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試し読み

人に言えない秘密がある人はご用心ください――『ぬばたまの黒女』試し読み#2

生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、憧れだった少女が亡くなっていたことを知る。さらに新たに建立された神社では全身の骨が折られて死亡するという壮絶な殺人事件が起こっていた――。果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。ホラーエンタメド直球、最恐ホラー第2弾! その冒頭部分を特別に公開いたします。

『ぬばたまの黒女くろめ』試し読み #2

第一章

 電車を降りた途端に電話が鳴り、僕は反射的に通話ボタンを押した。
『──もしもし、こちらむらようすけさんの携帯ですよね?』
 開口一番、怒りを押し殺したような低い声がした。
『私、あなたの妻ですけど、覚えていらっしゃいますか?』
「いきなりどうしたんだよ。覚えてないわけないだろ」
『あらうれしい。何度電話しても全然出てくれないから、私のことなんて忘れちゃったのかと思ってたところよ』
 新手の嫌味だろうか。出がけに口論した時の怒りがまだおさまらないらしい。ひどくつっけんどんな口調の妻は電話越しにも分かるほど、あからさまなためいきをついた。
「電車の中だったんだよ。マナー違反になるから出なかっただけじゃないか」
『マナーですって? だったら私からの電話もメールも無視して何百キロも離れた田舎に一人で出かけちゃうのはマナー違反じゃないっていうの?』
 マナーの問題ではないだろう。と返しそうになるのを堪え、「悪かったよ」と形だけの謝罪を口にする。
『そうやって謝っておけばどうにかなるって思ってるんでしょう。ねえ陽介、私の相手をするのがそんなに面倒くさい?』
「そんなこと言ってないだろ。変な解釈するのはやめてくれよ」
『だったら、そう思われないようにしてよ。あなたのそういう所がけんの原因になってるって、どうしてわからないの?』
 電話口の声は更にいらちを募らせ、その後も畳みかけるような不平不満が次から次へと放たれる。こうなってしまうと、ひとしきり吐き出すまでは手が付けられない。
 結婚してもうすぐ半年になる妻は最近、口を開けばずっとこんな感じだった。その原因が僕の優柔不断さや決断力のない性格によるところが大きいということは理解している。付き合い始めた頃はそういう部分も温かい目で見守ってくれていたようだが、最近ではそれすらもしやくに障るらしい。そんなに僕のことが気に入らないのなら、結婚などしなければよかったのにとも思うのだが、そんなことを身重の妻に対して言えるはずがない。だから結局は、何を言われたとしても僕がぐっと堪えるしかないのだ。
 次から次へと浴びせられる皮肉めいた言葉を聞き流しながら、このうつくつとした気持ちを紛らわせることが出来ないかと、僕はホームに設置された掲示板に視線を向けた。
 べつちよう観光案内と称したいくつかのチラシ、電車のダイヤ、町立中学校の吹奏楽部による演奏会のお知らせ。どれもさほど興味をそそらないものばかりだったが、一つだけ目を引いたのは、端の方にひっそりと掲げられている『行方不明者 情報求む』と題された捜索ビラだった。もとはカラーだったらしいが、長く放置されているせいでひどく薄汚れている。写真に写っているのは朗らかな笑みを浮かべた十代の少女で、この町の中学校に通っていたのだという。こんな風に放置されている所を見ると、この少女は今も見つかっていないのだろうか。
『ねえ、ちゃんと聞いてるの? 都合が悪くなるといつもそうやって黙り込むけど、本当は何か言いたいことあるんじゃないの? それとも、うるさい嫁とは口もききたくないとか?』
「そ、そんな、ちゃんと聞いてるって……。とにかく落ち着いたら連絡するから」
 僕は慌てて取り繕った。
『そんなこと言って、ちゃんと連絡してくれたことなんてなかったじゃない。いつだって私のことは後回し。今回だって──』
「──あ、ごめん。バスの時間だ」
 矢継ぎ早に繰り出される非難の声を遮って通話を終えた。少し時間をおけば冷静になってくれるだろう。そう勝手に納得して携帯電話をバッグに突っ込んだ。それから改札を抜け、特徴的な三角屋根の駅舎に懐かしさを感じながら、僕はバス乗り場へと歩き出した。

 別津町はさつぽろ市から電車で五時間ほどの距離にある酪農と林業が盛んな町だ。観光客も多く、名所となるスポットがいくつも存在し、駅前のあちこちに観光客向けの広告や告知物が散見される。
 バス乗り場に着くと、ちょうど目的地へのバスがやってくる時刻だった。時計の針は正午を回っており、早朝六時五十分の電車に乗り込むため朝食を抜いたこともあって、腹の虫が鳴いている。どこかで軽い物でも食べようかと思っていたが、その時間はなさそうである。やってきたバスに乗り込むと、乗客は僕の他に腰の曲がったお婆さんが一人だけだった。後方の座席に腰を下ろすと同時に昇降口のドアが閉まり、おつくうそうな排気音をたてながらバスは発車した。
 駅前の通りを抜け繁華街から離れるにつれて、町並みはどんどん寂しくなってくる。戸建てばかりが目立つ住宅街に差し掛かり、どことなく見覚えのある町並みを見るともなしに眺めながら、僕は湧き上がる郷愁に身をゆだねていた。信号で停車すると、学生服姿の一団が横断歩道を渡っていく。その様子をぼんやりと見つめて、自分にもあんな頃があったんだなどと妙に年寄りくさいことを考えては苦笑する。
 厳密にいうと僕はこの町の生まれではない。ここから十数キロ離れた山のふもとにある村の出身であり、今向かっているのもまさしくそのみなかたむらであった。
 村には小学校しかないため、中学に上がると村の子供はバスに乗って別津町へ通うことになる。こうして十数年ぶりに生まれ故郷に帰ってきたのも、毎日一緒にバスに揺られた友人たちが久しぶりに集まるからだった。
 皆方村は近々、行政の取り決めによって別津町の一部として統合されることが決定しており、それによって皆方村という名称も無くなってしまう。そうなる前に集まらないかという連絡が入ったのである。しかしながら、僕にとってその誘いは嬉しいばかりのものではなかった。
 正直な所、皆方村で過ごした当時の記憶は、いい思い出も多いが、それを打ち消してしまうほどつらい記憶の方が多かった。今から十二年前、中学三年の夏の終わりに村を出て以来、一度も帰る気になどならなかったのだから、それがどれほどのものかは言うまでもないだろう。今でも当時の鬱屈とした日々を思い返すだけで心がざわつき、気がりそうになる。
 それでもこうしてやってきたのは、妻とのぎくしゃくした関係に疲れ果てていたからかもしれない。懐かしい友人と再会することで、あんたんたる気持ちを少しでもふつしよく出来れば来た甲斐があるというものだ。
 窓の外を過ぎていく風景がいつの間にか一変し、バスはやがて峠道に差し掛かった。この峠を抜けた先に皆方村はある。
 僕が生まれ育った故郷。両親と暮らした家。そして懐かしい友人たちのいる村が。

続く

作品紹介



ぬばたまの黒女
著者 阿泉 来堂
定価: 748円(本体680円+税)

『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返し第2弾!
神出鬼没のホラー作家にして怪異譚蒐集家・那々木悠志郎再び登場!
生まれ故郷の村が近隣の町に吸収合併されると知り、十二年ぶりに道東地方の寒村、皆方村を訪れた井邑陽介。
妊娠中で情緒不安定の妻から逃げるように里帰りした陽介は、かつての同窓生から、村の精神的シンボルだった神社一族が火事で焼失し、憧れだった少女が亡くなっていたことを告げられる。
さらに焼け跡のそばに建立された新たな神社では全身の骨が折られた死体が発見されるという、壮絶な殺人事件が起こっていた――。深夜、陽介と友人たちは、得体のしれない亡霊が村内を徘徊する光景を目撃し、そして事件は起こった――。
果たして村では何が行われているのか。異端のホラー作家那々木が挑む、罪と償いの物語。『ナキメサマ』の著者が送る、ホラーエンタメド直球のどんでん返しホラー第2弾!
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