祝!令和初の芥川賞
今村夏子作品試し読み!
今村夏子さんが『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)で第161回芥川賞を受賞されました。これを記念して、カドブンでは今村さんの代表作『あひる』(角川文庫)の試し読みを3日連続で公開!
読みやすいのに心のざわつきが止まらない今村作品の魅力を、是非体験してみてください。
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あひるを飼い始めてから子供がうちによく遊びにくるようになった。あひるの名前はのりたまといって、前に飼っていた人が付けたので、名前の由来をわたしは知らない。
前の飼い主は、父が働いていたころの同僚で、新井さんという人だ。新井さんはわたしの家よりもまだ山奥に住んでいた。奥さんが病気で亡くなってからは、のりたまと二人暮らしをしていたのだが、隣りの県で暮らす息子さん一家と同居することが決まり、それでのりたまを手放すことになった。息子さんの家は庭も駐車場もない建売住宅だから、あひるは飼えないのだ。新井さんは、わたしの父にのりたまを託すことにした。
うちには広い庭があった。好都合なことに、ニワトリ小屋まであった。
とっくの昔にニワトリはいなくなっていて、小屋の中には錆びた農具が入れっぱなしになっていた。父はそういう必要のなくなったものを全部処分して、金網を新品に張り替え、壊れたカギも付け替えて、あひる小屋とした。
ニワトリを飼っていたのはわたしがまだ小学生だったころの話だ。くちばしで手の甲をつつかれて血が出て以来、小屋自体に近づかなくなった。毎朝生みたての卵を取ってくるのは弟の役目だった。
二羽いたはずのニワトリがいつからいなくなったのかは覚えていない。死んだのか、手放したのか、食べたのか、どれも記憶にない。いつのまにかいなくなっていた。名前も付いてなかった。当然、ニワトリの顔を見るために、わざわざ我が家を訪ねてくるお客さんなどいなかった。
最初のお客さんは、のりたまが初めてうちにやってきたその日の午後に、早速あった。
二階の部屋で勉強していると、ちょうど下校時間帯なのか、外から小学生くらいの女の子の話し声が聞こえてきた。それがなかなか遠のいていかないので、不思議に思って窓の隙間からのぞいてみると、我が家のガレージの手前で、高学年らしき女の子三人組が立ち止まっておしゃべりをしていた。
「あひるだ」
「かわいい」
と言うのが聞こえた。
しばらくすると、彼女たちはその場でじゃんけんを始めた。そして負けた子が先頭に立ってガレージの横を抜け、家の敷地に入ってきた。
ピンポーン、とチャイムが鳴ったあとに、玄関先で母の応対する声が聞こえた。あひる? いいよ。好きなだけ見ていって。
あひる小屋の金網越しに、のりたまに話しかける女の子たちの姿が二階の窓からも見えた。「かわいい」と何度も聞こえた。母がそこまで出ているのか、この子なんて名前ですかあ? とひとりの子が大きな声で縁側に向かって聞いていた。
なんだっけ、忘れたよ、と母はこたえた。女の子たちがそのこたえに笑い声をたてた時、のりたまが「ガッ」とひと声鳴いたので、その場でこの子の名前はガッちゃんだ、ということになった。
礼儀正しい子たちで、最後は母にお礼を言い、「またガッちゃんに会いにきます」と言って帰っていった。そのあとすぐにわたしは外に出て、油性のマジックであひる小屋の扉の木枠の上のところにの、り、た、ま、と書いた。
その翌日にもお客さんは来た。昨日の女の子三人組が、また別の女の子二人を連れてやってきたのだ。チャイムが鳴らされ、母のどうぞ見ていってという声のあとに、こっちこっちと昨日来た子らが庭の奥へ案内していた。あひる小屋の前まで来ると、やっぱりみんな口を揃えて「かわいいね」と言った。
ひとりの子が、「見てこれなんか書いてある」と言った。
ああその子ねえ、のりたまっていう名前だったのよ、と縁側から母が声をかけると、のりたま? へんなのー、ふりかけじゃん、と笑い声が起こった。
あたしのり子、似てるねえ、とひとりが言ったのをきっかけに、あたしメグミ、あたしナナ、あたしはユリ子、というふうに自己紹介が始まった。五名の女の子はクラスメイトだが、学年が違った。生徒の人数が少ないので五、六年生は同じ教室で勉強するんだ、と母に説明していた。
犬や猫と違って、首をロープでつないだりしなくても、のりたまは逃げていったりしなかった。早朝の散歩を日課にしている父の後ろを、ぺたぺたとついて歩いた。夕方には母が田んぼの周りを散歩させた。わたしも勉強の合間に、庭に出した子供用のプールで水浴びをさせたり、家の周りをぐるっと一周させたりした。よそ見したり、草花をつついたりしながら、後ろをついて歩く姿が、なんとも愛くるしかった。
新井さんはさぞ寂しかろうと、父はのりたまと離ればなれになってしまった元飼い主さんのために、のりたまの写真を何枚か撮り、手紙と一緒に送った。
新井さんからのお礼のハガキはすぐに届いた。ハガキには三人のお孫さんに囲まれて笑っているおじいさんの写真がプリントしてあり、達筆な文字で「にぎやかな毎日です」と添えられていた。
次の日も、またその次の日にもお客さんは来た。のりたまに会いにくる子供はあとを絶たなかった。
あひる見してくださーい、と元気よく庭を突っ切ってあひる小屋まで駆けていく男の子や、大きなスケッチブックを抱えてのりたまちゃんの絵描かせてください、と訪ねて来る女の子、玄関の前で何も言わずにじっと立ち続けて、母から「あひる見に来たの?」と声をかけられると、ようやく恥ずかしそうにうなずく子もいた。まだ幼稚園にもあがらない子は、お母さんと手をつないでのりたまに会いにきた。
晴れた日には絶えず庭先から子供たちの声が聞こえてくるという状況が何日も続いた。
わたしは終日二階の部屋にこもって、医療系の資格を取るための勉強をしていたので、初めはそんな状況の変化に戸惑った。でもじきに慣れて、気づけば外から聞こえてくる笑い声もあまり気にならなくなっていった。
かわいいお客さんが増えて、父と母は喜んだ。十年前に弟が家を出て行ってから、長らくしんとしていた我が家が突然にぎやかになったのだ。孫がたくさんできたようだと、両親は縁側から庭を眺めながら、顔をほころばせていた。
食事中の話題は、のりたまに会いにくる子供たちに関することばかりになった。元々、わたしたち三人の食事時には話題というものがなかった。あっても、宗教関係のことを母が父にぼそっと伝えて、父がそれに小さくうなずいておしまいだった。
最近の子は足が長いだとか、英語をしゃべるだとか、内容は他愛もないものだが、台所でつけっぱなしになっているラジオの音声が聞こえないくらい張りのある声で、二人ともよくしゃべるようになった。日に焼けた、一番太っている男の子のことを、あの子は将太の小さい時にそっくりだ、と言って笑い合っていた。
弟の将太は、明るくてわがままで、子供のころは我が家の太陽のような存在だった。ご飯を食べている最中に箸を握ったまま居眠りし、パッと目を覚ますと何事もなかったかのようにまた食べ始めたりするのが、そばで見ていて面白かった。反抗期を迎えてからは悪い友達に誘われて、万引きやカツアゲをしたり、気に入らないことがあるとすぐ暴力をふるったりと、何かと問題も多かったが、はたちを過ぎるころには徐々に落ち着いてきて、今は市内にアパートを借りて、ひとつ年上の奥さんと二人で暮らしている。仕事が忙しいと言い、車で一時間もかからないほどの距離なのに、最近では顔を見せに帰ってくることもほとんどなくなっていた。
弟夫婦には子供がおらず、それが父と母の心配の種でもあった。孫の顔が見たいと直接言うと弟に怒られるので、滅多に口には出さなかったけれど、母は毎日欠かさず子宝に恵まれるようにと神様の前で手を合わせてお祈りしていた。
母は毎朝三十分、神棚の前から離れなかった。お祈りごとは子授けに関するものに限らなかった。わたしに関する内容のものも、父に関する内容のものもあった。
そしてそこに、のりたまに関する内容のものも加わることになった。
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◎解説もお楽しみいただけます。
▷今村夏子は何について書いているのか(解説:西崎憲)
※物語の内容に触れております。ご注意ください。
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