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試し読み

【新連載試し読み】安東能明『頂上捜査』

4月12日発売の「小説 野性時代」2018年5月号では、安東能明『頂上捜査』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。



山梨県警組織犯罪対策室長の皆沢が、暴力団の発砲事件を追う少し前、県警捜査二課長に着任したキャリアの仁村は、思いがけぬ贈収賄事案を聞かされていた――。
交錯する二つの事件の行方は? 正統派警察小説、開幕!

 平成二十三年十一月

 発砲事件発生の報を受けたのは、山梨県警東別館に帰る途中だった。携帯をズボンのポケットに放り込み、皆沢みなざわ利道としみち警部はいま来た道を引き返した。夜は更け、オリオンストリートから通行人は絶えていた。耳にはさんだ受令機イヤホンに、おびただしい警察無線のやり取りが入感しだした。
裏春日うらかすが〉〈被害者不詳〉〈開発通り〉――。
 苦いものが喉元に這い上ってくる。
 とうとう。
 切れ切れに地名が聞こえる。現場げんじょうの正確な位置はわからない。どうしてだ、と疑問が湧く。五十名を超える警官が警戒に当たっている甲府市中心街で発砲とは。
 風が冷たい。コートの襟をきつく合わせる。城東じょうとう通りの信号機が赤に変わった。右からやって来た車を手で制して、通りを渡った。春日通りに入った。左右に歩行者用通路がもうけられた繁華街随一の街路だが、路肩に停めてある車が邪魔をして先が見通せない。歩道を避け一方通行の車両通行帯の真ん中を急ぐ。
 ネオンの明かりに負けず、空に輝く星々の光が胸に沁みる。こみ上げてくる怒りで、頬が熱くなってくる。
 若生わかおか、それとも岡地おかじか。どちらが弾いた?
 役に立たない受令機を外した。同時に、右ふくらはぎの古傷が痛み出した。こんなときに、いや、こんなときだからこそか。足下が揺らいだ。体が宙に浮くような錯覚に陥る。揺れたようだ。東日本大震災から八ヶ月経つのに、余震が収まってくれない。
 甲府ホルモン、グルメ横町、ブティック。左右にある店のシャッターは下りかけていた。九時近い。恨めしさを感じつつ、百メートル歩き切った。左手に銀座通りが現れた。そのアーケード街の中程で南方向に走り込む警官の姿を視認した。先を急ぐ。無線で聞いた言葉を頼りに、一番街の路地に身を投じた。
 地下一階から二階まで、ぎっしりとスナック店舗が詰まったビルの並ぶ闇の通路をたどたどしく抜ける。裏春日通りに出たところで右手を見た。五十メートル先に人だかりがある。足を引きずり、居酒屋が軒を連ねる通りを歩く。
 デイサービスセンターの前にパトカーが駐車し、その横で機動隊員が野次馬を押し戻している。警察手帳をかざしてすり抜ける。太い電柱と小料理屋のあいだの暗がりで、ハンディライトの明かりがちらついていた。人しか通れぬ路地だが、たしか、開発通りといった。覗き込む。
 防弾チョッキを着込んだ男たちが見下ろす地面に、生白い女の脚が見えた。揃いのキャップを被った警官に目配せして、人垣を割る。
 組織犯罪対策室長の到着に気づいた刑事たちが振り返った。幅一けんほどの路地に、青い花柄のワンピースにジャケットを着た女が仰向けで横たわっている。茶髪の男が女の左手にひざまずき、その顎を上げて気道の確保をしていた。離れたところで女たちが固まって見守っている。
 別の警官が女の胸元にタオルを当てているが、血で赤く染まっていた。女の下のアスファルトに血だまりが広がっているのを見て、心臓の鼓動が増した。……とうとう、やられた。
 並んで膝を折ると、茶髪の顔がこちらを向いた。つじ清志きよし警部補だ。うっすら口ひげが伸びている。
「撃たれたか?」
「はい。まだ息、あります」
 そう洩らした辻の目にも憤怒がちらついている。
「貫通してる?」
 女の目はきつく閉じられている。
「してます。射入口は背中です」
 胸の傷は射出口らしく、そのため大量の血が洩れているのだとわかった。
「何発撃たれた?」
「一発です」
「通りから弾かれたか?」
 後方を窺いながら確認する。
「のはずです。追われた野郎が入り込んだとき、この人が居合わせたのだと思います」
 言いながら、必死で気道を確保し、「もしもし、聞こえますか」と大声で呼びかける。女は指一本動かさない。
「追われた? 誰が?」
「この先にある『ルイ』のママが、泡食って逃げる国井くにいと鉢合わせしています。追っ手は見ていません。一発弾いて、逃走しています」
「若生の国井か……」
「ええ。この人を楯にして、あっちに逃げ延びていったはずです」
 と辻は路地の先の春日通り方向に顔を曲げる。
 一般人を楯に?
 皮が裂けそうなほど拳を握りしめる。
 小競り合いが発展して、ここまで行き着いてしまった。それも警察が警戒に当たっているなかで起きたのだ。一週間前、山梨総業を率いる岡地組組長に対する銃撃事件が起きた。ナンバーから、現場から逃走した車が、対立する若生組組員のものであることがわかっている。その仕返しに岡地組が刺客を放ったと見て間違いない。そこに、この女が巻き込まれた。楯にされたあげく背中から撃たれた……。
 ようやく通りに入ったらしく、救急車のサイレンが大きくなる。
「ホステスか?」
 このあたりにいたのだから、水商売の女の可能性が高い。唇に鮮やかなルージュを引いている。
「わかりません。財布も携帯も、身分証明になるものは持ってないし。そこにいるママたちも見たことがないらしくて」
 身の回りのものを持っていないのなら、やはりホステスだろう。何かの用事で店を出て、運悪く巻き込まれたのだ。
 発砲時の状況を辻が話す。春日通り西にあるエル西銀座で、若生組と岡地組の組員が睨み合いになり、小競り合いが始まった。それを制止するために、警戒についていた警官全員が集結したのが午後八時四十分。岡地組の組員が若生組の男の腹に蹴りを入れ、その場で現行犯逮捕されたその瞬間、この付近で小さな発砲音があった。双方の暴力団員は蜘蛛の子を散らすように逃げだし、それを追う警官と入り乱れ現場は混乱した。倒れていた女を見つけるまで五分を要したという。八時四十分は皆沢が中心街を離れた時刻になる。
 救急車が到着し、怒号を発しながら救急隊員が突入してきた。すぐさま女がストレッチャーに乗せられ、酸素マスクがはめられる。止血処理がなされるのを黙って見つめる。
「聞こえる?」
「大丈夫だからね、大丈夫だからね」
 隊員らがしきりに声をかけるものの、意識はない。
 ストレッチャーごと、横付けされた救急車に運び入れた。扉が閉められる間際、皆沢は一緒に行くと隊員に申し出た。
 乗り込むと同時に、救急車が南向きに走り出した。けたたましいサイレンとともに交差点を右に取る。甲府駅に通じる平和通りの六車線を突っ切った。県立病院へ向かうらしく、美術館通りを西へ西へと走る。隊員らの声がけはやまない。顔を赤らめ、ふっくらした女の胸元に分厚いガーゼを当てている。女の腰と脚はきつくベルトで固定され、脈と血圧、心電図を取るための導線が車内を這い回る。口にあてがわれた酸素マスクの内側が曇っていた。身長は百六十センチほど。すらっとした体つき。広い額の左右に髪が流れ、頬骨の目立つ顔だった。美人だ。よりによってあんな場所に。
 モニターに映る心拍数の波形が小さくなる。
「どの店の人だ?」
 と心のなかで呼びかける。
 せめて、撃った人間を見ていないか?
 車が跳ねるたび、剥き出しになった白い肩が揺れる。
 浮かぶのは仕掛けたと思われる岡地組組長ではなく、山梨総業の元総長、若生紀男のりおのシワ顔だった。そもそも今回の抗争の発端は、四ヶ月前の七月、覚せい剤取締法違反で服役していた紀男の弟、竜也たつやが出所したことだった。山梨総業は日本三大暴力団のひとつ、滝川たきがわ会の二次団体で、山梨県内で二十の下部組織を持ち六百人の構成員を抱える大所帯だった。しかし、総長の紀男は本会の承認もなく、出所したばかりの竜也の破門を解き理事長に復帰させた。その処遇に腹を立てた総業傘下の岡地組組長が本会に直訴、表向き、覚醒剤取引を禁止している滝川会としても放置できず、若生紀男総長を絶縁処分にしたのだ。それを不服とした紀男は、味方になる組を引き連れ、若生組として独立した。一方の山梨総業に残った組は組で、紀男、竜也に三男の政志を加えた若生三兄弟による十年来の締め付けで、若生らに対する激しい不満を募らせていた。このため、その筆頭ともいえる岡地組組長を山梨総業の総長に担ぎ上げた。
 こうして真っ二つに割れた両陣営は、甲府市中心街や石和いさわ温泉などで縄張り争いを繰り返し、先日ついに、若生組組長宅で爆発騒ぎが発生した。それを皮切りに、互いの組事務所や組長宅へ拳銃発砲を繰り返すようになり、岡地組組長への拳銃発砲事件へと発展した。今晩の発砲はそれに対する岡地組の報復と見て間違いなかった。あげくに一般人が撃たれた。
 体が左に持っていかれた。中腰でベッドにつかまる。
 荒川の手前で右に曲がったようだ。川沿いに進めば、病院まで五分で着ける。
「AEDっ」
 これほどの出血でも、やるのか。
 女の喉元あたりが震えるように波打った。形のいい唇がかすかに開いた。
 女の顔すれすれまで近づいた。唇が動いている。
 何を言ってる?
 AEDの準備をはじめた隊員の目を盗み、酸素マスクを半分持ち上げる。
 その空洞に耳を差し込んだ。
「……ハ」
 長い睫毛が震え、閉じた目蓋の下で眼球がぴくぴく動く。
「……ハリ」
 何を言いたい? 撃った人間を見たのか?
「ハリモ……」
 かすかにそう聞こえた。
 モニターが突然アラーム音を発した。それまであった波形が消えていた。
 救急隊員の手により、荒々しく酸素マスクが被された。
 ガーゼを当てただけの血だらけの胸が露わになる。心臓をはさむようにパッドが貼り付けられた。AEDが音声案内を発する。
「離れてください」
 隊員により、女の足下に移動させられた。
 ふたたび案内が流れたあと、隊員がAEDのスイッチを入れた。
 心停止状態は改善しない。
 再度スイッチを入れるものの、モニターに波形は戻らない。
 あわただしくパッドを外し、隊員が胸骨の上から両手で胸部圧迫を開始する。規則正しくタイミングを取り、真上から律動させる。女の体が激しく揺れた。ガーゼに血がにじみ出る。風もないのに長い髪の毛がゆらゆら揺れる。一分をすぎても、隊員は諦めなかった。辛抱強く、圧迫を繰り返す。救急車が右に曲がった。反動で女の腰元に抱きつく形となった。女の唇は死んだ貝のように閉じられたままだった。蘇生措置は空振りに終わろうとしている。県立病院が目の前に近づいていた。


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