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連載

「小説 野性時代」転載コラム「私の黒歴史」 vol.15

【連載コラム「私の黒歴史」】明里桜良「山椒魚」

「小説 野性時代」転載コラム「私の黒歴史」

最も旬で刺激的な物語が詰まった月刊文芸誌「小説 野性時代」より、コラム「私の黒歴史」を特別公開!
これって黒歴史? それとも白歴史? “色とりどり”のエピソードをお楽しみください。

(本記事は「小説 野性時代 2025年10月号」に掲載された内容を転載したものです)

明里桜良「山椒魚」
【連載コラム「私の黒歴史」】

「初めて書いた小説で『日本ファンタジーノベル大賞2025』大賞を受賞」。私の本は、そう銘打って発売された。初めて⁉ と驚いてくださる方も多いが、噓偽りのない真実である。だが、それまでに一度だけ書こうとしたことがある。
 二十二歳の夏だった。当時の私は、文化人類学を学ぶ大学院の一年生で、ご多分に漏れず人生という名の道に迷っていた。修士を出たら、更なる研究の道に進むか、関係ない分野に就職するか。研究は好きだったが、それで飯を食うなどということは一握りの選ばれし人々にしか成しえぬことで、そこに突き進む度胸も才能もない気がしていた。
 そうだ、本を読むのも文章を書くのも好きだし、小説なんて書けるんじゃないか。うまくいけば、研究者と小説家の二足のわらじ、的な?
 小説を書きたいという、ずっと心の底に沈めてあった輝く光の珠のような夢を、茶化した気持ちでふんわり包み込んで、早速、パソコンに向かってみた。だが、おぼろげな設定が浮かぶだけで全く書けなかった。起承転結の承にすら至れない。小学生の落書きにも劣る。光る珠はあっという間に、梱包材ごとどこかに転がっていった。
 ああ、やっぱり無理だった。自分に書けるわけがないや。
 半笑いで諦めかけたものの、これで終わらせるのもなんだか嫌だったところに、ふと、浅田次郎先生が、好きな小説家の文章を書き写す、とエッセイに書いておられたのを思い出した。
 ちょうど手元に、井伏鱒二の『山椒魚』があった。短い。これなら、いけそうな気がする。早速、使いかけのノートに『山椒魚』全文を書き写した。すると、「自分はものすごいものを書いてしまった!」と、あたかも自分が創作したかのような充足感と達成感を得た。
 私は文豪に詳しいわけでもなく、なぜそのときそこに『山椒魚』があったのかも覚えていない。井伏鱒二といえば、高校の教科書に載っていた太宰治の『富嶽百景』の中で、主人公と山に登って「放屁なされた」という印象しかない。それにしても、そんなことを書かれた井伏氏こそ黒歴史ではなかろうか。気になったので調べてみると、井伏氏はこれを事実ではないと抗議しているようだ。氏の名誉のためにも、教科書の脚注にぜひ書いておいてほしい情報である。
 ともあれ、筆写で満足した私は、山椒魚のようにはなるまい、と自分に言い聞かせ、小説を書くこともなく、学問を究めることもせず、就職する道を選んだのだった。

プロフィール

明里桜良(あかり・さくら)
1985年、愛知県生まれ。初めて書いた小説『ひらりと天狗 神棲まう里の物語』で、「日本ファンタジーノベル大賞2025」大賞を受賞。

書籍紹介



書名:ひらりと天狗 神棲まう里の物語(新潮社)
著者:明里桜良
発売日:2025年06月18日

就職を機に母の実家で一人暮らしを始めたひらり。ある日、母の家系は代々、天狗に願掛けをする特殊な役割を負った家だと知る。祖父母も母も既に亡く、ピンと来ていなかったひらりだが、穴熊の夜三郎や天狗の飯野など、不思議な生き物と交流するうちに、役割を自覚するようになる。そんな中、豊穂市を大きな台風が襲い――!

掲載号紹介



書名:小説 野性時代 第262号 2025年10月号
編:小説野性時代編集部
発売日:2025年09月25日
商品形態:電子専売

ミステリで新しい挑戦を続ける相沢沙呼さん、似鳥鶏さんの読切掲載! 最終回を迎えた「イオラのことを誰も知らない」「青のナースシューズ」、その結末は!? 秋の夜長にふさわしい最新10月号!

【読切】
相沢沙呼――昇る遺体
兄が殺人事件の参考人として警察に!?
妹の藍莉は名探偵・暁玄十朗とともに謎に挑む!
鮮やかな謎解きが光る、待望の新作ミステリ登場!

似鳥鶏――残されたフィーネ
小説家が執筆の「効率化」のために用いた前代未聞の方法とは――?
ルール無用の実験小説集『小説の小説』シリーズ、新作読切!

【最終回】
安壇美緒――イオラのことを誰も知らない
あなたが手に持っている光の中に、真実はありますか?
衝撃と共感の「イオラ事件」最終回。

藤岡陽子――青のナースシューズ
家族か、学業か。いよいよ最終学年に進級した成道に
過去最大の危機が……。感涙必至のラスト!

【連載】
安部若菜――描いた未来に君はいない 
伊岡瞬――獲物
伊吹有喜――銀の神話
恩田陸――産土ヘイズ
神永学――怪盗探偵山猫 楽園の蛇
今野敏――百鬼
砂原浩太朗――踊る狐 
群ようこ――暮らしはつづく

【コラム】
明里桜良「山椒魚」
朝宮夕「正体」

【書評】
Book Review 物語は。 吉田大助
外山 薫・行成 薫・岩井圭也・似鳥 鶏・石持浅海・河邉 徹・カツセマサヒコ『パパたちの肖像』

【新人賞】
第46回 横溝正史ミステリ&ホラー大賞 応募要項

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