KADOKAWA Group
menu
menu

試し読み

中山七里史上、もっとも狡猾な警官登場! この男正義のヒーローなのか、それとも──。 「こちら空港警察」大ボリュームの試し読み実施!



 確かに空港は空の玄関口だが、玄関に立っているだけでは奥の部屋で誰が何をしているのか分からない。地上勤務に明け暮れる咲良は半ばそんな状態だった。欠航便を把握する必要もあって海外情勢には詳しくなるものの、足元である千葉県内のニュースにはからっきし疎くなっていたのだ。従って県内で違法薬物事件が深刻な事態になっている現状など、人から教えられて初めて知る始末だった。
 その日もチェックインカウンターに立っていると、目の前を何度も警官が通過していく。特に誰かを追ったり捜したりという様子ではなかったが、その数が尋常ではない。いつもフロアを巡回している警官たちとも違う顔触れなので妙だと思っていた。
 まさか咲良たちの知らないVIPでもやってくるのか。気になって同僚たちに確認してみたが、誰もそんな話は聞いていないと言う。
 搭乗手続きの業務を捌いてひと息吐いていると、カウンターに見覚えのある人物が歩み寄ってきた。
「やあ、その節はどうも」
「こちらこそっ」
 咲良は無意識のうちに身体を硬くした。会社の上司でもないのに緊張するのは、相手がヤクザ以上の強面だからだ。
 千葉県警刑事部捜査一課、高頭冴子。
 身長は優に百八十センチ以上はあるだろうか。服の上からでも筋肉質であるのが分かる。警察手帳を呈示されなければ女子レスラーでも通りそうだ。
 昨年、咲良が搭乗手続きを進めていると、冴子ともう一人の刑事がカウンターに駆けてきた。
『至急、杭州行きの便に乗りたい』
 ANANH929便杭州行きは既に搭乗が始まっている。今からでは間に合わないので次の便をと勧めたが、冴子は頑として聞き入れなかった。
『ついさっきウイグル人女性が無理やり搭乗させられた。時間が経てば経つほど彼女の命が危険に晒される。貨物室でも構わないから、わたしたち二人を929便に乗せてほしい』
 ウイグル人が新疆ウイグル自治区において非人道的な扱いを受けているのは、咲良もニュースなどで聞き知っていた。だが攫われた女性には悪いが、なるべく政治的トラブルとは関わりたくないので規則を盾に謝絶するつもりだった。
 ところがその時、冴子は低頭して額をカウンターに擦りつけた。
『頼む。彼女を救えなかったら、わたしは一生自分と、千葉県警と、成田空港を許せなくなる』
 無茶苦茶な理屈だったが、冴子の口から発せられると不思議にこちらの義俠心が刺激された。
 結局、咲良は保安検査場と出発ゲートの同僚に根回しし、冴子たちを929便に乗せることができた。数週間後に帰国した冴子から件のウイグル人女性を奪還したと知らされた時には、ひさしぶりに胸のすく思いだった。
「あの後、容疑者の取り調べや外務省への説明などでなかなか時間が取れませんでした」
 冴子は改めて礼を言いにきたらしい。
「あなたの尽力のお蔭で一人の女性の命と、わたしのプライドを守ることができました。ご協力ありがとうございました」
「そんな。わたし、大したことはしていません」
「結果的には大したことなんですよ」
 警察官からそう言われると悪い気はしない。普段はクレームばかりを投げつけられる部門なので、たまさか感謝の言葉をかけられると心が洗われたような気分になる。見知らぬウイグル人女性の救出に微力ながら協力できたというのなら尚更だ。
 次第に緊張感は親近感に変わり、空港のセキュリティに話が及んだ時、咲良は尋ねてみた。
「そう言えば、今日はずいぶんお巡りさんを見かけるんですが、何かあったんですか」
「何も起こらないようにするための特別巡回ですよ」
 そこで冴子から県内の違法薬物禍を知らされた次第だった。
「一般のサラリーマンや大学生まで所持や使用の容疑で逮捕されています。容疑者の数は過去最大になる惧れがあります」
「違法薬物を取り扱っているのは反社会的勢力なんですよね」
「千葉県の場合は他と事情が少し異なっていて、外国人犯罪者が絡んでいるケースも多々あります」
 空の玄関口を抱えているせいで、千葉県は外国人の割合が高い。分母が大きくなれば、その中の犯罪者の数も増えるのはむしろ当然だ。
「ただし、どんなルートで出回ろうが、大麻やヘロイン、そして覚醒剤は国外から持ち込まれるモノがほとんどです」
「それで玄関口の空港に大勢のお巡りさんが派遣されているんですね」
「成田空港さえ押さえておけば市中に流れているクスリはやがて消費され使尽される。水道の元栓を閉めておけば水は出なくなるという理屈です」
 冴子の説明は要領を得ていて分かりやすかった。
「空港警察の署員だけでは足りないので、県警の組対五課も出動しています。目つきの悪いヤツがいても気にしないでいただきたい」
 それでも違法薬物が国内に持ち込まれたら、管轄している空港警察の責任になる。
「新任の仁志村署長は大変そうですね」
 仁志村の名を聞いた途端、冴子の表情が変わった。
「よく署長の名前をご存じですね」
「署長さんご本人が第1ターミナルから第3ターミナルまで巡回されていましたから。わたしも少しお話しさせてもらいました」
「あのフットワークの軽さは健在か」
 何やら仁志村とは因縁がありそうな口ぶりに、咲良の耳が反応する。
「仁志村署長は有名なんですか」
「県警本部時代はわたしのトレーナー役でした。警察官のイロハを叩き込まれました」
「叩き込まれたって。そんなスパルタな人にはとても見えないですけど」
 すると冴子は声を一段潜めてきた。
「蓮見さん、チェックインカウンターの仕事は長いですか」
「そこそこです」
「失礼ですが、もっと人を見る目を養った方がいい」
 さすがにむっとした。
「どういう意味でしょうか」
「あなたは仁志村署長をどんな人間だと思いますか」
「一度話しただけですが、とても社交的で温厚そうで協調性に溢れた人かと」
 冴子は呆れたように首を横に振る。
「では、わたしはどんな人間に見えますか。外見のみの印象で結構」
「あのう、男勝りというか武闘派というか。すみません」
「中らずと雖も遠からずですから、まあいいでしょう。その武闘派のわたしが仁志村署長には結構泣かされました。決して色恋沙汰の話ではなく、本当に泣かされたのですよ。彼が『とても社交的で温厚そうで協調性に溢れた人』なら、どうしてわたしが泣かなきゃならない羽目になるのか」
「……ちょっと信じられません」
「県警本部時代には『鬼村』と恐れられていました。恥ずかしながらわたしにも二つ名がありますが、到底比較にならない」
 冴子は心配そうにこちらを見た。
「あなたが深く関わることはないと思いますが、仁志村署長を『とても社交的で温厚そうで協調性に溢れた人』とは思わない方がいい。むしろ逆に見立てた方が、誤解が少なくて済む」
「逆って」
「人嫌いで酷薄で唯我独尊とでも思ってください」

 休憩室に飛び込むと千夏をはじめとした同僚たちがハイヒールを脱いで寛いでいた。
「お疲れ」
「お疲れー」
 今日も愚痴大会になると思いきや、千夏の口をついて出たのは警察に対する非難だった。
「第2にも来たわ、あのお巡りさんご一行様。もう邪魔で邪魔で」
「第1ターミナルもそう。こっちが猛ダッシュしているのに、うろうろされて障害物でしかなかった」
「聞いたらさ、麻薬が持ち込まれてないかと緊急で動員されたみたいよ」
「お巡りさんが目を光らせていたら、運び屋もビビって麻薬を差し出すとか思ってんのかしら」
「どうせ見張るのなら保安検査場か、さもなきゃ税関に集まっていれば、ずっと効率がいいのに」
「いかにも『厳重警備やってます』感が強くて引くわー」
「てかさ、新署長が赴任した直後に県警本部から大量に人が送り込まれたんよ。『厳重警備やってます』より『誰も空港警察なんかに期待してねえぞ』アピールじゃないかな」
「うわ。千葉県警の内部抗争勃発だ」
「そんなの別にいいからさあ。どうせお巡りさん余っているなら、ラウンジでボウジャクブジンの振る舞いをするリーマンを取り締まってほしい。あいつらホントにウザい」
「飛行機に乗る、海外に行くってだけで、何であんなにイキれるのか不思議でしょうがない」
「ああいう勘違い野郎、一人でも逮捕してくれれば空港警察の好感度爆上がりなんだけどねー」
「期待しちゃ駄目よー。あの人ら、完璧に税金泥棒だもん」
「新任署長さんは人当たりのいい爽やか系なんだけど」
「千葉県警と角突き合わせているようだったら、三年待たずに左遷かな」
 いつもなら咲良も愚痴の輪の中に入るのだが、仁志村と言葉を交わした上に、冴子と話し込んだ後は皆と調子を合わせることができずにいる。
 CAやGSの仕事は、傍から見れば華やかに見える。実際、就活生の人気企業アンケートでも、航空会社は必ずと言っていいほど上位に食い込む。競争倍率が高いから自ずと有能な学生が集まる。しかし現場に配属されると、仕事の実態に打ちのめされて何人かは精神を病む。
 外見で判断するなとよく言われる。自身も気をつけているつもりだが、やはり先入観や第一印象が意識の底に居座って目を曇らせている。
 この場で警察官を悪し様に罵っている彼女たちも同じだ。たった一人のウイグル人女性を取り戻すために命を張った刑事を知らない。責任者が替われば組織も変わると熱弁する警察署長を知らない。知らないから日頃の印象だけで物事を決めてしまう。
 それはちょうど、瀬戸ようじの実体を知らず芸風だけで彼を知った気になっている視聴者と同じだ。自分勝手で、思慮が浅い。
 咲良は千夏たちの暴言を、ひどく遠くから聞いているような感覚に陥った。
 彼女たちが休憩を終えて持ち場に戻ると、咲良はスマートフォンでニュースを漁ってみた。検索対象は千葉県内で発生した違法薬物に関する事件だ。すると出るわ出るわ、ここ一年だけで山のように事例が並んだ。
 ヘロイン使用で逮捕された女優。
 覚醒剤を使用して通行人に刃物を振り回した予備校生。
 何を思ったか、大麻を売ってくれとコンビニエンスストアで大立ち回りを繰り広げた会社員。
 他人を傷つけた者もいれば、禁断症状に耐えかねて自死した者もいる。一例一例はとんでもない悲劇でコメントのしようもないが、これだけ数を並べられると感覚が麻痺してしまう。
 悲劇の種類は多様だが、違法薬物の入手経路は不思議に共通している。
 旅行先に滞在中、非常に親切にされた人物から「この荷物を日本の友達に渡して欲しい」と頼まれた。十分な謝礼をもらえるとその依頼を引き受け、荷物を持って帰国の途についたところ、中には大量の大麻が潜ませてあった。
 海外から日本への荷物の託送を請け負うアルバイトの募集サイトを見て応募して渡航。現地でスーツケースを預かったが、経由地の空港でそのスーツケースの中から覚醒剤が発見された。
 海外の空港で同じ便に乗るという高齢の旅行者から「孫へのおみやげで荷物が多くなったのであなたの荷物として預かってくれないか」と頼まれ、お年寄りへの思いやりから親切心で預かった。到着空港の税関で検査したところ、その荷物の中から麻薬が発見された。
 旅先で知り合った現地人から土産物店に案内され、「旅の記念に」と木彫りの置物を買ってもらったが、空港の手荷物検査で置物の中から覚醒剤が発見された。
 どれもこれも巧みな方法で税関や保安検査場を突破しようとしている。彼らにとっては空港だけが違法薬物をすり抜けさせられる穴なのだ。
『成田空港さえ押さえておけば市中に流れているクスリはやがて消費され使尽される。水道の元栓を閉めておけば水は出なくなる』
 冴子の言葉が脳裏に甦る。少し考えれば誰でも分かる。空港での警備と検査を徹底すれば、国内への持ち込みはほぼ不可能に近いのだ。
 空港警察と千葉県警との間に確執があるかどうかは不明だが、間違いなく彼らは最善で最重要な方法を選択している。『厳重警備やってます』感を出すだけでも意味はある。交番の前に落ちているカネをネコババしようとする者はいない。交番の存在自体が犯罪の抑止力になっているからだ。
 つらつら考えていると、空港警察を役立たずとこき下ろしていた自分が恥ずかしくなってきた。
 それにしても気になるのは、冴子による仁志村評だ。
『人嫌いで酷薄で唯我独尊とでも思ってください』
 彼の見かけを信用するなと忠告されたが、いったいどこまで本当なのやら。冴子自身が仁志村を色眼鏡で見ている可能性もあるから、彼女の言葉を鵜吞みにもできない。
 社交的なのか人嫌いなのか、温厚なのか酷薄なのかの見分けもつかない仁志村が千葉県警のやり方をどう捉えているのか。俄にキナ臭くなってきた空港を思い、咲良は形容し難い不安に駆られていた。


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年5月号

4月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年5月号

4月4日 発売

怪と幽

最新号
Vol.019

4月28日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

2

ご自愛サウナライフ

原案 清水みさと 漫画 山本あり

3

雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら

著者 東畑開人

4

気になってる人が男じゃなかった VOL.3

著者 新井すみこ

5

あきらかに年齢を詐称している女子高生VTuber 2

著者 なまず

6

メンタル強め美女白川さん7

著者 獅子

2025年4月14日 - 2025年4月20日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP