【連載コラム「私の黒歴史」】福田果歩「家出娘」
「小説 野性時代」転載コラム「私の黒歴史」

最も旬で刺激的な物語が詰まった月刊文芸誌「小説 野性時代」より、コラム「私の黒歴史」を特別公開!
これって黒歴史? それとも白歴史? “色とりどり”のエピソードをお楽しみください。
(本記事は「小説 野性時代 2025年6月号」に掲載された内容を転載したものです)
福田果歩「家出娘」
【連載コラム「私の黒歴史」】
十四の頃、どうしても作家になりたくて、作家になるためには家を出なければならないという思いにとらわれて、家出をしたことがある。
家出と言っても、友達の家に泊めてもらうような可愛らしいものではない。年齢を詐称して住み込みのアルバイト先を紹介してくれるサイトに登録すると、担任宛てに退学届を送り付け、家族には絶縁状のような手紙を残し、スポーツバッグに詰められるだけの服を詰め込んで、私は決死の覚悟で岐阜のとある温泉旅館へ向かった。岐阜には縁もゆかりもなかったが、雇ってくれる宿がそこだけだったのだ。
山の中腹にあるこぢんまりとした、けれど新しく清潔なその旅館に、小柄で不愛想でひどく寡黙なご主人がひとりで待っていた。普段はご主人と奥さん、息子夫婦の四人で旅館を営んでいるそうだが、その日は息子さんのお嫁さんが間もなく出産するという時で、ご主人以外はみんな病院へ行っていて留守だった。閑散期で客もおらず、ご主人はひと通り旅館を案内すると、それきりむっつりと黙り込んだ。
二学期の期末試験の直前だったから、十一月の半ば頃だ。平日で、空はどんよりと曇っていて、人も車も通らない。どこからか犬の吠える声が聞こえた。聞こえるのはそれだけだった。私は冷たい隙間風が吹き込む厨房でご主人と無言で向き合ったまま、とんでもないところへ来てしまった、と思った。
夜になり、今日は客がいないからと旅館の温泉に入らせてもらった。小さいけれど立派な露天風呂に浸かりふと見上げると、昼間はあんなに曇っていたのに満天の星がすぐそこにあってぎょっとした。手を伸ばせば闇に
温泉を出てすぐに、私は泣きながら母に電話をかけた。決死の覚悟はとっくにしぼんでいたのである。翌日には両手いっぱいにお詫びの菓子折りを抱えた母が迎えに来て、そうして私の家出は呆気なく終わった。
あれから二十年以上が経ち、いつか旅館へ謝罪に行こうと思うばかりで未だに行けていない。どうにか作家デビューを果たしたものの、私はまだあの星空を見るのがこわいのかもしれない。自分は酷くちっぽけで、何者にもなれないと突きつけられた気がした、あの圧倒的な星空。
旅館のご主人、あの時はごめんなさい。いつかきっと、謝りに行きます。
プロフィール
福田果歩(ふくだ・かほ)
1990年、東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。2022年、第48回城戸賞準入賞。25年1月公開の映画『366日』の脚本を手掛け、同作のノベライズ小説も担当する。
書籍紹介
書名:失うことは永遠にない(小学館)
著者:福田果歩
発売日:2025年1月16日
東京で暮らす小学5年生の奈保子は、母の家出をきっかけに大阪にある祖父の家に預けられることになる。河原で迷子になった奈保子の前に現れたのは、同い年の少女・アサコで……。ひと夏の出会いと別れを鮮やかに描いた成長物語。
掲載号紹介
書名:小説 野性時代 第258号 2025年6月号
編:小説野性時代編集部
発売日:2025年05月25日
商品形態:電子専売
\好評/連載第2回、安部若菜「描いた未来に君はいない」。恩田陸「産土ヘイズ」はついに終章突入! コラムも充実の3本掲載。多彩な連載陣が揃う初夏の最新号!
【好評! 連載第2回】
安部若菜――描いた未来に君はいない
冴えない高校生・大和と、人の心が読めるという不思議な転校生・奈海。
ふたりは体育祭をサボって電車に乗り込むが――。
【連載】
赤川次郎――三世代探偵団 愛と哀しみへの逃走
安壇美緒――イオラのことを誰も知らない
阿津川辰海――デッドマンズ・チェア
伊岡瞬――獲物
伊吹有喜――銀の神話
恩田陸――産土ヘイズ
神永学――怪盗探偵山猫 楽園の蛇
蝉谷めぐ実――見えるか保己一
寺地はるな――町は今日も
馳星周――海霧(ジリ)
増田俊也――七帝柔道記 3 友たれ永く友たれ
群ようこ――暮らしはつづく
森沢明夫――ハレーション
【コラム】
品田遊「季節勘」
日比野コレコ「身の丈に合わないかっこつけ」
福田果歩「家出娘」
【書評】
Book Review 物語は。 吉田大助
伊坂幸太郎『パズルと天気』
【新人賞】
第17回 小説 野性時代 新人賞 応募要項
第46回 横溝正史ミステリ&ホラー大賞 応募要項
https://www.kadokawa.co.jp/product/322502000315/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら