1月31日(木)、重松清さんの新刊『木曜日の子ども』が発売となります。
本作の発売を記念して、1月21日(月)~30日(水)まで10日間連続での発売前特別試し読みを行います。(第1回から読む)
>>第3回はこちら
【第4回】
結婚を機に家族で引っ越す先は、かつて凶悪な少年犯罪が起きたニュータウンだった。リフォームを終えた新居を見た帰り道、不動産会社の営業マンの川島くんに案内され、事件の犯人の家に寄ることになり……。
坂を上りはじめると、ワゴンのエンジン音はひときわ高くなった。
そのせいで、川島くんの言った言葉を受け取りそこねてしまった。
「え? ごめん、なんだって?」と訊き返すと、川島くんは少し声を張り上げて「たまにファンの子も家の前に来てたらしいんです」と言った。
「ファン? 誰の?」
「あの少年の、です」
「……そんなのがいたのか」
「ええ……ファンっていうより、なんていうか、宗教の信者みたいなもんですかねえ、女の子が家の中に入ろうとしたり、じーっと道路にしゃがみ込んでる男の子がいたり……中には家出してきた子もいて、補導されたりしたらしいですよ」
ちょっと、やだ──香奈恵が顔をしかめて、また身を乗り出してきた。
「信じられない。だって、殺人犯でしょ、無差別殺人よ」
私の肩をつついて、「ねえ」とうながす。
いままでなら、応える言葉は決まっていた。
最近のガキって、やっぱりどこかおかしいんだよ──。
会社の同僚と酒を飲んでいるときなら、舌打ち交じりに言える。得意先と商談に入る前の世間話のときでも、大げさにうんざりした顔をつくって言える。香奈恵と二人きりのときでも──微妙に声をひそめながら、言えるだろう。
いまだって、その言葉が喉元まで出かかっている。吐き捨てるような口調になるだろう、というのもわかる。それが、世間のおとなとしての、私の本音だ。
だが、私は軽いため息と一緒に、喉につっかえていたおとなの本音を払い落とした。
「でも、悪の魅力ってあるんだろうなあ。なんとなく、それ、わからないわけでもないけど」
「なにが魅力よ、そんなの魅力って言わないわよ」
「いや、だから、俺たちから見ればそうなんだけど、逆にヒンシュクを買うようなことだから魅力的に感じるって、あるんじゃないかなあ」
晴彦をちらりと見た。窓の外に目をやった晴彦の横顔には、白いイヤホンのコードが垂れていた。音楽を聴いている。
なんだ、と拍子抜けした。いまの話は聞こえていなかったのか。少しほっとして、家族で一緒にいるときぐらいは音楽を聴かないでほしいんだけどな、とも思いながら、「まあ、でも……」とおとなの本音に戻した。
「憧れるのは勝手でも、真似だけはしてほしくないよな」
「そりゃそうよ、こんなのを気軽に真似されちゃったら、もう、世の中おしまいだもん」
ですよねえ、と川島くんは追従するように笑った。
「僕なんかも二十七歳ですけど、もっと若い連中を見てると、もう全然違うなあって思いますよ」
「ああ、そうだな」私もうなずいた。「いまは世代が四、五年で変わってる感じするよ、確かに」
「まあ、僕らも若造は若造なんですけど、いまどきの新入社員とかって、常識が通じないのかよ、ってあきれることたくさんありますよ」
わかるわかる、と私は苦笑する。
「お客さんを案内するときの言葉づかいだって、はらはらしちゃうとき、あるんですよ」
「敬語がだめなんだよなあ」
「すぐに友だち感覚になっちゃうか、どうでもいい赤の他人かっていう感じで、中間がないんです」
川島くんの言葉や口調は、しだいに辛辣になってきた。その気持ちもよくわかる。ウチの会社でも、若い連中の常識のなさに対しては、上司になる私たちの世代よりも、むしろ二、三年先輩にあたる連中のほうがカリカリきている。歳が近いぶん、価値観や意識のずれが許せなくなってしまうのだろうか。私たち四十代が「目くそ鼻くそだけどな」と笑っていることは──もちろん、言わない。
「でも……それって怖いよね」
香奈恵が話に割って入った。
「なにが?」
「だって、中間がないってことは、極端に言っちゃえば、敵か味方しかいないってことになるでしょ。自分の味方じゃないひとはみんな敵だ、って……怖くない?」
「まあな……」
ちょっと話が飛躍しすぎているような気もしたが、言いたいことはよくわかる。
「敵か味方か、さあどっち、なーんて子どもっぽいよね、ほんと」
「そういえば、あの犯人も『子ども』って言葉をつかってたんですよね、犯行予告の手紙で」
「そうそうそう、なんだっけ、何曜日の子どもとかって……」
「木曜日だよ」私は言った。「マザーグースの歌にあるんだ、そういうのが」
木曜日の子ども──という奇妙な言葉の意味は、事件が起きてほどなく明かされた。
そういう世界に疎い私でも知っている、マザーグースの有名な歌から引いた言葉だった。
『月曜日の子どもはかわいい子』や『誕生日』という題名で紹介されることの多い、生まれた曜日による占いの歌だ。日本語に訳すと、歌詞はこんなぐあいになる。
月曜日の子どもは、かわいい顔。
火曜日の子どもは、気品に満ちて。
水曜日の子どもは、悲しいことがたくさん。
木曜日の子どもは、遠くに行って。
金曜日の子どもは、惚れっぽくて気前がよくて。
土曜日の子どもは、働きづめで。
日曜日の子どもは、かわいくて、明るくて、朗らかで、元気いっぱい。
「木曜日の子ども」は、遠くに行ってしまう。それを少年は「死」に重ねていた。
ワイドショーでは、さらに「木曜日の子ども」とは少年自身のことではないかという解釈も出ていた。少年の生年月日を調べてみたら、彼もまた、木曜日に生まれた子どもだったのだ。
(第5回へつづく)
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