生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、憧れだった少女が亡くなっていたことを知る。さらに新たに建立された神社では全身の骨が折られて死亡するという壮絶な殺人事件が起こっていた――。果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。ホラーエンタメド直球、最恐ホラー第2弾! その冒頭部分を特別に公開いたします。
『ぬばたまの黒女 』試し読み #1
プロローグ
汗ばんだ肌に張り付くような蒸し暑さはなりを潜め、薄ら寒く感じられる静けさの中、しとしと屋根を打つ雨音だけが
夫の方はややくたびれた黒のスーツ姿、妻は型遅れの黒いツーピース。一見すると葬儀にやってきたかのような
夫妻の正面、やや離れた位置には白い布で覆われた祭壇があった。中央の
祭壇の前に立つ白で統一された
男が鐘を鳴らす。りぃん、と高く響いた鐘の音によって夫妻の意識はここよりずっと尊く高尚な世界を
男は自らを『
天師が右手を掲げ、刀身に七つの星が刻まれた木剣を左へ右へ、緩やかな動作で振るう。たなびく煙が木剣の動きによってふわりと動きを変え、均一だった流れに乱れが生じ始めた。あたかも彼がこの世の
ふと、遠くの方から鐘の音がした。高く尾を引くような調子。何枚か壁を隔てたようなくぐもった音。不規則なリズム。夫妻は無意識に音の出所を視線で探っていた。ここには夫妻と天師以外、誰もいない。かすかな雨音がするだけで、外から音が響いてくる気配もなかった。
また、鐘の音と同様に一定の間隔で床にかすかな振動が感じられた。注意していなければ気が付かないほど
天師の声が徐々に大きくなり、周囲の空気を震わせた。悪しき存在を
気が付けば、夫妻は互いの手を握り合っていた。二人に共通する感情は期待と不安、そして一抹の希望であった。夫のこめかみから流れた汗が無精ひげだらけの頰を伝って落ちる。妻はぐっと息を詰め、亡き母親の形見である古ぼけた
どん、と腹の底に響く強い振動音がするのと同時に天師の声はぴたりと止み、ひときわ大きく鐘が鳴った。長く尾を引いたその音が鳴り止む直前、天師はもう一度声を張り上げ、同時に木剣を祭壇奥にある扉へと突き出した。
いつしか雨音も消え去っていた。耳鳴りがするほどの完全なる静寂の中で、掛け金が外れる音と共に扉が重々しく開き始めた。象の歩みのようにゆっくりと、人ひとりが通り抜けられる程度の隙間ができると扉は動きを止める。
夫妻は身を乗り出すようにして扉の奥に広がる闇へと目を凝らした。こちらを振り向いた天師は一歩脇へと
「あ……あ……」
声を漏らしたのは妻だった。
「あなたなの……?」
扉の向こうから、ゆっくりと滑るように入ってくる人影。それは不思議とほのかな淡い光を放っていた。立ち上る煙と同様に、こちらが身じろぎしただけでふっとかき消されてしまいそうな
「
夫の呼びかけに答えるようにして、淡い光を有した人影は祭壇を通り抜けて夫妻の面前にやってきた。妻は涙を
触れることは
「ご子息の魂が『
天師が静かな口調で促した。
「あきちゃん……ごめんなさい。ママは……ああぁ……」
二人の言葉を一身に受けた魂は何かを口にすることもなく、ただじっと二人を見下ろしていた。感情はおろか、表情すらも
「お判りでしょう。お子さんはあなた方に
「天師さま。息子は……彰浩は……」
天師は何もかもわかっているとでも言いたげに、静かに首肯した。
「ご子息はお二人に感謝しています。短くても共に過ごした時間は決して無くなりはしない。あなた方に与えられた幸せを今も大切に抱いている。その証拠に、彼の魂はとても穏やかで満ち足りていますよ」
天師の言葉を受け、夫は
「これで本当の別れです。あなた方は前に進みなさい。それが何よりのご子息の供養となるでしょう」
天師の言葉に何度も
最後に一つ鐘の音が響き、開いた時と同じように、祭壇奥の扉が重々しい音を立てる。
この世とあの世を隔てる扉が、ゆっくりと閉ざされた。
続く
作品紹介
ぬばたまの黒女
著者 阿泉 来堂
定価: 748円(本体680円+税)
『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返し第2弾!
神出鬼没のホラー作家にして怪異譚蒐集家・那々木悠志郎再び登場!
生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。
妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、村の精神的シンボルだった神社一族が火事で焼失し、憧れだった少女が亡くなっていたことを告げられる。
さらに焼け跡のそばに建立された新たな神社では全身の骨が折られた死体が発見されるという、壮絶な殺人事件が起こっていた――。深夜、陽介と友人たちは、得体のしれない亡霊が村内を徘徊する光景を目撃し、そして事件は起こった――。
果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返しホラー第2弾!
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