6月27日発売の「本の旅人」2018年7月号では、梯久美子『サガレン紀行』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。
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列車は静かに走り出した。発車アナウンスもなければベルも鳴らない。腕時計を見ると、午後十時四十二分。夜行寝台の旅に備えて五千円で新調した、竜頭を押すと文字盤が光るタイメックスの秒針は、十五秒を過ぎたあたりを進んでいる。ロシアの鉄道は時間に正確だと聞いていたのは本当で、定刻ぴったりの発車だった。
日本の寝台車は動き出すときに軽くガックンとなるが、それもない。走行音も静かで、とりあえずほっとした。これから約十二時間、この車内で過ごすのだ。サハリン(旧樺太)最大の都市ユジノサハリンスクを出発し、島を南北につらぬく東部本線を北上して、終着駅ノグリキに至る六一三㌔の旅の始まりである。
櫛の歯型に並んだコンパートメントの引き戸を開けて通路に出る。上下二段、四つの寝台がコンパクトに収まったコンパートメントは窓が小さめなので、通路の大きな窓から外を眺めようと思ったのだ。進行方向(北)に向かって、コンパートメントは左手、通路は右手にある。つまり通路の窓は東を向いていることになる。
窓の外を、ユジノサハリンスク駅が後方に遠ざかっていく。やがて街灯りが途切れて闇が続き、十五分ほどで次の駅が見えてきた。急行の通過駅なので停車はしないが、巨大なタンクを載せた貨車がいくつも並んでいるのが見えた。広大な操車場があるウラジミロフカ駅である。
タンクに記されたキリル文字は読めなかったが、おそらく天然ガスだろう。サハリンは石油と天然ガスの資源に恵まれている。外国資本を大規模に誘致したプロジェクトの成功で好景気が続いていると、ガイドのエレーナさんから昼間聞いたばかりだった。
ウラジミロフカ駅を過ぎると、また漆黒の闇。昨夜積もった雪の白さが、刷毛で引いたような太い線になって、ときどき窓外を横切るだけだ。まだ十一月の中旬だったが、前日の夕方から雪が降り、郊外ではそれがところどころ融け残っていた。
中途半端な雪景色(北上するにつれて完全なものになっていくのだが)をしばらく見たあと、コンパートメントに戻った。車両はまだ新しく、車内は清潔。向かい合った二段ベッドの間に窓、その下に小さなテーブルがある。カーテンは、カフェカーテンのようにギャザーを寄せた薄い生地のものと、遮光性のある赤いカーテンの二重がけ。小テーブルにも赤いクロスがかかっていて、なかなか洒落ている。
同行したKADOKAWAの柘植青年は、乗車してコンパートメントに足を踏み入れるなり、「お、これはイイですね! 気分、あがりますね!」と嬉しそうに声をあげた。決して豪華ではないが、日本の寝台特急とは違うクラシックな雰囲気で、たしかにいい感じだ。
私たちが乗ったこの列車は、サハリンで唯一の寝台急行・サハリン号である。
……と、ここまで書いたところで、東京の仕事場でパソコンに向かっている私は、念のため乗車チケットのコピーをとり出してチェックする。サハリン号で正しかったよね? と。ふだん評伝や歴史にかかわるノンフィクションを書いているので、固有名詞と数字については、間違いのないよういちいち確認する癖がついているのだ。それでなくても鉄道ファンには細部にこだわる人が多いので、この連載では特に、突っ込まれないよう万全を期さなくてはならない。
チケットのコピーを見て、あれ? と思った。ロシア語と英語が併記されているが、どこにも「サハリン号」の文字はない(日本であれば「サンライズ出雲」でも、いまはなき「北斗星」でも、チケットにちゃんと名称が記されている)。乗車駅と出発時間、降車駅と到着時間、それに号車と座席の指定があるだけである。
サハリンのガイドブックやサハリン鉄道関連の資料をひっくり返して確認してみたところ、そのどれにも、ユジノサハリンスク—ノグリキを走る寝台急行のことを(「優等列車」「華麗にデビューした」等の形容詞つきで)「サハリン号」と書いてある。しかし、チケットはもとより旅行代理店からもらった日程表にも「サハリン号」の文字はなく、日程表には単に「No. 1列車」(復路は「No. 604列車」)とあるだけである。
そうか、これは正式名称ではなく愛称なのだ、だからチケットには書かれていないのだ、と一応納得する。だがその場合も、私が乗ったあの列車が、ほかでもない「サハリン号(愛称)」であるという確証が必要だろう。私は正確を旨とする書き手だし、何しろ鉄道ファンはうるさいのだ。
さきの大戦が終わってからこっち、最初にサハリン鉄道の紀行文を書いたのは、かの宮脇俊三氏である。鉄道への造詣と愛情の深さで知られる紀行作家の宮脇氏は、ソ連時代の一九九〇年にサハリンで鉄道旅をしている。ペレストロイカによる対外政策の転換でサハリンへの一般人の旅が可能になった最初期の鉄道ツアーで、その体験記が同年の『別冊文藝春秋』秋号に「サハリン鉄道紀行」として掲載された。
その旅で宮脇氏は、私たちが乗ったのと同じ東部本線を、同じくユジノサハリンスクから寝台急行で北上している(ノグリキの手前のティモフスクまで)。だがその寝台急行を「サハリン号」と呼んでいる箇所は紀行文の中にひとつもない。宮脇氏は鉄道ファンにとって(もちろん私にとっても)神様であり、「宮脇さんの紀行文にも、サハリン号なんて呼び名は出てこないじゃないか」と突っ込まれないとも限らない。
そうだ、もしかすると、車体に「サハリン号」と書かれているかもしれない——そう思って、発車前にユジノサハリンスク駅で撮った写真をパソコン画面に呼び出してみた。しかし、ホームで撮った写真はわずか二枚。しかも日本の駅のように照明が明るくないので、微妙にボケており、車体の細部はわからない。
「カメラは隠してください」
今回のサハリンの旅は、この列車に乗るのが第一の目的で、四泊の短い旅のうち二泊が車中泊である。なのになぜ、一番大事な駅と車両の写真がたった二枚しかないのか。
これにはもちろん理由がある。ロシアの鉄道では、駅のホームであまり写真を撮らない方がいいと、世界中あちこちに旅行している知人に聞かされていたのだ。たしかに駅は国防上重要な施設だし、特にサハリンは国境の島である。見とがめられてスパイの疑いをかけられる……なんてことはまさかないとは思ったが、出発前、旅行代理店の担当者に一応きいてみた。ロシアが専門で、サハリン鉄道およびシベリア鉄道の個人旅行を得意とするA氏は言った。
「えーと、そうですね、まあ、撮ってもいいでしょう。せっかく行くんですから。でも、駅員や車掌に見つからないようにしてください。こっちを見てるな、と思ったら、撮るのをやめて、カメラをコートの中に隠してください」
え、やっぱりまずいの? カメラ、隠すの?
「一応、隠した方が無難ですね。……私のところのお客さんは、鉄道関連の職場のグループの方がけっこう多いんです。サハリンの鉄道は、樺太時代に日本が敷設したものが基礎になっていて、歴史的にも貴重ですから」
そう、サハリンの鉄道は、日本からマニアが乗りに来る……というか、基本、マニアしか来ない。シベリア鉄道ならロマンを求めて乗る人がいるが、サハリン鉄道にロマンは(ほぼ)ない。
「そういう方たちはプロですから、車輪とか、連結部とか、そういう細かいところを写真に撮りたがる。そうするとやっぱり、怪しまれがちなんですよ。まあ、重大な事態になったことはありませんが」
あなたたちならたぶん怪しまれないでしょう、とは言われたものの、やはりびびってしまい、結局、ホームでは二枚しかシャッターを押すことができなかった。ちなみにサハリンの鉄道はホームが低く、車輪や連結部の全容が見えるので、写真を撮りたくなる気持ちはよくわかる。
いま思い出したのだが、ガイドのエレーナさんに、寝台急行に乗るときの注意点はあるかときいたら、「ビール、飲まないでください」と言われた。ビール以外のお酒なら飲んでいいのか、と一瞬思ったが、おそらくお酒一般の代表としてビールと言ったのだろうと解釈した。ちなみにサハリン号(愛称・仮)に食堂車や売店はない。
そうか、お酒、飲んじゃいけないのか。私と柘植青年は神妙に頷いた。するとそれを見たエレーナさんは、ちょっと考えてから言い直した。
「あ、やっぱりいいです。飲んでいいです。でも、車掌さんが来たら隠してください」
大丈夫だけど、隠す。どうやらそれがサハリンにおける鉄道旅のポイントであるらしい。
これには続きがあって、エレーナさんはそのあとさらにしばし考え、「あ、やっぱりいいです。隠さなくていいです」とまた言い直した。
「そのかわり、歌わないでください。歌わなければ……、ええ、歌わなければ大丈夫です」
私と柘植青年は思った。そうか、こっちの人は列車に乗ると、ビールを飲んで歌ってしまいがちなのか。「世界の車窓から」とか「関口知宏の鉄道大紀行」にそんな場面があったような気がして、楽しみなような怖いような気持ちになった。
(このつづきは、「本の旅人」2018年7月号でお楽しみください)
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