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連載

冲方丁「骨灰」 vol.7

ああ、そうだ。この臭いは、〈人が骨まで灰になるときの臭い〉だ。 冲方丁「骨灰」#1-7

冲方丁「骨灰」

※本記事は連載小説です。

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 込み上げる恐怖に負けて絶叫しそうになったそのとき、ももが何かにぶつかった。
 穴を撮影した際、フラッシュで浮かび上がって見えたテーブルだ。一端が壁にぴったりつけられている。その壁に、白いひらひらしたものが見えた。
 なわだった。
 神社につきものの飾りだ。建設現場でも、地鎮祭や上棟式で必ず登場する品でもある。
 テーブルには、和紙と紙垂が敷かれた膳が並んでいた。
 その膳の一つで、何かが光っている。
 小さな金属片だった。
 いや、何かの鍵だ。
 もしかすると、来たときに入って来たドアの鍵かもしれないと思った。
 テーブルを迂回しようとして、その前の地面に、大きめの脚立が横たえられているのがわかった。その脚立の分だけ距離を取りながら、正面からテーブルを見た。
 それが祭壇の一部であることが、やっとわかった。
 光弘の頭より少し上のところで、壁に大きな木製の神棚が設置されているのだ。年季が入った神棚ではない。むしろ真新しく設置されたものに見えた。
 テーブルと神棚の間にあるのは、コンクリートの壁に打ちつけられた注連縄だ。
 そしてその壁一面に、
『鎭』
 濃い灰色の塗料で、そう書かれている。
 いや、塗料ではない。直感的にそう理解された。
 
 何かを焼いたあと残ったものを溶かすか、そのまま擦りつけるかして、字を記したのだ。
 光弘はハンカチ越しに深々と呼吸をした。臭気が弱まっていることに気づき、自然とハンカチを下ろしていた。
 息を吸った。ひんやりして湿気をふくんだ空気が喉に流れ込んできた。
 ここへの階段を下り始めて以来、初めてまともに息がつけていた。
 動悸が収まってゆくのがわかった。パニックが遠ざかり、体がストレスを発散するかのように、全身に汗がにじみ出るのが感じられた。体から湯気でも出そうだった。
 光弘はそのありがたい空気に心から感謝しながら、まつだろうかと考えた。
 大型建築では、しばしばそういう空間が作られるらしい。さいとも、とも呼ばれ、入れるのはごく少数の関係者だけだ。
 口中にわいた唾を苦労せず飲み込めることと、ここに神棚があることとを、素直に結びつけたい気持ちもあったが、あまりに非科学的すぎて確信が持てなかった。
 きっとこの地点に、湿気が集中する構造的な理由があるのだろう。だいぶ気持ちを落ち着けながら、そんなふうに考えた。
 別にこの神棚が、まともにというわけじゃない。もちろん、そうに決まっている。
 ふと、テーブルを見つめた。軍手をはめたままの左手で、その表面をこすった。
 何も積もっていない。階段にも土面にも積もっていた白い石灰のような粉塵が、テーブルの上には見当たらなかった。
 頻繁に誰かが拭いているのだろうか。あるいは、そもそもがあるのだろうか。この神棚が、──。
 そういう考えを、またしても非科学的だ、という思いが遮った。理屈が通らない。きっと、この神棚は目印のようなものなのだ。最初からあった安全地点を、ありがたがっているに過ぎない。
 合理的に考えればそうなる。
 光弘は自分がすっかり落ち着いていることに何より安心させられた。さらにその上、素晴らしいものが光の中に浮かび上がった。
 はるか頭上からテーブルの右側の壁面へと降りてきている太くて黒い線。固定された被覆ケーブルだ。
 まさか、電力が供給されているのか?
 光弘はケーブルの一端にあるスイッチを見つけ、呆然となった。オンとオフしかない、シンプルな上げ下げ式のタンブラスイッチだ。
 信じがたい気分で、それをオンにした。
 ぱっ、と四方からオレンジ色の灯りが降り注いだ。すっかり日が暮れた街角で、にわかに街灯が点灯したかのようだった。
 灯りのおかげで、今いるそこがほぼ真四角の空間であることがわかった。一辺二十メートルはあろうかという広さだ。その中央に、くだんの大きな四角い穴があり、こちら側に神棚がある。出入り口は穴の向こう、神棚のぴったり正面だ。ドアは開いたままだった。いったいどうして迷ったのかと思うほど、単純な構造だ。
 おかしいのは照明位置だった。天井ではなく四隅に備えられている。理由はすぐにわかった。天井がないのだ。かなり深い吹き抜けになっており、ヘッドライトで照らしても天井が見えないほどだった。
 テーブルの前にあるこの脚立は何のためだろう?
 四隅の電球の設置に使ったにしては大ぶりなのだ。ちょっとした梯子代わりになりそうなほど大きい。
 そこで、はたと思った。
 あの四角い穴を上り下りするためのものか?
 光弘は穴へ歩み寄った。だが、そこで別の何かに意識を奪われた。
 出口に向かって左の壁際に、重機の一種が存在することに、初めて気づいていた。
 大して光量のない灯りが四隅にあるだけだから、壁の中央辺りは薄暗いままなのだ。
 そして、その暗がりに、ぽつんと真っ白い重機が置かれており、光弘を啞然とさせた。

▶#1-8へつづく


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