本日11月12日発売の「小説 野性時代」12月号では、本多孝好さん「dele3」の連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。
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圭司の会社を離れた祐太郎の前に、思いがけない来訪者が現れる。
彼女が告げた事情とは――。
別々の道を歩み始めた二人の運命は?
大好評の連作ミステリ、待望の第三シーズン開幕。
リターン・ジャーニー
1
束にした古雑誌を持ち上げたとき、写真が一枚、床に落ちているのが目に留まった。真柴祐太郎は、かがみ込んで、それを手にした。写真は古く、かなり色あせている。スポーツタイプの赤いクーペとその前に並んだ四人。家族なのだろう。ティアドロップ型のサングラスをかけたお父さん。花柄プリントのワンピースを着たお母さん。お母さんの腕に抱かれた赤ん坊。お父さんの足に寄りかかるように立っている五歳くらいの女の子。サングラスのお父さんが部屋の主だとするのなら、そこに焼きつけられているのは四十年以上前の一瞬ということになる。
立ち上がり、祐太郎は目を上げた。狭いアパートだ。二人では暮らせない。借り主は一人で住むために越してきて、そして、一人で死んだ。連れ合いの女性とは生き別れたのか、死に別れたのか。二人の子供は、今、どこで暮らしているのか。
あらかた片付けの終わった部屋にその答えがあるわけもなく、祐太郎は写真をジーンズの尻ポケットに入れた。部屋の清掃を再開しようとしたときだ。
「兄ちゃん」
声をかけられ、祐太郎はそちらを振り向いた。いつからいたのか、アパートの大家が開け放したままだった戸のところに立っていた。鼻の穴が目立つ、六十すぎの男だ。仕事に取りかかる前に、挨拶は済ませていた。
「どうすんだ、そんなもん」
大家はそう聞いて、くわえていたタバコに火をつけた。
「あ、え?」と祐太郎は聞き返した。
「写真だよ。今、ポケットにしまったろ?」
「ああ、写真。まずいっすかね?」
「まずくねえよ。気味が悪いから、聞いてるだけだ。それ、どうすんだ?」
「持って帰って、しまっておきます」
「しまって、どうすんだよ」
「いや、それだけっす。あ、たまに見返したりするかもしれません。うちに、そういうの、溜めている箱があるんすよ」
「そういうの?」
「仕事の最中に拾った、こういう写真とか、はがきとか、手紙とか、あと、古い日記帳とか、たまに通知表とか、母子手帳とか」
「それを箱に溜めて?」
「はい」
「たまに見返すの?」
「そうっす」
不可解なものを見るように祐太郎を眺めながらタバコを吸った大家は、やがて呆れ顔になって、大きな鼻の穴から盛大に煙を吐いた。
「兄ちゃん、若いんだからさ、他にもっとあるだろ」
「ああ、他に。他にっていうと?」
「わかんねえよ。サーフィンとか、バイクとかさ。じゃなきゃ、合コンとか、風俗とか」
「んと、これ、何の話っすか?」
「時間の使い方っていうか、情熱の傾け方っていうか、そういう話だよ」
「時間とか、情熱とか。ああ、なるほど」
「俺がずれてんのか? 最近は、兄ちゃんみたいなのが普通か?」
「あ、どうっすかね。いや。よくわかんないっす」
「わかんないってこたねえだろ」
ぼやくように呟いて、大家はポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコの火を消した。話は終わったのか、掃除を再開していいのか、祐太郎が迷っていると、古館
「だいたい終わりですね。私は、先に引きあげますんで。これ、請求書」
祐太郎が古館の下で働くようになって、三ヶ月ほどが経つ。もともと町の電器屋だった実家の店舗を、自分の代でリサイクルショップに変えたという。縁があって遺品整理業務も始めたのが三年前と聞いていた。四十代後半。つり上がった両目の距離が近く、ひどく陰険そうな顔立ちをしているが、実際にはさばさばした性格で、祐太郎にとって悪い雇い主ではなかった。
古館が差し出した紙切れを手にして目を落とし、大家は声を上げた。
「高
「売れるものなんてほとんどないですし、あっても二束三文ですよ。売る手間を金に換算すれば赤字みたいなもんです。噓だと思うなら、いいですよ、全部、置いていきますよ」
大家は顔をしかめた。
「置いてかれても困るだろうが。払うよ。払えばいいんだろ。まったく。今時、人助けなんてするもんじゃねえな」
「人助け?」
「少しくらい金を持ってても、年寄りは部屋を借りられねえんだよ。ましてや一人暮らしで、保証人もいないってなったら、どこに行っても断られる。それじゃ困るだろうっていうんで、うちはそういう年寄りにも部屋を貸してんだよ」
「ええ。存じてますよ。普通より、かなりお高めのお家賃で」と古館は笑った。
「悪いかよ。だって、こういうことになんだろ? 普通の値段じゃ貸せねえだろ?」
大家は受け取った請求書をひらひらと振った。
「悪くないですよ。おかげで、うちだって、ちょこちょこ仕事を回してもらってるんですから」
「だろ?」
「だから、お互い、いい商売してますって、笑ってりゃいいじゃないですか。人助けなんて言い出すから、悪いことしてるみたいになる」
古館はそう言って大家の肩を叩くと、祐太郎を振り返った。
「軽トラ残しとくから、あと、頼んだぞ。仕分けしたら、今日は上がりでいいから」
「ういす」
古館が放り投げてきた車のキーを受け取り、祐太郎は作業を続けた。とはいえ、もうやるべきことは多くはない。まだ部屋に残っていた雑誌の束と古着の詰まった段ボールを軽トラに運び、ちりとりとほうきで部屋の掃除を終えると、七十七歳で孤独に死んだその人の気配は部屋の中から完全に消えた。部屋に入ったときにはわずかに鼻をついたにおいも、すでに消臭剤の強いにおいに取って代わられている。今、尻ポケットに入っている写真以外に、死者とこの世とを結ぶものが、あとどのくらい残っているのか。陽
大家に仕事の完了を確認させ、軽トラで中野
郵便受けにあったダイレクトメールとチラシを取って玄関を開ける。待ちかねたようにタマさんが奥から駆け寄ってきた。もともと祖母が飼っていた猫だったが、祖母の死後は、祐太郎が世話を引き継いだ。祖母が遺してくれた財産は大きく言って二つ。この家と、タマさん。祐太郎はそう思っていた。帰る場所と、帰る理由。どちらかが欠けていたら、自分の生活は今とはまったく違うものになっていただろう。
「ただいま」
タマさんを抱き上げ、家に上がる。すでにかなりの高齢なのだが、祐太郎が辛抱強く与え続けた高級キャットフードのおかげか、タマさんは祖母が飼っていたときよりも若々しい風貌になっている。毛並みもよくなり、一回り大きくなったようにも見えた。
中に入ると、畳の上にタマさんとリュックサックを下ろし、祐太郎はジーンズの尻ポケットに入っていた写真を棚の上の箱に入れた。以前、その棚の上にあった箱はもっと小ぶりなもので、中には仕事で知り合った様々な人たちからもらったカードが入っていた。ほとんどのカードは黒い仕事につながる連絡先が書かれているものだった。かつて祐太郎は、その中にあったカードの一枚に導かれて、異界のような地下の事務所にたどり着いた。その箱はもうない。代わりにもっと大きな箱が置かれ、遺品整理をした際、目について持ち帰ったものが入れられている。この仕事をするようになって三ヶ月がすぎ、箱もだいぶ詰まってきていた。別の箱を用意するべきか、それとも中を一度、総ざらいして整理するべきか。そんなことを考えながら台所で手を洗っていると、タマさんが足下にやってきて、祐太郎を見上げた。
「そんな目で見てもダメだ」
言いながら手を拭うと、リュックサックに取って返し、中からビニール袋を取り出す。袋には帰りがけに買ってきたキャットフードが入っていた。
「いつもと同じやつ」
差し出したキャットフードの箱に鼻を寄せると、タマさんは急に興味を失ったように踵
「そう言うなよ。これ、高いんだぞ」
タマさんは振り返らなかった。
「すぐご飯にするから」
遠ざかっていくタマさんの尻尾にそう言うと、祐太郎は夕飯の支度を始めた。冷蔵庫から材料を取り出し、下ごしらえを終えたところで、スマホに藤倉遙那
『今、何してる?』
祐太郎は手を止めて、メッセージを返した。
『夕飯の準備中。そっちは?』
『夜勤の休憩中。メニューは?』
『肉野菜炒め。別名、残り物炒め。どうした?』
『今日、昼間にそっちに行った。タマさんと昼寝してたら、お客さんがきた』
自分に何かがあったとき、タマさんの世話を頼めるよう、遙那にはこの家の鍵も預けてあった。
『客? 誰?』
『三十代半ば。長身、美人、いい匂い。こっちが聞きたい。あれは、誰?』
思い当たる人はいなかった。
『名前、聞かなかったの?』
『相手は急いでて、私は寝ぼけてた。いないならいい、またくるって』
小首を傾
『とにかく伝えたからね』
それで遙那からのメッセージは途切れた。
祐太郎は手早く味噌
「いい匂いの美人だって?」
タマさんは顔を上げずに、キャットフードを食べていた。
「誰だろう」
問いかけてみたのだが、やっぱりタマさんは相手にしてくれなかった。味気ないのでラジオでもつけようかと腰を上げたとき、玄関の戸が開く音がした。
(このつづきは、「小説 野性時代」2018年12月号でお楽しみください)
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