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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.65

力強い語りに耳を傾けたくなる芥川賞候補作――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『ジャクソンひとり』

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

安堂ホセ『ジャクソンひとり』書評

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、個人による社会への抗議を描いた一冊。

 安堂ホセ『ジャクソンひとり』(河出書房新社)は雄弁な犯罪小説だ。
 犯罪小説と書いたが、ミステリーを意図して書かれた作品ではない。だから語弊があるのだが、社会と個人の関係を描いた内容である以上、そう呼ぶしかない。犯罪小説とは、個人と社会との本質的な対立関係を描いたものだからだ。自身の存在や尊厳が脅かされると感じた個人は社会の決まりに背いても生き延びようとする。それが犯罪だ。『ジャクソンひとり』は個人による抗議行動を描く小説なのである。
 ポルノ動画にジャクソンが出ている、と彼を知る者たちが話す場面から幕が上がる。ジャクソンはマッサージの仕事をしているが、「アフリカのどこかの国と日本のハーフらしい」「もしかしたらゲイかもしれない」などと噂される人物だ。彼が着ていたロンティー(ロングTシャツ)にプリントされた二次元コードにその映像のURLが仕込まれていた。ジャクソン当人は自分であることを否定する。ロンティーは他人からもらったものだった。ジャクソンは映像の撮影場所に見覚えがある。自分も利用したことがあるホテル・サジタリだ。噂が広まり、マッサージの予約が一気にキャンセルされる。映っているのがジャクソンだと信じる者と信じない者が半々に分かれる。
 警察署に被害届を出したあと、ジャクソンはホテル・サジタリの近くにある公園で人を轢く。この行為は実にあっさりと描かれる。「また公園を走る」「ライトを消したまま漕ぐ」「肉にめり込む感覚がした瞬間にブレーキをかけると自転車は綺麗に止まり、男だけが吹き飛ぶ」と省略の効いた三つの文章によって。ジャクソンが故意に轢いていることがわかる。復讐なのである。正体不明の、おそらくは社会という敵に向けてジャクソンは自転車を飛ばす。
 この場面のあと、自転車に轢かれたトシという男に視点が切り替わる。トシの眼は自転車に乗って遠ざかっていくジャクソンらしい人影をとらえる。彼にはそれが、自分が欲望を向けているジェリンという青年そっくりに見える。
 ジェリンもまた二次元コードの仕込まれたロンティーをもらって着ている。トシはその映像を元に強請ればジェリンを自由にできると考える。ジェリンはトシの言いなりになるが、それは脅しに屈したからではなく、Mとして抱かれたい気持ちがあったからだ。ジェリンは日本にやってきた外国籍の持ち主で、在留カードを携帯する義務を負っている。日本ではMとして振る舞うことが難しかった。相手から罵倒される言葉の中に決して受け入れられない差別用語が混じるからだ。関係性としての奴隷を演じても奴隷になるわけではない。
 ジェリンはトシによって映像のことを知り、他人に助けを求めることにする。イブキという自分のポルノ動画を配信しているやはりブラックミックスの日本人だ。イブキはジェリンの求めに応じてダウンロードしたその動画を自分のサイトにアップロードするが、それは規約違反である。イブキの友人であるエックスがそのことを問い質してくる。ジェリン、イブキ、エックスの三人はホテル・サジタリで話し合いの機会を持つ。そこに偶然ジャクソンが加わる。
 こうして四人が集結する。彼らは映像に出ているのが誰かではなくて、誰が本人役になるかという作戦会議をする。そう言い張れば他の三人は映像による風評被害を免れるからだ。相談をする中でジャクソンの「当事者意識」は薄まっていく。他の三人もおそらく同様で彼らは同化していく。カーペットに描かれた世界地図の上で、自分の両親がどこから来たかを示すために手足の指を置いているうちに肌が触れあう。その行為が四人の身体が混じり合うように描かれるのである。
――目を閉じると、さっきまでの光景が瞼の裏に浮かんだ。ゼリーみたいにぐらつく足元で、世界地図はぐにゃぐにゃに揺れ、誰かの脚がその表面をかすめていった。[……]自分がどんな成分でできた誰なのか、どこからやって来て今どこにいるのかが、全てどうでもよくなりながら眠った。
 ジャクソンズを結成した四人は、いわゆる「純日本人」からは自分たちの外見が同じに見えることを利用して「入れ替わっちゃう」復讐作戦を開始する。同一人物を装って見た人間を混乱させたり、ジェリンを物のように扱うデート相手を懲らしめたり。それは特定の相手というよりも「アフリカンもラテンもタンニングも意図的に一緒くたにするクソみたいな言葉」を使う者たちすべてに対するものなのだ。
 同化後のジャクソンたちは代替可能な存在のように描かれる。言葉遣いも含めほとんど描写に差異がない。だが、ある時点で斥力が働く。ジェリンと入れ替わっていたジャクソンは警察官から職務質問を受けるが、そのとき所持していなければならない在留カードを手渡されていなかったため窮地に陥るのだ。「どうしても人に貸せないから、ずっと自分で持ってた」と聞かされてジャクソンは「日本国籍のないジェリンにとって、国籍のある自分たち三人のやっていることは、贅沢な遊びだったのかもしれない」と考える。同化したジャクソンズだがやはり別々の人間なのだ。こうした形で個人のありようが浮き彫りにされていく。
 ジャクソンズが同化したのはあくまでも逆説的な遊びである。人間はそれぞれが別の存在であるということが角度を変えながら描かれていく。もう一つ重要なのは、そうした個人のありように気づかないものの無神経さが描かれることである。ジャクソンは勤め先で自分に対して差別的な言動をした者がいると、それを当人ではなく人事担当者に訴える。上司であるエイジは初めジャクソンに同情的だが、人事への報告が重なるにつれて、彼こそが問題児ではないかと考えるようになる。「ほとんどの失言は、相手がジャクソンと仲良くなりたい気持ちがきっかけで起きたものなのだから」そういう態度をとらせた当人にも問題があるというのである。被害者であるジャクソンを責める愚に、エイジは決して気づかない。
 小説は時計仕掛けの神が下りてきたような終わり方をする。ジャクソンたちを追い詰めた者は一切の責任をとらない形で消えていなくなる。その行動に意味はなく、他人に対して力を行使すること自体が目的であった。おそらく別の形でそうした力の行使、誰かの存在を無化することは続けられるのだろうということが結末で暗示される。
 個人による抗議を描いた小説であるが、主題は剥き出しの形で語られるのではなく、ジャクソンたちの行動によって間接的に示される。文章もその目的に沿って統制されており、読者の視線をどこに向けるかが計算されている。素晴らしい才能だと思う。
 本作は第59回文藝賞を日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』(河出書房新社)とともに受賞した作者のデビュー作だ。すでに結果は出ているが第168回芥川賞の候補にもなったことはご存じの通りである。力強い語りに耳を傾けたくなる小説であった。


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