を含ませて飲ませる。だがそれも嫌がり、ただ泣き続けるときは、どうしてよいかわからず、一晩中背中をなでつづけるしかない。
 ゆえに花は、みるみるしようすいしていった。
 洗濯中に立ったまま眠ってしまい、洗濯槽に頭を突っ込みそうになった事すらあった。
 おかげで、ほんの短いあいだ――例えば雨に授乳している時にでも、目を閉じれば眠る事ができた。そして、たとえば雪が「かあさん」と呼んだら、すぐに目を開けて笑顔を見せる事ができた。

 困るのは病気のときだ。
 雪は生まれた頃から極めて頑丈なこどもだった。とはいえ、微熱程度はしょっちゅうあった。そのたびに花は頭を悩ませた。
 医者に診せるべきか否か。
 もしも診せるとすれば、小児科に診せるべきか。獣医に診せるべきか。
 さらにもし診せた場合、医者たちは本当におおかみこどもにとって適切な処置を施してくれるのだろうか。例えば、人間の子供の病気を獣医が動物用の薬で治療するだろうか。あるいはその逆は? そしていちばん心配なことは、このこどもが特別な存在だと気付かれてしまうのではないか、ということ。
 心配し、うろたえる花を、かつて彼は静かにいさめた。
「大丈夫。少しくらい調子が悪くても、温かい食べ物と優しい君の手があれば、また元気になるよ」
 そう言って落ち着かせてくれたことがあった。彼が亡くなってからも、花はその言葉を繰り返し思い出し、心配しすぎないように心がけた。
 ただし雨は、雪と違ってひ弱なこどもであったので、よく熱を出し、治りも遅かった。時おり、どうしても投薬が必要だと思われるときには、小児用の医学書と動物用の医学書を照らし合わせ、その両方に有効な薬物を見極めると必要最低限の量を慎重に与えた。こどもたちの健康は、花の判断ひとつにかかっていた。
 せめて誰かに相談できたら、と思わない日はなかった。
 だが結局、花がひとりで判断するしかなかった。
 病気ならある程度は勉強して備えておける。だが事故はそのようなわけにはいかない。
 秋のある夜、こんなことがあった。
 ゲフッ、ゲフッ、とき込むような奇妙な音がした。最初、花にはそれが何の音かわからなかった。それが雪の声だと気付くのに、ずいぶん時間がかかってしまった。ダイニングテーブルの下をのぞくと、半獣の姿の雪が倒れていた。
 菓子と一緒に入っていた乾燥剤に、食らいついた歯形が残っていた。どろりとしたしや物が床に点々と散らばっていた。
「雪<外字>」
 頭のしんがじんとしびれた。
 雪を抱きかかえると、花は夜の街を走った。
 気が動転していた。誰かに助けを請いたかった。なりふり構わず走った。
 気がつくと、小児科と獣医が向かい合わせに建つ交差点に立っていた。
 何度、ここに立ったことだろう。
 しかしやはり、花はそのどちらのドアもたたくことはできなかった。迷ったあげく、公衆電話の受話器を取って、両方に電話した。
「こどもが誤って乾燥剤を食べてしまいまして……。2歳児です。ええ。吐きました。血は混じっていないです」
「シリカゲルと書いてあります。あの、危険なものでは……? え? 食欲ですか?」
 電話の向こうの医師に促されて雪を見た。
 げっぷをしながら雪は訴えた。
「おなかすいた」
 そして再び大きなげっぷをした。その音に雨が、花の背中越しに覗き込む。
 シリカゲルそのものに毒性はなく、特別な変化がなければ多めの水を飲ませて様子を見るように。食欲があればまず大丈夫だろう、と電話口の医師は言った。花はひとまずはあんするも、これからを思いやって大きなため息をついた。
 彼が幼い頃どうやって育ったのか、もっといろんなことを聞いておけばよかったと後悔した。

「おさんぽ」
 雪は散歩を要求する。
「おさんぽ!」
 天気の良い日には特に激しく要求する。
「おさんぽっ!!」
 毛を逆立て要求する。興奮して耳が飛び出す。
 この姿を人に見られてしまうかもしれないので、夜中などの限られた時間帯にしか外出しない。だが、
「おさんぽっ<外字>」
 と聞かない。
「もーしょうがないなあ。わかったからもー」
 花は根負けし、ただし、と条件をつけた。「おさんぽのときは、おおかみになっちゃダメ」
 雪はすぐに耳を引っ込めた。
 こどもたちに全身がすっぽり隠れるフード付きの服を着せると、散歩に出かけた。
 公園は見事な紅葉だった。落ち葉を踏むと、カサカサと心地よい音を立てた。ひんやりした空気が、すがすがしく気持ちよかった。
 たくさんの母親と子供が散歩しているのを目にした。親たちが集って、子育てにまつわるあれやこれやを談笑している。だが花は、その輪の中に入ることはない。遠巻きにそれを眺めるだけだ。
 公園の片隅に咲くシュウメイギクの前にしゃがみ、匂いをがせた。池のそばの、人通りの少ないベンチで休んだ。雪はモミジの落ち葉を拾って太陽に透かせ、自分の手と見比べたりしていた。穏やかな時間が流れた。
 途中、ビーグル犬を連れた優しそうな中年の男に、
「こんにちは。かわいいねー」
 と、すれちがいざま声をかけられた。
 花は素直にうれしくて、男に会釈すると、
「かわいいだって。よかったねー」
 と、雪を見た。
 カラフルなニットの服を着たビーグルが、雪に興味を持って近寄ると吠えたてた。中年の男は「コラ、だめだよ」と苦笑しながらリードを引く。
 そのとき。
 雪は突然花の手を振りほどくと、落ち葉をらして近付き、ビーグルの鼻面へ、
「ガルルルルッ!!!!」
 と威嚇した。
 フードの下は、おおかみの顔だった。
 ビーグルはおびえたように尻尾しつぽを巻いて男の足に隠れた。中年の男は、ぎょっとして雪と花を見比べた。
「…………すみません……!」
 花はあわてて雪を抱えると一目散にその場を逃れた。
 ――見られてしまったかもしれない。
 こどもたちを隠すように抱いて、周囲を気にしながら早足で家路を急いだ。
 ベビーカーを押している夫婦が、花を不審げに振り返った気がした。
 駅前のロータリーでバスを待つ若い母親とその子供が、花を振り返った気がした。
 子供を自転車に乗せた主婦が二人、花を見てなにかつぶやいた気がした。
 古いマンションのベランダから、子供を抱いた親が花を見下ろしている気がした。
 狭い路地の向こうから、母子が花を見ている気がした。
 花は、暗い路地裏を逃げるように走った。

 問題は立て続けに起こった。
 雨の夜泣きはいよいよ激しく、一晩中泣き止まないこともあった。
 ある夜、アパートの隣人の男が乱暴に戸を叩いた。
「何時だと思ってんだ。黙らせろよ」
 その大声に、雨はびっくりして泣くのをやめた。花がドアを開けるやいなや、男が酒臭い息で怒鳴り散らした。ジャージ姿のまま、たまりかねたように。
「毎晩毎晩うるせえんだよバカヤロウ」
「すみません、本当に……」
 花は平謝りに謝った。
「しつけぐらい親だったらちゃんとしろ」
 男は吐き捨てるように言い残し、力任せにドアを閉めた。
 再び火がついたように、雨が泣き出す。
 しかたなく雪を揺り起こして、近くの神社に雨をあやしに出かけた。
「よしよし。大丈夫だよ。よしよし」
 暗い境内で、雨が泣き止むのを待っているあいだ、雪は眠い目で手持ちに落ち葉なぞをいじっている。すると、酔ったサラリーマンたちの笑い声が境内の向こうから聞こえる。花はびくっとして雪をすくい上げると、怯えるように早足で神社を出て、ほかの場所を探した。
 だがこの都会で、ほかの場所などある訳もない。
 また別の夜、近くで鳴りひびく救急車のサイレンの音に反応するように、こどもたちはとおえを始めた。花は人差し指を口に当てて、静かにするように懇願した。しかし、いくら頼んでもこどもたちは遠吠えをやめなかった。
 すると翌日、大家がやってきた。
「うちのアパート、ペット禁止って契約書にちゃんと書いてあるわよね」
 大家はせた腕を組んで言った。
「ほかのたなさんから犬の鳴き声がするって。規則違反じゃないかって」
「――飼ってません」
「噓おっしゃい。野良犬を二匹抱いてウロウロしているのを見たって人もちゃんといるんだからね」
「――」
「とにかく、勝手なことをするんだったら、うちとしてはどこか好きなところへ行ってもらうしかないの。いいわね?」
 出て行け、引っ越しをしろ、ということだった。だがどこへ引っ越せばいいのか? 花には皆目、見当がつかなかった。
 また別の日には、見知らぬスーツ姿の男女が尋ねてきた。
「児童相談所?」
「ええ。ウチとしてもお子さんたちのことを大変している訳でして」
「どういうことでしょうか」
 薄く開けたドアの隙間から、女がファイルを片手に乗り出して来る。
「調べましたら、ごきようだいとも定期検診や予防接種を一度も受けておられませんよね」
「大丈夫です。元気ですから」
 花は話を打ち切ってドアを閉めようとしたが、女の方は閉めさせまいとする。
「ならばですね、お顔だけちょっと見せてもらえませんか」
「いや、それは」
「ちょっとでいいんです」男が懐柔の笑顔のまま、無理に部屋の中をのぞき見ようとする。「おっしゃることが本当かどうか、確認するだけですから」
「こ、困ります」
 花は懸命にドアノブを引いた。閉めた扉の向こうで、女のヒステリックな声がした。
「このままじゃ虐待やネグレクトを疑われてもしょうがないんですよ!」

 それ以来、花はドアを開けるのが怖くなった。
 郵便受けに来る封書を見るのも嫌になった。
 誰かが呼び鈴を押しても、無視した。
 それでも呼び鈴は鳴り続けた。とげとげしく、責めたてるように。
 花は、こどもたちの寝顔をぼんやりと見つめて、やり過ごした。
 今まで精一杯、がんばってきたつもりだった。
 だが、おおかみおとこのこどもを育てるには、人がたくさんいる場所では目立ちすぎる。都市の中でこのまま過ごせば、すぐに限界が来るだろうと感じていた。

 早朝の人のいない公園に、3人で出かけた。
 外出するのは久しぶりだった。冬の冷たい空気が肌を刺した。
 雨と雪は白い息を吐き、霜を踏み鳴らし、広大な芝生を縦横無尽に走り回る。
 フード付きのつなぎ姿のまま、おおかみの姿からこどもの姿へ、そしてまたおおかみの姿へとめまぐるしく変化した。狭いアパートの中で持て余していた不満を発散するように、ふたりのおおかみこども――おおかみ雪とおおかみ雨は追いかけっこを楽しんでいた。のびのびとしたふたりの笑い声がこだました。
 花は、身を縮めてベンチに座り、力なくそれを見ていた。
 気苦労と生活の疲れは、ピークに達していた。
「……ねえ」
 弱々しい声で、雪と雨を呼んだ。
「なあに、かあさん」
 息を切らしてこどもたちがやって来る。
 花は、大きく息を吸って、ため息のように吐いた。それから、ひとりごとのように呟いた。
「これから、どうしたい?」
「??」
「どう生きたい?」
「????」
「――人間か、おおかみか」
「??????」
 半獣の姿の雪と雨は、きょとんと首を傾げた。
 もちろん、答えが返ってくる訳ではない。
 だがふたりのこどもの顔を見ていると、ゆるやかにではあるが元気が戻って来るのを感じる。疲弊してすり切れた気持ちが徐々に消えて、替わりに、今までとは違う別の力が湧き出してくる。
 花は、やさしい笑顔を向けて言った。
「引っ越そうと思うんだ。どちらでも選べるように」
 そして遠くの空を見た。
 木々のあいだから、力強い朝日が昇ってくる。
 まぶしい光が、花たちを照らした。
 新しい朝だった。

(気になる続きは、本書でお楽しみください)

今後の放送予定はこちら。来週以降も楽しみにお待ちください!

11月14日(金)『バケモノの子』
11月21日(金)『竜とそばかすの姫』
11月28日(金)『時をかける少女』

※放送日は予定のため、予告なく変更する場合があります。ご了承ください。

作品紹介



書名:『おおかみこどもの雨と雪』(角川文庫)
著者:細田 守
発売日:2012年06月22日

「サマーウォーズ」の細田守監督の感動作、書き下ろし原作小説!
ある日、大学生の花は”おおかみおとこ”に恋をした。2人は愛しあい、2つの命を授かる。そして彼との悲しい別れ――。1人になった花は2人の子供、雪と雨を田舎で育てることに。細田守初の書下し小説。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/201112000522/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら

映画『果てしなきスカーレット』情報

キャスト:
芦田愛菜
岡田将生
山路和弘 柄本時生 青木崇高 染谷将太 白山乃愛 / 白石加代子
吉田鋼太郎 / 斉藤由貴 / 松重豊 
市村正親
役所広司

監督・脚本・原作:細田守
企画・制作:スタジオ地図
公開日:2025年11月21日(金)
©2025 スタジオ地図

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