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試し読み

【震撼の黙示録『木曜日の子ども』発売前試し読み⑤】きみたちは、世界の終わりを見たくはないか―?

1月31日(木)、重松清さんの新刊『木曜日の子ども』が発売となります。
本作の発売を記念して、1月21日(月)~30日(水)まで10日間連続での発売前特別試し読みを行います。
第1回から読む
>>第4回はこちら




【第5回】
不動産会社の営業マンの川島くんに案内され、七年前にニュータウンで起きた凶悪少年犯罪「木曜日の子ども」事件の犯人の家の跡地に寄ることになった私。閑静な住宅街を襲った悲劇は、もう決して、他人事ではない――。



 車は丘のてっぺんに近い一角で停まった。電柱の住居表示には、旭ヶ丘四丁目とあった。
 わが家は一丁目。おそらく、ふだんの生活でこのあたりを歩くことは、まずないだろう。
「そこの先なんです」
 川島くんはフロントガラス越しに前を指差して、「十二、三軒並んでいるうちの、七軒目か八軒目なんです」と言った。
 同じような大きさの一戸建てが並ぶ、典型的な住宅街のたたずまいだった。
「言っていいのかどうかわからないんですけど……上田うえださんっていう家なんです。上田祐太郎ゆうたろう……っていうんです、名前」
「祐太郎くん、か」
 ついつぶやくと、香奈恵は「『くん』なんて要らないわよ」と憤然として言った。
 少年法によってマスコミでは報じられることのなかった少年の本名が、この街では、たとえ小声ではあっても、ふつうに語られる。
 あたりまえだ。事件が起きるまでは、彼は「少年」ではなかった。「上田祐太郎」として、仲良しの友だちや近所のおとなには「ユウちゃん」とでも呼ばれて、傍目にはごく平凡な中学生活を送っていたのだ。それこそ、隣の家の子どもとなにひとつ変わらないような。
「どうします? 降りて、見てみます?」
 川島くんは言った。あまりお勧めしませんが、と言外に伝わる口調だった。
 七年前の騒ぎがよほど苦い記憶になっているのだろう、更地になったいまも、近所のひとたちは見知らぬひとをひどく警戒しているらしい。
「いまは昼間だし、日曜日には散歩するひとも多いですから、そんなに気にすることはないと思うんですけど、車で乗り付けて、家の前に停めちゃうと、やっぱり、ちょっと……僕らも地元で仕事やらせてもらってますから、波風は立てたくないんですよね」
 それはよくわかる。私としても、べつにどうしてもこの目で見たいわけではなかった。家の場所だって、知らなければ知らないでなにも──いや、むしろ知らないままのほうがいいような気もしていたのだ。
 このまま新居に向かってもらおう、と口を開きかけたとき、香奈恵が言った。
「でも、ちょっとだけ降りてみようか」
「……え?」
「だって、せっかく案内してもらったんだし、やっぱり見てみたいじゃない」
 戸惑う私にかまわず、晴彦のほうを振り向き、通路から手を伸ばして、「降りるわよ。ちょっと散歩」と膝を軽く叩いた。
 晴彦は目を開けて、きょとんとした顔になったが、香奈恵がドアを開けて降りると、のろのろと腰を浮かせ、香奈恵のあとにつづいて外に出た。イヤホンをようやくはずす。夏の終わりの空をまぶしそうに見上げ、両手を上げて伸びをした。私と目が合うと、はにかんだように頰をゆるめて、「ここ、どこなんですか」と訊いてきた。
「四丁目なんだ。ウチから、バス通りを渡って、斜め上っていう感じかな」
「なんでこんなところに来たんですか?」
「うん……ほら、昔の事件があっただろ、同級生を毒で殺しちゃったやつ」
「はい……」
「その犯人の家が、そこの先にあったんだ。いまは空き地なんだけど……なんか、お母さんがどうしても見に行きたいって言ってさ」
 晴彦は、しょうがないなあ、と苦笑して先を歩く香奈恵の背中に目をやって、「ヤジウマ根性ありすぎなんですよ」と言った。
「だよなあ」と私も笑う。
「お父さんも、そうなんですか?」
「いや、俺は違う違う、お母さんに付き合うだけだ」
「一人で行くの怖いんですかねえ」
「そうだよ、俺や晴彦くんがボディーガードなんだよ」
 ははっ、と笑う。晴彦も、ふふっ、と笑って、話は途切れてしまう。
 息子は父親に敬語をつかい、父親は息子を「くん」付けで呼ぶ。ひとつながりの会話が終わると、なかなか次の話題を見つけられない。
 そんな私たちを振り向いた香奈恵は、早く早く、と笑って手招いた。
 晴彦は、どうぞ、と私に香奈恵の隣を譲って、自分は歩くのを遅くしながら、またイヤホンを耳に差し込んだ。

 かつて少年の家があった場所は、ぽっかりと抜けたような空間になっていた。雑草はほとんど生えていないので、ひな壇になった土地の、ほとんど真四角のきれいな形が、はっきりと見てとれる。
 荒れ放題の空き地を想像していた私は、思わず「意外ときれいなんだなあ」と言った。
「それはそうでしょ」香奈恵は感心するそぶりもなく言う。「せめて土地をきれいにしておくことぐらいしなきゃ、ご近所に申し訳が立たないじゃない」
「どこかに管理を任せてるのかな」
「弁護士さんを通じて、いろいろやってるんじゃないの?」
 確かに、更地をきれいに保っておくことは、ご近所に対するせめてもの罪滅ぼしになるのかもしれない。
 だが、あまりにもきれいな空き地を見ていると、逆に、寒々しさも感じる。ああ、ここの土地は死んでしまったんだなあ、と思ってしまう。明日にでも基礎工事を始められそうなのに、この場所にいつか家が建つかもしれないというのが、どうしても想像できない。同じように、ここにかつて五人家族が暮らす家があったんだというのも、ピンと来ない。
 抜け殻ですらない。最初からここにはなにもなかったんじゃないかというような、生気の消えた土地だった。

第6回へつづく
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