1月31日(木)、重松清さんの新刊『木曜日の子ども』が発売となります。
本作の発売を記念して、1月21日(月)~30日(水)まで10日間連続での発売前特別試し読みを行います。
>>第1回はこちら
【第2回】
旭ヶ丘中学校に一通の脅迫状が届いたその日の昼、事件は起きた。給食に混入された毒物で、生徒9名が死亡、21名が入院するという前代未聞の少年犯罪である。
彼は事件の現場にいた。三十一人の生徒のうち、ただ一人無事だった。
最初のうち、少年は「野菜スープは嫌いだから食べなかった」と言っていた。だが、犠牲者が九人にのぼったことを警察が告げると、計画が成就したのを知ったからだろう、一転して──ただし、他人事のように淡々と犯行を自供したのだという。
警察はすぐさま少年を逮捕し、両親に連絡をとって、家宅捜索のために自宅を訪れた。
捜査員はそこで、もう一つの事件を知ることになる。
自宅の一室で、同居している祖母が床に臥せっていた。ここ数日、体調を崩して寝込んでいるのだと言った。だが、家宅捜索に同行した鑑識員には、すぐに祖母がワルキューレの慢性中毒症状を起こしていることがわかった。吐き気、手足の痺れ、皮膚のただれ、そしてミーズラインと呼ばれる爪の条痕……。
少年は、祖母に微量のワルキューレを投与しつづけていたことも自供した。殺害するためではなかった。長期間にわたって少しずつ全身にワルキューレの毒が回ると、神経組織がずたずたに破壊され、幻覚とともに自殺衝動に襲われる。彼は、衰弱して正気を失った祖母が錯乱したすえに自ら命を絶つところを見たかったのだ。
犯行に使われたワルキューレは、四国の小さな地方都市で、昭和の半ば頃まで薬局を営んでいた母方の実家の物置小屋から盗み出したものだった。
前年に、大学で化学を専攻する女子大学生が、同じワルキューレを用いて研究室の同僚を殺害しようとした事件が起きた。いまでこそ厳重な管理のもとで取り扱われているワルキューレだが、かつては殺鼠剤として広く使われていたこともあって、その当時の在庫さえあれば、入手は決して難しくはない。テレビのニュースや新聞記事でそれを知った少年は、春休みに一人で母方の実家に帰省して、祖父になにげなく訊いてみた。
すると、店じまいするときに、ワルキューレの殺鼠剤は自家用に使うつもりで物置小屋にしまっておいた、という。
せっかく取り置いていたのに、ネズミの駆除が進んだので、殺鼠剤の出番はないまま歳月が流れた。少年に訊かれるまで、それをしまっておいたことすら忘れていた。物置のどこに、どれほどの量のワルキューレがあるのか、見当もつかない。認知症の症状が出かかっていた祖父は、のんきに少年に答え、そのやり取りもまたすぐに忘れてしまい、事件後に警察が家宅捜索に訪れて初めて、物置が荒らされていることに気づいたのだ。
それが事件のあらましだった。
ただし、すべてではない。その時点ではわからなかったことも、いくつかある。
たとえば──。
二年一組の教室で、同級生が次々に倒れ、激しく嘔吐したり全身を痙攣させたりする光景を、少年はじっと見ていた。事件の翌年にテレビ局がスクープした供述調書によると、少年はそのとき、悶え苦しみ、断末魔のうめき声をあげる同級生の姿に、身震いするほどの興奮を覚えていたらしい。
たとえば──。
少年は、旭ヶ丘にあるすべてのマンションの給水タンクの位置と、そこへ部外者がたどり着けるかどうかを調べ上げていた。二年一組を使った「実験」が成功したら、次はマンションを舞台にして、もっと大がかりな「実験」をするつもりだった。
たとえば──。
少年はラジコンのヘリコプターを持っていた。夏休みに入ったら、子どもたちでにぎわう遊園地のプールを狙って、ヘリコプターでワルキューレを撒くことも考えていた。
たとえば──。
少年はすべてのワルキューレを使い切った、と供述していた。しかし、一部のメディアはそれを虚偽だと断じ、さらに少数の、あまり信頼の置けないメディアは、少年がどこかに隠したワルキューレは三キログラム──三千人分の致死量に及ぶ、と報じた。
さらに、たとえば──。
少年には、片思いをしている女の子がいた。二年一組の同級生だった。事件の当日、少年は彼女に声をかけたらしい。給食の野菜スープ、飲まないほうがいいよ。家庭裁判所に送致されたあとで「そんなことを言っちゃったら、自分が犯人だと疑われると思わなかった?」と調査官に言われると、少年は「あ、そうか、そうですよねえ」と屈託なく笑ったのだという。
結局、その女の子は、少年の忠告を聞かずに野菜スープに口をつけ、九名の死者のうちの一人になった。
犠牲者の中に彼女も含まれていることを知ったとき、少年はどうしたか。
激しく動揺して涙ぐんだ、という報道もあるし、ひとの親切を踏みにじった罰だと冷ややかに言い放った、という報道もある。
二手に分かれた報道は、しかし、すぐに一つにまとまる。
どちらにしても、少年は反省や後悔や謝罪の言葉は、一言も口にしなかった。
事件当時、少年は十四歳だった。
だから、彼の顔や名前はマスコミでは報道されなかった。旭ヶ丘をめぐる情報は、これでもかというほど事細かに報じられたのに、なによりも肝心なところは、最初から最後までぽっかりと抜け落ちたままだった。
(第3回へつづく)
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