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試し読み

『ナキメサマ』が大好評の大型新人、阿泉来堂さんの民俗学ホラー&ミステリー! 驚愕のラスト再び! 『ぬばたまの黒女』試し読み #1

生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、憧れだった少女が亡くなっていたことを知る。さらに新たに建立された神社では全身の骨が折られて死亡するという壮絶な殺人事件が起こっていた――。果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。ホラーエンタメド直球、最恐ホラー第2弾! その冒頭部分を特別に公開いたします。

『ぬばたまの黒女くろめ』試し読み #1

プロローグ

 ほのぐらく沈んだ室内には、腐臭に似た甘い香りが漂っていた。
 汗ばんだ肌に張り付くような蒸し暑さはなりを潜め、薄ら寒く感じられる静けさの中、しとしと屋根を打つ雨音だけがむなしく響いていた。見渡すほど広いその空間の中央で、一組の中年夫婦がひざまずき両手を合わせこうべを垂れている。
 夫の方はややくたびれた黒のスーツ姿、妻は型遅れの黒いツーピース。一見すると葬儀にやってきたかのようなたたずまいだが、この場所に死者の眠るひつぎはない。
 夫妻の正面、やや離れた位置には白い布で覆われた祭壇があった。中央のかがりで香のようなものがかれ、そこから立ち上る煙が見上げるほど高い天井へと伸びている。その手前には夫妻が持参した一枚の写真と子供用の衣服が据えられている。
 祭壇の前に立つ白で統一されたじようの男。年齢は四十代半ばだろうか。せぎすで少々疲れた顔をしているが、表情は穏やかで人当たりが良さそうである。長さ五十センチほどの古びた木の剣を右手に持ち、左手には柄の先がみつまたに分かれ、ややくすんだ黄金色をした鐘を所持していた。
 男が鐘を鳴らす。りぃん、と高く響いた鐘の音によって夫妻の意識はここよりずっと尊く高尚な世界をかい見る。肉体から離脱した魂が雲一つない夜の空を滑空するような、なんとも不思議な心地だった。
 男は自らを『てん』と名のった。当初、奇跡を起こすというこの人物の噂を信じきれずにいた夫妻だったが、いちの望みに思いを託し何もかもなげうつ覚悟でここにやってきた。そんな彼らをひと目見るなり「必ず、会いたい人に会えますよ」と告げた天師の柔らかく慈愛に満ちた微笑みを前に、夫妻の不安は驚くほど簡単に霧散していった。
 天師が右手を掲げ、刀身に七つの星が刻まれた木剣を左へ右へ、緩やかな動作で振るう。たなびく煙が木剣の動きによってふわりと動きを変え、均一だった流れに乱れが生じ始めた。あたかも彼がこの世のことわりを自在に操っているかのように。
 ふと、遠くの方から鐘の音がした。高く尾を引くような調子。何枚か壁を隔てたようなくぐもった音。不規則なリズム。夫妻は無意識に音の出所を視線で探っていた。ここには夫妻と天師以外、誰もいない。かすかな雨音がするだけで、外から音が響いてくる気配もなかった。
 また、鐘の音と同様に一定の間隔で床にかすかな振動が感じられた。注意していなければ気が付かないほどかすかな響きであった。決して耳障りな破壊音でも、忌避すべき雑音でもなく、鐘が響かせる幻想的な音と共に、身体に直接訴えかけるような温かさすら感じられる音の波動。それが床を伝い、夫妻の身体の中心へと達しているのだった。
 天師の声が徐々に大きくなり、周囲の空気を震わせた。悪しき存在をらすかのように木剣を激しく振るいながら、彼はじゆごんを繰り返す。
 気が付けば、夫妻は互いの手を握り合っていた。二人に共通する感情は期待と不安、そして一抹の希望であった。夫のこめかみから流れた汗が無精ひげだらけの頰を伝って落ちる。妻はぐっと息を詰め、亡き母親の形見である古ぼけた数珠じゆずを固く握りしめてはその身をこわらせていた。
 どん、と腹の底に響く強い振動音がするのと同時に天師の声はぴたりと止み、ひときわ大きく鐘が鳴った。長く尾を引いたその音が鳴り止む直前、天師はもう一度声を張り上げ、同時に木剣を祭壇奥にある扉へと突き出した。
 いつしか雨音も消え去っていた。耳鳴りがするほどの完全なる静寂の中で、掛け金が外れる音と共に扉が重々しく開き始めた。象の歩みのようにゆっくりと、人ひとりが通り抜けられる程度の隙間ができると扉は動きを止める。
 夫妻は身を乗り出すようにして扉の奥に広がる闇へと目を凝らした。こちらを振り向いた天師は一歩脇へとれ、夫妻と扉の間から身を引いた。
「あ……あ……」
 声を漏らしたのは妻だった。
「あなたなの……?」
 扉の向こうから、ゆっくりと滑るように入ってくる人影。それは不思議とほのかな淡い光を放っていた。立ち上る煙と同様に、こちらが身じろぎしただけでふっとかき消されてしまいそうなはかなさを感じさせるその人影は全体的に白くもやがかかっている。表情を見て取ることはできないが、全体のシルエットから幼い子供であることがわかる。
あきひろ……? 本当に……?」
 夫の呼びかけに答えるようにして、淡い光を有した人影は祭壇を通り抜けて夫妻の面前にやってきた。妻は涙をあふれさせ、夫はおずおずと手を伸ばす。
 触れることはかなわない。しかし確かにそこにいる。広げたてのひらに微かなぬくもりのようなものを感じて夫はそのことを確信した。
「ご子息の魂が『かくりの門』よりやってきました。どうぞお話し下さい……」
 天師が静かな口調で促した。
「あきちゃん……ごめんなさい。ママは……ああぁ……」
 えつ混じりに声を上げた妻が、ひっつめ髪をきむしりながらむせび泣いた。彼女に寄り添った夫が目の前の人影──息子の魂と呼ばれた存在を見上げながら、「すまなかった。本当にすまなかった」と繰り返す。
 二人の言葉を一身に受けた魂は何かを口にすることもなく、ただじっと二人を見下ろしていた。感情はおろか、表情すらもいだすことはできない。
「お判りでしょう。お子さんはあなた方にえて喜んでいるようだ。憎むなどとんでもない。自らの運命を理解し、受け入れ、こうしてあなた方を見守っているのですよ」
「天師さま。息子は……彰浩は……」
 天師は何もかもわかっているとでも言いたげに、静かに首肯した。
「ご子息はお二人に感謝しています。短くても共に過ごした時間は決して無くなりはしない。あなた方に与えられた幸せを今も大切に抱いている。その証拠に、彼の魂はとても穏やかで満ち足りていますよ」
 天師の言葉を受け、夫はこらえ続けた感情の波を決壊させた。顔をくしゃくしゃにゆがめ、おいおいと声を上げて泣き崩れる。手を握り合う夫妻をしばし見つめていた魂は、やがてその姿を変化させ、立ち上る煙に溶け込んでいった。
「これで本当の別れです。あなた方は前に進みなさい。それが何よりのご子息の供養となるでしょう」
 天師の言葉に何度もうなずき、その足元にすがるようにして夫妻は頭を垂れた。
 最後に一つ鐘の音が響き、開いた時と同じように、祭壇奥の扉が重々しい音を立てる。
 この世とあの世を隔てる扉が、ゆっくりと閉ざされた。

続く

作品紹介



ぬばたまの黒女
著者 阿泉 来堂
定価: 748円(本体680円+税)

『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返し第2弾!
神出鬼没のホラー作家にして怪異譚蒐集家・那々木悠志郎再び登場!
生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。
妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、村の精神的シンボルだった神社一族が火事で焼失し、憧れだった少女が亡くなっていたことを告げられる。
さらに焼け跡のそばに建立された新たな神社では全身の骨が折られた死体が発見されるという、壮絶な殺人事件が起こっていた――。深夜、陽介と友人たちは、得体のしれない亡霊が村内を徘徊する光景を目撃し、そして事件は起こった――。
果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返しホラー第2弾!
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