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試し読み

ここにいる六人全員、みんな、とんでもないクズだった――浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み⑨

2019年に刊行された『教室が、ひとりになるまで』で、推理作家協会賞と本格ミステリ大賞にWノミネートされた浅倉秋成さんの最新作『六人の噓つきな大学生』が本日3月2日に発売となりました。
刊行を記念して、前半143Pまでの大ボリューム試し読みを公開!
成長著しいIT企業「スピラリンクス」が初めて行う新卒採用。最終選考に持ち込まれた六通の封筒。
個人名が書かれたその封筒を開けると「●●は人殺し」だという告発文が入っていた。
最終選考に残った六人の嘘と罪とは。そして「犯人」の目的とは――。是非お楽しみください!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

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     5

 森久保くんは――封筒を用意した犯人は、矢継ぎ早に言いわけを並べ続けた。
 違うんだ、聞いてくれ、説明する、説明するから。ひどく狼狽していたのだろうが、それを差し引いてもあまりにも支離滅裂な言動が続いた。耳を傾けようにも何を言っているのかがわからない。口走った言いわけを補完するように別の言いわけを口走り、それをさらに補足しようとすると前段が瞬く間に破綻する。焦るほどに言葉が空転していく。彼の声が会議室に響く度に薬物依存症患者の妄想を耳にしているような空しさが堆積していった。いよいよ耐えきれなくなった袴田くんが彼の両肩を摑んで大きく揺さぶり、
「これ以上……失望させんなよ」
 それでも抑えきれずに、森久保くんの口からは二、三、言葉が漏れた。しかしやがて袴田くんの強力な圧が鎮静剤になったかのように、荒い呼吸だけを残して口を噤んだ。
 静寂の会議室には唐突に、場違いな笑い声が響く。
 隣の会議室の声か、あるいは幻聴か。僕らによく似た喋り方だなとどこか他人事のような気分でいたのだが、なんてことはない。再生されたままになっていた動画から僕らの声が流れていたのだ。今日はよろしくね、よろしく、正々堂々『フェア』にやろう。まだ封筒が登場しない、グループディスカッション開始前の平和な光景が映し出されていた。僕が動画を止めると、数秒、悲しい沈黙が訪れ、すぐに順番を待っていたかのように電子音が鳴り始める。
 四度目の投票の時間がやってくる。
 悲しいことに、犯人が判明しただけで、会議室は格段に過ごしやすい環境になった。封筒によって乱された空気がすんなり元どおりになる――というほど単純な話ではなかったが、それでも見えない敵の姿が見えるようになっただけで、心理的な負担は大幅に軽減された。
 森久保くんに対しては様々な思い、ぶつけたい言葉が無数にあった。別人のように歪んだ彼の顔を見ているだけで、言葉が胃袋の奥からあふれ出てきそうになった。スピラという企業に入るためにどこまでのことができるだろう。自分に問いかけてみれば、なるほど、実際のところ相当な苦行にも耐えられそうな気がした。確実に内定を手にできる黒いアイデアを思いついてしまえば、多少手を汚してでも実行してしまおうと考えていたかもしれない。
 中学の定期考査で思ったような成績を取れなかった――高校受験で頑張ればいい。高校受験に失敗した――大学受験で本気を出せばいい。それさえも失敗した――気にする必要はない。いい会社に入ればいいんだ。でもいい会社に入れなかったら――
 そこから先のことは、まだ社会人になったことのない僕にはわからない。実は若者の僕が危惧するほどの絶望はなく、どんな人間でも意外なほど容易に潰しが利くのかもしれない。それでもここが人生の最後の『勝負』であると判断してしまう気持ちにも、そしてその判断にも、多かれ少なかれ誤謬はないように思う。どんな手を使ってでもという気持ちは痛いほどわかった――わかったが、それでも間違った方向に全力でアクセルを踏んでしまった彼には、悲痛な思いを抱かずにはいられない。
 屍のようにだらりと椅子に座り込んだ森久保くんを尻目に、四度目の投票が始まる。

 ■第四回の投票結果
 ・波多野2票 ・嶌2票 ・九賀1票 ・矢代1票 ・袴田0票 ・森久保0票 
 ■現在までの総得票数
 ・九賀7票 ・波多野6票 ・嶌6票 ・袴田2票 ・矢代2票 ・森久保1票

 矢代さんの予言どおり、森久保くんに投票する人は、もういなかった。
 一方でそんな矢代さんに一票を投じたのは袴田くんだった。勝手な予想にすぎないが、犯人をあぶり出したことへの評価というよりは、犯人扱いしてしまったことに対して彼なりに謝罪を入れたつもりだったのではないだろうか。
 嶌さんは引き続き九賀くんへの投票を続けていた。しかし九賀くんに対して健気に票を入れる度に、奇妙なことに嶌さん自身が最も辛そうな表情へと変わっていく。頑固一徹と思考放棄は表裏一体だった。私は頑張って、頑張って、デマの情報を無視しています。引き返せない一本橋を渡り続ける彼女の姿に、僕は改めて封筒が会議室に与えた影響の大きさを痛感する。
「認める……『封筒』は俺が持ってきた」
 死体になろうとしていた森久保くんが、最後のあがきで言葉を紡ぐ。
「いろいろ喚いてすまない。でも……中身を用意したのは俺じゃないんだ。本当に、本当なんだ。俺はただ自宅に届いた封筒を添付されていた指示書のとおり、ここに持ってきただけ。だから、中身があんなものだなんて――」
「森久保」袴田くんは静かに彼の言葉を遮ると、「もう無理だよ。黙っとけ」
 森久保くんにそれ以上言葉を続ける気力は残されていなかった。
 犯人が見つかったと同時に、僕らの間に渦巻いていた疑念、不安、憤りをはじめとする悪感情はすべて瞬く間に浄化されるに違いない――さすがに僕もそんな予感を抱けるほどの楽観主義者ではなかった。僕らの間には、部分的には修復不可能なまでの溝が生まれてしまっている。それでも、だ。懸念事項が一つ減ったのは紛れもない事実だった。少しずつ、レンガを一つずつ積み上げていくようにして、漸進的に会議室の空気は元の状態へと換気されていくはずだと、心の深い部分では信じていた。
「……『封筒』は、どうする?」
 袴田くんのそんな一言に、目眩を起こしそうになる。何を言っているのだ。どうするもこうするもないじゃないか。もう封筒は終わりだ。犯人が見つかったのだから、これ以上あんなものに振り回される必要はない。処分して、終わり。しかしそんなふうに考えていたのは、実は僕と嶌さんだけだったらしい。悪い冗談だと笑い飛ばそうと思っていた僕をよそに、議論はにわかに封筒の扱いについてへと舵を切っていく。
「森久保は許されないことをした。それは間違いないことだと思う。でもある意味では、だ。森久保は俺たちの身辺調査を率先して行ってくれたとも解釈できる。一緒にグループディスカッションの準備をしていただけではわからなかった、俺たち六人の陽の当たらない部分に光を当ててくれた――だろ? ならそれこそ、森久保本人がさっき言ってたことに通じるが、とりあえず封筒をすべて開けてみて、その結果それでも素晴らしいと思える人間を内定に推せばいい。デマならデマだと自分で証明する。みんなどう思う?」
 馬鹿げてる。反論の言葉を口にしようとした僕より先に、
「……とりあえず、開けてみてもいいのかもね」矢代さんが険しい表情で頷き、
「確かに」と九賀くんまでもが同調し始める。
「そのほうが何より『フェア』だろ? な、九賀」
「『フェア』……か」
 残酷な光景にも思えたが、当たり前と言えば、当たり前のことだった。僕が彼らの立場だったとしたら、やはり同じようなことを口にしていたのかもしれない。
 最初に二票を獲得して好スタートを切ったものの、誰よりも最初に封筒の中身を晒された袴田くんはその後一票も獲得できていない。九賀くんは序盤に票を稼いだことが奏功して未だにトップを守ってはいるが、明らかに得票ペースは落ちている。現在の二位は運よく封筒の中身を晒されずに済んでいることにより、漁夫の利で票を稼ぎ続けている僕と嶌さんの二人だ。
 封筒による告発を受けた人間は如実に内定から遠ざかっている。一方でオフェンスに回ったつもりになって森久保くんや袴田くんのように自分から封筒を開けてみたところで、当然ながら票が増えるようになるわけではない。封筒は明らかにこの選考の鍵を握ってしまっており、晒されている人間とそうではない人間がいる限り、そこには厳然とした格差が存在し続ける。
 ならばすべてをオープンに。それが本当に『フェア』な世界だ。
 納得できてしまうからこそ、胸が痛い。
 わかった。それでいいよ、すべての封筒をオープンにしよう。僕は別に構わない。
 そんな言葉が、喉の手前まで出かかった。これといって過去に重大な罪を犯した心当たりは――少なくともすぐに思いつく限りは、ない。もちろんささやかな失策を針小棒大に語られている可能性もあるし、実はすっかり忘れているだけでとんでもない過ちを犯していたということもあり得る。ただそういった最悪の可能性を想定した上でも、どうぞどうぞと自分への告発を率先して明らかにするよう促してしまったほうが、結果的には会議のスムーズな進行を助け、僕の評価を上昇させることに繫がるかもしれない。
 それでも封筒を開示する流れにもう一つ賛同しきれない理由は、嶌さんの存在だった。
 封筒に対して並々ならぬ忌避感と嫌悪感を抱いていた僕でさえ、その存在をある程度認めた上で議論を進めなければならないのかもしれないという考えに流されつつある。しかしそんな中にあって、彼女だけは徹底して封筒に対して反旗を翻し続けていた。彼女が僕と同じく、まだ封筒による告発を受けていないからこそ正義を謳うことができているという側面は確かに否定できない。それでも彼女の示す道が最も倫理的に正しいことに違いはなかった。
 そんな彼女の失望を買いたくない。一種の下心があることは認める必要がある。そしてさらには、封筒をすべてオープンにした際に告発を受けるのは僕だけではないということも、心の防波堤となっていた。嶌さんも告発を受けてしまうのだ。
 僕は改めて慎重に思考を整理すると、どの封筒を最初に開けるべきかについて話し合っていた三人の議論に口を挟んだ。
「やっぱり……封筒は処分しよう」
 順調に進んでいたすごろくのコマを無意味に五マスほど戻されたような心地だったのだろう。袴田くんは物わかりの悪い子供を窘めるような口調で、
「波多野、それはもう存在しない選択肢だ。今さら――」
「わかる。わかってる。痛いほどわかる――でも、でもだ」
 僕は自らの胸の内を、なるたけ誠実に、正直に伝えるべきだと判断した。大丈夫、きっと伝わる。伝えるべきことは、きっと伝えきることができる。そう、自分を信じて。
「やっぱり封筒は処分して欲しい。もちろん自分が告発を受けたくないからこういうことを言っている部分があるのは、間違いない……情けない話だけど。封筒の中に何が入っているかわからない。おかしな告発をされれば、当たり前だけど自分の評価は落ちる。これまでの議論の中でも散々証明されてきたことだ。せっかく六票も集めたのに内定が遠ざかるのは嫌だ――そういう利己的な思いがあるのは認めるしかない。正直、怖い――めちゃくちゃ怖い。でも、ただ怖いから封筒を開けて欲しくないって騒いでるわけじゃないんだ。
 僕は何より、こんな、核兵器をどう有効活用しようかみたいな議論を続けて、それこそ俺は撃たれたんだから、全員が平等に撃ち返されるべき――みたいな意見が正論のように語られる状態が倫理的であるとは思えない。さっきまでの意見とは少し矛盾するかもしれないけど、封筒の中に入っているのは恐ろしい告発であると同時に、やっぱりたった一枚の――紙切れなんだ。そうだろ?
 幸いにして、犯人が誰であるのかはわかった。何かの間違いで犯人に内定を出してしまう可能性もなくなった。僕らは互いに何日間も一緒に過ごして、お互いについてきっちり理解し合ってきたはずじゃないか。紙切れ一枚で、それまでの印象を全部すっ飛ばして、こっちが真実の顔だったんだって、そう信じ込んでしまうのは、やっぱり馬鹿らしい。封筒のことは全部きっぱり忘れる――最初にそう話し合いで結論が出てたじゃないか。
 おそらくこんなにもみんなが封筒にとり憑かれてしまった理由の一つは、僕が提案してしまった三十分ごとの投票ルールにもあると思う。人気の流れが可視化されていたからこそ、挽回のために多少手を汚してでも――そんなあらぬ考えが頭を支配するようになった。だから――これはあくまで首位を走ってる九賀くんが了承してくれたらって話になるけど――票数はいったんすべてリセットしてもいいんじゃないか?」
 それまで僕の話を中断させる隙を窺っていたような会議室の空気に、亀裂が入ったような手応えがある。袴田くんと矢代さんの表情が変わった。
「投票は残り二回ってことにしてもいいし、やっぱり最後の一回だけにするっていう方法に変更してもいい。それでもまだ不公平って言うんなら――白状する」
「白状?」
「……思い当たる、僕の悪事を」
 一同が身構えるのがわかった。波多野はいったい、どんな告白をするのだろう。
 しかし当の僕には、悪事の心当たりはまるでなかった。慌てて思い出を光の速度で遡るが、語るに値する自身の悪事らしい悪事は、恥じるべきなのか誇るべきなのか、まったく思い浮かばなかった。あまりにも長い時間、黙考し続けていることを不思議に思ったのか袴田くんが、
「そんなにすごい告白があるのか」
「いや……」僕はかぶりを振って、「たぶん、何かあると思うんだけど、ちょっとすぐには思いつかなくて……。今のところ小学生のときに友達から借りたスーファミのソフトをそのまま返しそびれていることくらいで……もうちょっと時間が欲しい。たぶん何か捻り出せるから」
 こちらは真剣だったのだが、図らずも間抜けな発言は矢代さんの笑いを誘った。緊張していた空間だったからこそ、一度弛緩すると笑いが連鎖する。九賀くんが小さく笑い、嶌さんも笑った。袴田くんも参ったなといった様子で笑い、首筋を撫でた。
 笑いはそのまま一周回って僕の手元に戻ってくる。
「降参だよ、波多野」
 袴田くんは屈託のない笑みを浮かべる。
「なんか冷静になれた……お前はそうだろうよ。お前は、そういうやつだ」
 会議室を天井から押さえ込んでいた重りが溶けたように、空気が軽くなる。そこに広がっていたのは懐かしい気配であった。僕らがグループディスカッションを全員で突破するという目標に向かって一致団結していた、レンタル会議室の香りだ。
「封筒は捨てよう……票数のリセットは、別に必要ないだろ」
 袴田くんはぶっきらぼうにそう言い放つと、ため息をついてから腕を組んだ。
「多少のアクシデントはあったが、集めた票は紛れもなくここまで積み上げてきた、それぞれの評価のたまものだ。そのままでいい。まだ二回も投票のチャンスはあるんだ。合計十二票――違うか、自分を除くから、十票。全部集めれば誰にだって平等に内定を手に入れる可能性は残ってる。あぐらを搔かいてると、あっという間に追い越すから覚悟しとけよ――というのが俺の意見だけど、みんなはどう思う? それでいいと思うか、九賀」
 九賀くんが異存のないことを告げると、矢代さんも頷いた。嶌さんが鞄からとり出したポケットティッシュで赤い目元を拭う。僕も涙をもらいそうになりながら、力強く頷いた。森久保くんを除いて――という形にはなってしまったが、極めて自然状態に近い会議室の空気を手に入れた僕らを祝福するように、アラームが鳴った。
 五回目の投票タイムがやってくる。
 結果は――想定以上だった。


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