悲しみを抱く期間工の青年の日常と秘密を描いた、第16回小説 野性時代 新人賞受賞作『降りる人』が、本日9月26日(金)に発売となりました。選考委員の道尾秀介さん、森見登美彦氏さんからの熱烈な支持を受け、受賞に至った本作。受賞の報を受けたときの気持ちから、作品に込めた想いまで、著者の木野寿彦さんにお話を聞きました。
取材・文/編集部
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『降りる人』刊行記念インタビュー
――改めまして、第16回小説 野性時代 新人賞のご受賞、おめでとうございます。受賞の連絡を受けたときのお気持ちを教えてください。
選考会の日に、外を歩いていたら、目の前を黒猫が横切りました。猫は、よどみなく、まっすぐ駆けていきました。そのあまりに鮮やかな疾走を見て、思わず微笑んでしまったんです。そして、思いました。落ちたな、と。
たぶん、私は、自分と自分の作品のことを信じ切れていなかったんだと思います。あの猫は、そんな私のいじけた性根を笑うために走り抜けていったのだと思いました。
そのため、夕方になり、受賞の連絡が来た時には、ぽかんとしてしまいました。人間はあまりに驚くと即座に喜ぶこともできないのだなと、俯瞰して自分を観察しているような状態でした。体中に喜びが散らばってしまっていて、それを集めて発露させることが難しかったんです。連絡をくれた担当編集者さんとのやり取りも、テンションが上がったり下がったりで不思議な感じになってしまったと思います。その後、改めて受賞のメールが来た時に、やっと脳の認証プロセスが始まった感じがしましたが、心はまだ追いついていませんでした。
――選評では、道尾秀介さんが「選評を書いているいまも、得難い余韻がつづいている」、森見登美彦さんが「感銘を受けた」と、絶賛でした。
選評を読んだ時に、自分ではまとめきれなかった喜びの感情を、選考委員の方々の言葉で一ヶ所に集めていただいたような気がしました。あの時、本当の意味で受賞を知ったように思います。自分が、というより、この作品や主人公の宮田が届いたのかなと思えて嬉しかったです。宝物です。
――『降りる人』は、心に悲しみを抱える期間工・宮田の日常とその秘密が描かれます。物語の序盤、残業前に配られるパンをめぐる諍いは、端から見れば取るに足らないような出来事ながら、社員と期間工の上下関係や宮田の鬱屈が垣間見え、息苦しくなるような緊張感がありました。木野さん自身も期間工として働かれていたことがあるそうですが、作品にはそのときの経験も反映されているのでしょうか?
正社員、期間工含め、何ヶ所か工場で働いたことがあります。ある工場では残業前にパンを食べて、ある工場では持って帰らなければならないというのは、私自身が経験したことです。作中の「残業頑張れパン」と「残業お疲れ様パン」という推理はそのまま、働いていた当時の私の推測です。
工場に限らず、その会社特有の謎ルールや、ふとした時に立場の違いが鮮明になる瞬間があると思うんです。特に「春」の章では、そのあやふやなルールに振り回されるところを書きたいと考えました。ただ、小説全体としては、工場の生活自体をというより、人間性を削がれることの苦しみと安寧の両方を描きたいと思いました。
――タイトルでもある「降りる人(降人)」について、その考案者であり、宮田の唯一の友人・浜野は「降りるということを選択した存在」だと語ります。「罵詈雑言を浴びながら横になる。それも降人の一つの姿」とも。宮田も作中で「降人」について考えますが、つまりはどんな存在なんでしょうか?
読んだ方が「降りる人」ってこういうものかなと思われたら、それが「降りる人」です。『カモンカモン』という映画の台詞を引用させてもらうと、そこに「正しい答えも間違った答えもありません」。
私がこれから書くことは、あくまで一個人の一解釈と考えてもらえるとありがたいです。
ややこしい言い方になるんですが、「降りる人ってなんですか?」という問いが、そのまま「降りる人」の存在の答えだと思います。「降りる人」について考えている時、その人の頭の中には「降りる人」という概念が存在しています。第一義的にはそれで終了です。「降りる人」が頭にあることによって、例えば、人間として必修科目だと思っていた事を、単なる選択科目として降りられるようになるかもしれない。そこには明確に新たな自由意志があると思います。
しかし、本作品は「降りる人」を理想的な存在として描いているわけではありません。浜野はそれに向かい、主人公の宮田はどこに向かっていいか分からず、悩みます。
――そんな浜野はアダルトビデオをこよなく愛する風変わりな人物ですが、非常にチャーミングなキャラクターでもあります。思わず笑ってしまう2人のやりとりも読みどころのひとつですね。
比喩的な意味でなんですが、浜野は、「隣の優しい宇宙人」だと私は思っています。何を考えているのかよく分からないけれど、根底には優しさがあり、否定せずに隣にいてくれるというイメージです。宮田と浜野の関係には、私が今まで読んだり観たりしてきたバディ物の好きな要素がにじみ出ていると思います。『降りる人』を読んで一回でも笑ってもらえたら嬉しいです。宮田と浜野は、基本的に愉快な奴らだと思うので。
――作中には『E.T.』『サンドラの週末』『晩春』など、実在する映画のタイトルが多数登場します。映画もお好きなのでしょうか?
はい、映画は大好きです。小学生の時にたまたま金曜ロードショーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を観て以来、ずっと観続けています。二十代の間は脚本家になりたくて、テレビ局のシナリオコンクールに手当たり次第に応募していました。『ファーゴ』という映画が好きなのですが、その映画のキャッチコピーが「人間はおかしくて、哀しい」でした。今回、冲方丁先生に「滑稽でもあり哀れでもある主人公」と選評に書いていただいて、どこか『ファーゴ』とつながった気がしてすごく嬉しかったです。
――最後に、本作はどのような人に読んでほしいですか?
今回、本当に美しい装丁を作っていただいたので、皆さんにぜひ一度手に取っていただけたら、と思います。
宮田と浜野が、約束できているかどうかも怪しい相手を二人で待つというシーンがあるんですが、私は、人間みんなそうなんじゃないかなと思っています。私たちはみんな、約束されていない良い知らせをずっと待っている。そんな思いも込めて書きました。帯の言葉や装丁、インタビュー、何か一つでも気になった方には、ぜひ読んでいただきたいです。
最後になります。元々この小説には想定読者がいました。以前別名義で書いた小説が文芸誌に載ったことがあるんですが、それを読んだ方が私に「あなたのファンです」と言ってくださいました。もし、その方に『降りる人』が届いたら、そんな映画みたいなことが起きたら、と願っています。
作品紹介
書 名:降りる人
著 者:木野 寿彦
発売日:2025年09月26日
「しれっと生きればいいだろ」 選考委員感嘆の小説 野性時代新人賞受賞作
〇「滑稽でもあり哀れでもある主人公が、実在の人物に思えるほど描写が自然で的確」(冲方丁/選評)
〇「名作が名作として読者の心に届く瞬間を目の当たりにできた思いで胸が熱くなった。」(辻村深月/選評)
〇「選評を書いているいまも、得がたい余韻がつづいている。」(道尾秀介/選評)
〇「淡々とした、ときにはユーモラスな語り口ながら、最後の一行まで緊張感が失われないのは、主人公の根源的な戦いを、緻密に、正確に、描いているからだ。感銘を受けた。」(森見登美彦/選評)
〇「こういう人の、こういう日々こそを、青春と呼びたい。いや、呼ばせてください。」(尾崎世界観)
心身ともに疲弊して仕事を辞めた30歳の宮田は、唯一の友人である浜野から、期間工は人と接することの少ない「人間だとは思われない、ほとんど透明」な仕事だと聞き、浜野と共に工場で働くことに。
絶え間なく人間性を削り取られるような境遇の中、気付けば人間らしい営みを求めるようになっていく宮田だったが、実はある秘密を抱えており――。
選考委員の胸を打った、第16回小説野性時代新人賞受賞作!
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