1月31日(木)、重松清さんの新刊『木曜日の子ども』が発売となります。
本作の発売を記念して、1月21日(月)~30日(水)まで10日間連続での発売前特別試し読みを行います。(第1回から読む)
>>第2回はこちら
【第3回】
中学二年の少年が同級生を無差別に毒殺し、前代未聞の凶悪犯罪が起きた町として全国に名を馳せた旭ヶ丘ニュータウン。七年後、結婚を機に、その町に引っ越してきた私は……。
七年前の夏──。
私は三十五歳で、独り身だった。結婚をするつもりはなかったし、ましてや自分が父親になるなど、想像したことすらなかった。
七年後のいま──。
四十二歳の私には、家族が二人いる。同い年の妻の香奈恵と、中学二年生の一人息子、晴彦──正確には、いまはまだ「晴彦くん」と紹介したほうがいい。
七年後の未来には、「くん」抜きで呼んでいたい。その頃、彼は二十一歳だ。二人で酒を酌み交わせるような、そんな父と息子になっていたい。
「なれるわよ、すぐに」
香奈恵は言う。「なってもらわなきゃ困るじゃない」と笑う。
そのとおりだと私も思う。やるしかないんだ、と自分に言い聞かせてもいる。
人生というのは、なにが起きるかわからない。
一生気ままな独身生活を送るつもりだった私が、離婚歴のある香奈恵と夫婦になるなど──さらに香奈恵と前夫との間に生まれた晴彦の父親になるなど、七年前の自分が知ったら「おまえ、どうしちゃったんだ?」とあきれ返るかもしれない。
だから、いまの私には、「木曜日の子ども」事件は決して他人事ではない。
閑静な住宅街の旭ヶ丘を襲った悲劇を、海の向こうの国の戦争と同じように遠目で眺めることは、もう、できないのだ。
「ちょっと寄り道してみませんか」
不動産会社の若い営業マン──川島くんに誘われた。
リフォームを終えた新居を、家族で見に行った日曜日のことだ。
川島くんは私たちをワゴン車に乗せて駅前の事務所を出発すると、「清水さんはまだご存じないんですよねえ」と訊いて、知らないのならいまから案内する、と切り出したのだ。
「おそらく、お知り合いの方が遊びにいらっしゃると、場所を訊かれると思うんですよ。こんなこと言っちゃアレですけど、旭ヶ丘の名所みたいなものですから」
「木曜日の子ども」事件の犯人の家──。
七年前には大学生だった川島くんも、この春の異動で旭ヶ丘を営業エリアに持つ支店に配属になったとき、すぐに「ああ、あの旭ヶ丘か」と思いだしたのだという。
香奈恵がセカンドシートから身を乗り出して、「まだ家族は住んでるんですか?」と訊いた。
「いえ、更地になってます。もう五、六年前に引っ越されて行きました」
「そこからずっと更地なんですか?」
「ええ、しばらくは売り物件になって、ウチでも広告は出したんですけど、結局買い手がつかなくて……いまはもう売りに出してないのかなあ」
「五、六年前っていったら、事件の少しあとぐらい?」
「ですね。ちょうど一年後ぐらいですよ。ただ、実際には、その前からもう、ほとんどひとの気配はなかったっていう話ですけどね」
事件のあと、少年の家族は姿をくらました。被害者の遺族やマスコミとの窓口はすべて弁護士がつとめ、両親はその弁護士を通じて連名でお詫びのメッセージを発表したきりだった。
「きょうだいがいましたよね、たしか」
「そうですそうです、妹がいたんですよ。おばあちゃんも入れて五人家族で、妹はまだ小学校に上がったばかりじゃなかったかなあ」
「家族もつらいですよね……」
「いやほんと、まったくそうですよ」
「親の責任だって言われても、そんなの、困っちゃいますよねえ」
香奈恵はため息をついて体をシートに戻し、三列目に座った晴彦に「そうなのよ、親に責任が取れることと取れないことがあるんだからね」と笑いながら声をかけた。
川島くんは「そりゃそうですよねえ」と声をあげて笑い、私も「なに言ってんだ」と苦笑交じりに香奈恵を振り向き、さらにその先の晴彦に目をやった。
晴彦は黙ってうつむいた。恥ずかしがってそうしたというより、不意に自分に話を振られたのを怒っているような、そっけないしぐさだった。
やれやれ、と私はもう一度苦笑する。
中学生なのだ、晴彦は。男子なのだ。ひとまえで親に──まして母親に話しかけられることの恥ずかしさは、私にもよくわかる。
私は川島くんに「やっぱり事件のあとはすごかったんでしょ、ヤジウマ」と訊いて、話を晴彦からそらしてやった。
「ええ、僕は直接は知らないんですけど、すごかったらしいですよ。ヘリコプターは飛び回るし、夜になったら暴走族も来るし、あと、街宣車まで来て、親は死んで詫びろとか、ニッキョーソの教育が悪いからこんな子どもが生まれたんだとか、観光気分で記念撮影してるおばさんたちもいたりして、もう、このあたりは一日中大渋滞ですよ」
そこまでは、当時の記憶にもある。たしか、塀にスプレーで落書きされたことや、窓ガラスを石で割られたこともあったはずだ。
九人もの同級生を殺した少年──。
そんな子どもを産んで、育てた親──。
少年はそれまでなにひとつ問題を起こしたことのなかった、ごくふつうの子どもだったという。成績もそこそこよかったし、野球部でも三年生が引退したらセンター・七番のレギュラーポジションを獲れそうだった。クラスの人気者というほどではなかったが、いじめに遭っていたわけでもない。一学期のクラス委員選挙では七票を得た。テレビで報じられた、その七という数字が、ぞっとするほどなまなましくてリアルだったのを、いまでも覚えている。
「息子の狂気になぜ気づかなかったんだ」と言われても、親だって困ってしまうだろう。だが、「そんなこと言われても知りません、息子は息子、私は私ですから」と開き直れるはずがないことも、わかる。
マスコミの前から姿を消した両親のことを、あの頃は、卑怯だと思っていた。
いまは違う。あの両親をかばうつもりはないが、「じゃあ、おまえならどうする」と誰かに訊かれたら、なにも言えない。七年前の街頭インタビューでどこかの父親が言った「身につまされる」というのは、要するに、そういうことなのだろう。
(第4回へつづく)
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