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試し読み

愛想のいい不動産営業マンの仮面がはがれる瞬間。『デジタルリセット』試し読み#3

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作『デジタルリセット』

書店員さんたちの圧倒的な支持を受けて、第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉を受賞した『デジタルリセット』の冒頭を特別公開。理想の環境を求めて自らの基準にそぐわないものを殺しては次の人生を始める=「リセット」を繰り返す、新たなシリアルキラーの恐怖をご堪能ください!



『デジタルリセット』試し読み#3

 二時間後、孝之の、あー、と伸びをする声の後、
 ──カチッ
 ライターの着火音が響いた。木田はピクッと、雑誌から顔をあげた。素早く立ち上がり、ズリ落ち掛けたズボンを突き出た腹の上に両手で引き上げながら孝之に近付き、空いているビジネスチェアにドスンと座った。両足で床をぎ、椅子のキャスターを転がし、上体を屈めて孝之の隣に並ぶ。
「タカさんちょっといい? 折り入って聞きたいことがあるんやけど……」
「何です? 深刻そうな顔して。あっ、コーヒーお代わりします?」
 孝之は細身の身体を跳ね上げるように椅子から立ち上がった。
「それとも冷たいのにしましょうか?」
「そうやね。何か甘いジュースがあれば貰えるやろか?」
 ちゆうぼうに向かっている孝之の背中に注文した。しばらくすると、厨房からカラカラとグラスに角氷が入る音が聞こえ、右手の指にコースターとストローを挟み、左手にジュースの入ったグラスを持った孝之が戻って来た。
「聞きたいことって? 木田さんの調子がいつもと違うから緊張しちゃうなぁ」
 京子の席は背後にあるが、離れているのでここでの声は聞こえない。家主や管理会社との電話応対など実に忙しくしている。
 木田は両手をりようひざの上に置いた。
「あのなぁ、村岡さんと一緒に飲んだ時のことなんやけど、村岡さんのお酒って明るいやろ。それが、急にしんみりと言うんや。『木田さん、私はね、孝之君を養子にしたいんだ』って。ただ、養子のこと言った後、また明るくなって話題変えたから、何となくそれ以上聞けんようなってなぁ……」
 木田は孝之の顔を見つめたが、孝之は視線をらし、何かの場面を思い起こしているようだ。
「うちの社長はお子さんいないじゃないですか。それに奥さんの闘病生活が長かったから、かなり精神的に参ってた様子でしたね。養子の話は奥さんが亡くなる直前に社長から直接聞きました」
 村岡の妻のようは、村岡の会社で広報の仕事をしていた。しかし、一年前に亡くなった。数年前に乳癌が見つかって以来、手術と転移、入退院を繰り返し、最期は自宅で息を引き取った。その頃、孝之も村岡宅に泊り込んで看護したことは木田も知っている。
「その時、村岡さんは何て言うたん?」
「ストレートでしたよ。『孝之君さえよければ、私の息子になってくれないか?』って」
「それでタカさん自身は、どうなん?」
「僕も、両親も兄弟もいない天涯孤独な身の上ですから、こんな僕でよければ……って、その時は返事しましたよ」
「タカさんもその気あるんやね。幼い時に両親亡くして、東京のしんせきに引き取られたタカさんからしたら、村岡さん夫婦は親みたいやし、村岡さんからするとタカさんは息子みたいに思ってるんや」
 木田は自分の言葉でもう涙目になってきた。
「社長はよく言ってましたよ。『女房の洋子は私が最期までるけど、自分を看てくれる人は誰もいない』って……その時の社長って寂しそうだったなぁ」
 そんな孝之の声も寂しそうである。
「村岡さんには身内が誰もいないから、会社や自分の行く末を色々と心配してるんや」
「今回の旅行先を聞いていると、以前奥さんと一緒に行った温泉とか、美術館や旅館ばかりなんですよ。自分の気持ちに区切りをつけるためかなって思ってますけど……」
「村岡さんってすぐ情に流されるけど、仕事には厳しい人やね。その厳しさは、商売より責任感やと思うんや。そこがタカさんと同じなんや。村岡さんからすると、タカさんは安心して全て任せられる後継者ってとこやな。まぁ、言い方かえたら、血縁でなくても自分の財産全て譲ってもええって考えてるんや」
 孝之は穏やかに頰笑みながら黙って聞いていた。木田はしばらく沈黙した。
「まぁ、急ぐ話でもないし……。両方の気持ちの方向が同じやから、お互い幸せってことや……」
 木田は自分に向かって言った後、何かを思い出した時の癖で、手の平で太ももをたたいた。
「そうそう、ずっと気になってたんやけど、村岡さんが旅行に出る何日か前やったかなぁ。蟬のうるさい日やったわ。タカさんと村岡さんが珍しく、えらいめてたやろ。アレ何やったん?」
 途端に孝之から笑みが消え、かんした表情でうつろなひとみを木田に向けた。
「何でもないですよ」
 蛇口から水滴が落ちるようにポツリと言った。
「何でもないわけないやろ。京子ちゃんがオロオロしてたがな」
 それでも孝之は無表情に木田を見ている。
「何でもないですよ」
「もしかして、アレかいな。デジタル何とか言う、社員の通信簿をコンピューターが全自動で付けてるやつ。タカさんはどうしても導入したいんやろ? けど、村岡さんは『いくら孝之君の望みでもそれだけは賛成できん』って言うのを聞いたことあるんや。タカさんも引き下がらんから、村岡さんがワシの前で頭抱えてたわ」
 孝之は脚を組んでりようひじを肘掛に乗せた姿勢で、椅子にゆったりと座っている。
 ──タカさんもあんまり触れられたくない話みたいやな。
 木田は孝之の様子を見て、話題にしたことを後悔しながら、この会話をどのように切り上げるかを考えた。
「村岡さんが『五回も話し合って、孝之君が納得しないって珍しい』って、もう一回話し合うとか言ってたけど、結論は出たん?」
「一気に全機能導入じゃなくて、段階的に進めることになったんですよ。社長と僕の折衷案ですが、中途半端ならやらない方がいいですけどね。僕の敗北です」
 孝之がわずかに微笑んだのを見て、木田はあんした。
 木田が窓に目をやると、夏の日差しに焼かれ続けている営業車が視界に入った。
「ところで、今日も昼から外回り?」
「そうですね。西にしのみやの営業所に寄ってから、数件顧客訪問の予定なんですよ」
「この暑い中御苦労さんやねぇ。今日も日差しが強いで。タカさんは細身やからヘッチャラやろうけど、ワシなんか夏って聞くと、何か嫌がらせされてる感じするんや。あっ、飲み物ごちそうさん」
 木田は立ち上がると、両手を腰に当てて上体を反らせた。ズボンがへその下にズリ落ち、またそれを両手で腹の上に持ち上げる。木田のお決まりの一連の動作に孝之が声を出して笑った。木田も機嫌よく笑うと、腕時計を見た。
「昼めし何にしようかな。昨日は中華やったんよ。今日はソバがええかな」
 何となく声が浮かれている。
「タカさん、それじゃ社に戻るわ。話が進展したら言ってな。お見合いみたいで、何かウキウキしてしまうわ」
 玄関口に向かう足取りは軽やかだ。
「京子ちゃんまたねー」
 木田が手を振ると、電話中だった京子は、送話口を手の平で押さえた。
「またねーって、明日あしたもでしょ? 社員さん安心させるために頑張ってサボってくださいな」
 木田は大笑いしながら出て行った。

──二〇一三年八月下旬 午後三時

 濃い緑色の防水シートで包み、三か所、荷造り用のロープで厳重に縛った三人の死体は、カーポートに面した居間の縁側に等間隔に並べてある。そして、三体と少し離れて、もう一体ある。その一体だけ短く、一メートルに満たない。同じくシートの上から中央を一か所縛ってある。
 居間のガラス戸は開け放たれているため、どんよりと曇って風のない八月の熱気が外にも室内にも満ちてよどんでいる。灰色の空を覆った低い黒雲は今にも底が割れて夕立になりそうだ。周囲の木々では迫る雨にせきたてられるように蟬が鳴き続けている。
 蟬の鳴き声をき消して、空色の平ボディの荷台側面に「おおつき製材所」と黒い太文字で書かれたトラックがけたたましい警告音と共にバックで入って来た。縁側まで二メートルを余して警告音は鳴り止んだ。トラックが静かになると一段と蟬の音量が大きくなる。
 運転手は三十歳前後の青年である。青年はサイドブレーキを引くとエンジンを切って運転席から滑るように身軽に飛び降りた。
 青年は長髪の黒髪に汗止めのタオルを鉢巻にして、胸に「大槻製材所」のしゆうが入った、トラックと同じ空色のはんそで作業着を着ている。長身で引き締まった身体をしているが、武骨さを感じさせないのは、頰からあごにかけてしようひげを生やし、黒縁の眼鏡をかけた端整な顔が知的に見えるからだろう。
 青年は無表情で縁側に近付き、四体のうち一番右端の防水シートのロープに手を掛け一気に肩に担ぎ上げる。防水シートの中でチャプチャプとまりの音がする。中の死体は大槻社長だ。大槻社長は真後ろから後頭部をナタで叩き割ったので、三人の中で一番血が飛び散り、後の掃除が大変だった。トラックの荷台の右端に沿って縦に置いた。
 縁側に戻ると残りの三体のうち一番太いのを担いだ。結構重く、八十キロ近くあるだろう。大槻社長の弟である。真正面から首筋にナタを打ち込んだので、頭部を切断してしまった。胴体を先にシートで包み、後から頭部を放り込んで上から縛ったが、中で頭部がゴロゴロと転がっている。大槻社長より出血が少ないのは意外だ。荷台の大槻社長の隣に並べた。
 次は大槻夫人だ。目の前で、義理の弟の首が飛んだのを見て、動転してその場で座り込んでしまった。血でナタの柄が滑るので、近くにあった帯締めで絞め殺した。うつぶせに押し倒し、ひだりひざを立て、右膝で背中を圧迫し、首にひもを二重に巻いた。絞めながら、両手で引っ張っている帯締めが京風丸組の高級品だと気付いた。この帯締めの製造元はの工房だったっけ? 思い出せなかったが、絞殺に集中し、念には念を入れて十数分間ほど絞め続けた。途中で辺りに失禁した悪臭が漂い出したが、掃除は楽だった。
 製材所は周囲を兵庫県ばんしゆう地方特有のアカマツの林に囲まれた山の中腹の台地にあり、一番近い隣家までは山道を車でかなり下る必要がある。青年が立てる積み込みの音と蟬の鳴き声だけが山間に響く。
 夫人の死体を積み込み終えると、顔に汗の粒が噴き出した。頰を伝って顎から滴る汗を手の甲でぬぐいながら残りの短い一体を見つめた。積み込もうかどうか、迷っていたが、結局そのままにして縁側に背を向け、カーポートから出て玄関横の散水用蛇口の水で顔を洗った。山の湧き水を使っているため、身を切るように冷たく、のどの渇きを潤すと身体全体の火照りも治まった。
 頭に巻いたタオルで顔や腕の水滴をき取り、作業ズボンのすねポケットから煙草の箱とライターを一緒に取り出し、一本口にくわえて火をけた。一服深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。ふと見ると玄関脇の花壇では、青年が植えたサルビアが真っ赤な花を咲かせている。
 ──家族愛。
 サルビアの花言葉を思い返したが、首を振って視線をらした。

(つづく)

作品紹介・あらすじ



デジタルリセット
著者 秋津 朗
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2021年12月21日

第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作!
許すのは5回まで。次は即リセット――。理想の環境を求めるその男は、自らの基準にそぐわない人間や動物を殺しては、別の土地で新たな人生を始める「リセット」を繰り返していた。
一方、フリープログラマーの相川譲治は、シングルマザーの姉親子の失踪に気付く。姉と同居していたはずの男の行方を追うが……。
デジタル社会に警鐘を鳴らすシリアルキラーが誕生! 第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322107000431/
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