匠はバスに乗り込んだ時、ハッとしたような顔をして会釈をした。匠の視線の先には、花柄の前掛けをつけた老女がいた。
しかし、老女は、それを無視した。気がつかなかったというふうではない。明らかに、目を
匠は一瞬傷ついたような顔をしたが、黙って二人掛けの席に座り、隼人に隣に座るように促した。
四つ先で老女が降りていくと、
「あの人、
「いや、お前はずっとチビだろ」
冗談めかしてそうは言ったが、まったく笑えなかった。
匠が話していた「吉野家」のことを思い出す。
ある一つの
ほぼ間違いなく、匠の祖母は、この土地の人間と
だから、野崎は孫の匠のことを無視するのだ。
野崎だけではない。バス停にいたときも、バスに乗り込んだ時の乗客も、一切匠と目を合わせようとしない。野崎ほど仲良くなかったにしても、「みんな家族」という言葉が本当なら、大学進学までこの土地に住んでいた人間が帰ってきたら、声くらいかけるのではないか。
「隼人はこんな景色見たことないでしょ」
そう言って匠は、窓の外の風景を眺める。確かに、見渡す限りの田畑は隼人にとって新鮮だ。しかし、そんなものはどうでもいい。
バス停に停まり、新しい乗客が乗ってくるたび、隼人の臆測は確信に近づいていく。
誰も声をかけてこない。それどころか、目も合わない。
全員が全員、お通夜のように下を向いてしまう。
そう、お通夜だ。
「大丈夫か?」
そう聞いても、匠はいつもどおり、柔和な笑みを浮かべる。
「え? どう考えても俺の方が隼人より長距離移動に慣れてるでしょ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
隼人はそれ以上、何も言えなかった。ここで何かを言うべきではない。誰が聞いているか分からないのだから。
バスの電光掲示板が匠の実家の
長いコンクリートの塀がずっと続いている。
「ここだよ」
ふと、匠が立ち止まった。
『籠生』という表札がついている、木造の平屋だ。田舎だからか、それなりに大きい。しかし、お世辞にも新しい建物には見えない。
匠は玄関を開ける。やはり、
「おばあちゃん、ただいま」
奥からぱたぱたと足音が聞こえて、年配の女性が出て来た。紺色のシャツに、黒いズボンを合わせている。華奢で小さくて色白。匠の容姿は彼女譲りなのかもしれない。
「匠、おかえり」
匠の祖母は匠に似た顔に笑みを浮かべ、視線を隼人に移す。
「匠のお友達?」
「あっ、はい、志村隼人と言います。匠くんとは大学で仲良くさせてもらっています。これ、つまらないものですが」
「あら、そんな、ええのに。申し訳ないわねえ」
彼女は嬉しそうに菓子を受け取り、再び紙袋にしまい込んだ。そして隼人を見て、
「素敵やねえ、都会の子は、シュッとしてて」
「都会の子っていうより、隼人がシュッとしてるんだよね」
祖母と孫の和やかな会話だ。変わった様子はない。
もし、隼人の臆測どおりなら、もう少し
「ほらほら、上がってちょうだい」
「あっ、失礼します」
匠の祖母は久しぶりに孫に会えたことが嬉しいらしく、声が弾んでいる。やはり、村八分にされた可哀想な老人には見えなかった。
食事の準備を手伝うと言っても固辞されたので、隼人は匠の部屋で過ごすことになった。時間まで自由に過ごしていいということだったが、外出しても特に何もすることはないからだ。
「この辺、本当に、何もないんだ」
その言葉どおり、匠の家の周辺は竹林に囲まれていて、隣の民家もかなり離れている。
「小学校にも中学校にも高校にも、すっごい時間かけて通ってた」
アルバムを見せながら匠は言う。
写真には、無邪気に笑う幼少期の匠と共に、小柄で色白の女性が写っている。
「これ、お母さん?」
「うん。そう」
親子三代でよく似ているな、と隼人は思った。
キキキ、と聞いたこともない動物の鳴き声が窓の外から聞こえた。
「なあ、すっごい失礼なこと言ってたら申し訳ないんだけどさ」
「なに?」
「お前、ここから東京出てくるの、すっげえ苦労したんじゃないか?」
「ううん?」
「いや、田舎を馬鹿にしてるとかじゃねえんだ。だけどさ、やっぱり、学習環境的なハンデみたいなのはあると思うよ。だから、努力したんだなあと」
匠はもう一度ううん、と言った後、
「努力……まあ、そうだね、あったかも。でも、それは、母親もおばあちゃんも、昔からずっと、ここからは出て行った方がいいみたいなこと言ってたからね」
俺は地元嫌いじゃないよ、と匠は言った。
「ただ、前にも話したことあるだろ。やっぱり、上の世代的には、俺もそういうふうに染まっちゃうのが嫌だったんじゃないかな。価値観の問題だし、どっちが悪いって言うんじゃないけど」
「そうか……」
バスの中の様子を思い出す。匠の祖母や母親が東京に出ろと言っていたのは、あのような目に遭うからなのだろうか。
「匠、隼人君、ご飯よ」
隼人の思考は強制的に止められた。
匠と一緒に、居間へ行く。
煮魚と、みそ汁と、
「
「あらあ、ありがとう。都会の子には、こんなもん、地味でしょうもないと思われるかもしれんけど」
「いや、そんなことは」
「おばあちゃん!」
匠が隼人の言葉を遮って言った。
「都会都会って、ちょっと感じ悪いよ。そんなこと言われたって、隼人が困るだけだろ」
「そうねえ、ごめんねえ」
匠の祖母は拝むように手を合わせて、ぺこぺこと頭を下げた。
「すごく美味しそうです。いただきます」
取り立ててものすごくうまいということはない。しかし、気まずさから、隼人は必要以上にうまいうまいと言って白飯と共にかき込んだ。
匠の祖母はにこにこと微笑みながら、じっと二人の食うさまを見ていた。
「あのさ」
と言った。
「あ、なあに?」
「あのさ、なんか、この辺、様子変わった?」
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