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連載

藤野恵美「きみの傷跡」 vol.2

大学の新歓祭、写真部のブース。目が合って、好きにならずにいられなかった。藤野恵美「きみの傷跡」#1-2

藤野恵美「きみの傷跡」

      2

 春の風には匂いがある。
 わかりやすいのはじんちようだ。暖かいしのなか、ふんわりと甘くて華やかな香りが漂ってくると、春が来たんだなあと感じる。それから、桜の香りも好き。桜はあまり匂いがしないけれど、種類によっては香りの強いものもある。風が強い日に、桜が舞い散ると、ほのかな香りが鼻をくすぐる。桜餅とか和菓子を思わせる感じで、ちょっとおいしそうな匂い。
 大学の正門からはずっと桜並木がつづいている。私はそれを見上げて、シャッターを切った。今日はよく晴れていて、空の青が美しい。透明感のある青。光が強く拡散している。満開の花にピントを合わせて、雲ひとつない青空といっしょに切り抜く。桜の淡いピンク色と空の青さのコントラスト。うまく写せているといいのだけど。
 カメラを下ろすと、声をかけられた。
「ねえねえ、一年生だよね」
「サークル、もう決めた?」
 おそろいのド派手なピンク色のTシャツを着た女性がふたり、交互に話しかけてくる。柔軟剤の人工的な匂いが鼻を突く。頭が痛くなりそうな香りだ。
 思わず身構えてしまい、とっさに返事ができなかった。
「うちら、吹奏楽のサークルなんだけど、楽器とかどう?」
「管楽器のできる子、募集中なんだけど」
 強引にビラを渡され、期待に満ちた目で見つめられる。知らない相手と話すことには慣れていないので、どうしても緊張してしまう。
「あの、私……、楽器とかは全然で……、すみません」
 なんとか言葉を絞り出して、そう伝える。
「うーん、残念。あ、でもさ、もし、時間あったら、新歓コンパだけでも来てよ」
「ここに時間と場所、書いてあるから」
 ふたりが遠ざかると、私はほっと息を吐いた。受け取ったビラを折りたたんでかばんにしまうと、また歩き出す。
 気がつくと、両手はカメラを触っていた。なにかを撮ろうと思ったわけじゃないのに、つい、カメラを持ってしまう。カメラに触れていると、なんとなく安心した。それに、手がカメラのところにあると、ひっきりなしに差し出されるビラを受け取らずにすんだ。
 桜並木にはサークルのブースがたくさん並んでいる。あちこちから聞こえる呼び込みの声に、笑い声や音楽が響き、そのけんそうに圧倒されそうだ。
 匂いも、光も、音も。
 外の世界は、刺激が強すぎる。
 新歓祭のにぎやかさに、心は浮き立ちながらも、おじづきそうな自分がいた。
 学校という場所が、ずっと苦手だった。たくさんのひとが集まり、和を乱さないように気をつけなければならない。たいていのひとは、そこで集団行動や人間関係のノウハウを学び、大人になっていくのだろう。でも、私にはその経験がすっぽりと抜け落ちている。小学校と中学校はどうにか通えていたけれど、高校は……。
 空白期間があるから、ちゃんと大学生としてやっていけるかどうか、不安でたまらない。
 でも、変わるんだ。
 これまでの自分とはちがう自分になる。
 そう思いながら、ひとの流れをかきわけ、進んでいく。
 すると、写真の展示が目に入った。
 何枚もの写真がボードに貼り付けられている。カラーもあれば白黒もあり、展示に統一感はあまりない。大きさもさまざまで、迫力のある大判プリントもあれば、L判やそれより小さな写真もあった。
 あ、猫の写真だ。とぼけた顔で可愛い。それから、海辺にたたずむ女性を写したポートレートが、はっとするほど素敵だった。みなきらめきと対照的な女性のだるげな表情。逆光の構図と露出のバランスが絶妙で、印象に残る一枚だ。
 ほかにも、個性的な写真がたくさん展示されている。
 ぼんやりと写真を見ていたら、自分に視線が向けられているのに気づいた。
 そちらへと、目を向ける。
 ブースに男性がふたり座って、こちらを見ていた。ふたりとも眼鏡をかけていて、よく似た雰囲気だ。真面目そうなひとたち。向かって右側のひとは、少し驚いたような表情を浮かべたあと、顔をしかめて目を逸らした。なにか気に障ったのだろうかと、ちょっと心配になる。
 でも、左側のひとは笑みを浮かべて話しかけてくれたので、ほっとした。
「こんにちは。一年生、ですよね?」
「はい」
「カメラを持ってるっていうことは、もしかして、入部希望者だったり?」
「えっと、それは……」
 そう言われて、ようやく気づく。
 ああ、そうか、私、カメラを持っているんだし、写真部のブースに近づいたら、入部希望だと思われても仕方ない。
 サークルについては、まだなにも考えていなかった。今日はとりあえず新歓祭に参加して、いろんなところを見てみようと思っていたのだ。
「あの、まだ、考え中なんですけど……。写真部って、どういう活動をしているんですか?」
「えっと、撮影会を企画して、みんなで公園とか動物園とか行って写真を撮ったり、学祭とかで展示したり、フォトコンテストに応募したりするひともいるかな。でも、基本的には自由参加だから。それぞれ、好きなように写真を撮って、ゆるい感じで活動してます」
 その説明を聞いて、自分に合っているかもしれない、と思った。
 これまではずっとひとりで出かけて、写真を撮っていた。でも、せっかく大学に入ったんだから、世界を広げていきたい。みんなで撮影会をするなんて楽しそうだ。
「入部するかはいま決めなくていいから、とりあえず、ここに名前と学部だけでも書いてくれないかな? ちょっとは興味のある一年生が来てくれたってことで、部長とかにも報告しておきたいから」
 ブースの上には、ノートが開いたままで置かれていた。
 私はペンを握り、そこに「はなみやまい。法学部です。よろしくお願いします」と書いていく。
 ノートの横には、クラシックカメラが並んでいた。
 アナログのカメラのことはあまり詳しくないけれど、たぶん、中古でしか手に入らなかったりして、すごく高価なものだったりするんじゃないかと思う。二眼レフカメラもあった。縦長の特徴的なかたちが可愛くて、思わずじっと眺めてしまう。
「花宮さんか。おっ、法学部ってことはいっしょだ。僕は笹川で、こいつは星野。どっちも法学の二年だから、講義やテストのことなんかも、いろいろアドバイスできるかも。なっ、星野?」
 笹川さんというその先輩は、とても話しやすくて、親切そうだった。
 けれど、星野さんのほうは、どちらかというと無愛想で、ちょっと取っ付きにくい感じだ。
「は? あ、ああ、うん」
 気のない様子で返事をして、ちらりとこちらを見たかと思うと、また目を逸らされる。
 そこに、名前を呼ぶ声が聞こえた。
「まいちゃん!」
 振り返ると、しずねえちゃんが立っていた。
「ああ、やっと、見つけた。なかなか来ないから、心配したよ」
 私は写真部のひとたちにぺこりと頭を下げると、しず姉ちゃんのほうに走っていく。
 しず姉ちゃんとは、講堂前で待ち合わせの予定だった。
「ごめんね。ちょっと寄り道というか、いろいろ引っかかって」
 しず姉ちゃんは従姉いとこで、二つ年上だ。優しくて、すごくスタイルが良くて、成績優秀で、幼いころから憧れの存在だった。私がこの大学に進むことを決めたのも、しず姉ちゃんが通っているからという理由が大きい。
「さっきのって、写真部?」
「うん。展示を見てたら、声をかけられて」
 並んで歩きながら、しず姉ちゃんと話す。
「入るの?」
「うーん、まだ迷い中。写真は好きだけど、ちゃんと勉強したわけじゃないから、下手すぎて恥ずかしいし」
「そんなに気負わなくていいと思うけどね。写真部か。悪い噂を聞いたことはないけど、念のため、ちょっと探ってみよう」
 そうつぶやくと、しず姉ちゃんはスマホを取り出して、誰かにメッセージを送った。
「大学はどう? 慣れてきた?」
「広いから迷いそうになるけど、だんだん場所もわかってきた」
「学食は使った?」
「ううん、まだ。このあいだ、パンは買ったけど」
「時間帯にもよるけど、だいたい、第一より第二食堂のほうがいてるんだよね。落ちつけるのはカフェテリアだけど、値段がちょっと高めだし、学生はあんまり利用しないかな」
 しず姉ちゃんからの情報を私はしっかり頭に入れておく。
 私が高校生でなくなり、何者でもない存在になって、家で過ごしていたころ、しず姉ちゃんは大学生活について、いろいろと教えてくれた。高校までとはちがって、クラスが固定されるわけじゃないから、人間関係が気楽だということ。自分で授業を選んで、時間割を組めるということ。出席を取らない授業も多く、レポートさえできれば単位をもらえたりすること。とにかく自由で、学びたいことを自分で見つける場であるということ。
 その説明を聞いて、大学に行ってみたいと思った。そして、高卒認定試験を受けることを決めたのだった。
「新歓コンパとか、誘われた?」
「うん。ビラもいっぱいもらったよ」
「お酒を飲ませようとするところは絶対に参加したらダメだからね」
「わかってるって」
「だいたいは学内でジュースとか飲みながらお花見だと思うけど、場所が居酒屋になっているようなサークルは危険だから」
「はーい、気をつけます」
 しず姉ちゃんは過保護と言えるほど、私のことを心配してくれる。
 だいじょうぶだから。心配しないで。私、そんなに弱くないんだよ。
 そう言いたいけれど、実際、高校に行けなくなって、心配をかけていた時期があるだけに、しず姉ちゃんが過保護になるのも無理はない。
「私ね、すごく嬉しくて、いまでも信じられない気分。自分が大学生になって、しず姉ちゃんとおなじ場所にいるなんて」
 そう言いながら、しず姉ちゃんの前に出ると、私は振り返って、カメラを構えた。
「撮っていい?」
「もちろん」
 しず姉ちゃんは、にっこりとほほむ。
 素早くシャッターを切って、また歩き出す。自然なスナップ写真は難しい。しず姉ちゃんが大学にいる何気ない風景を撮りたかったんだけど、さすがにこの混雑ぶりでは背景がうるさくて、ごちゃごちゃした写真になってしまった。
 しず姉ちゃんは歩きながら、スマホを取り出した。メッセージが届いていたらしく、熱心に読んでいる。
「写真部、まあ、よさそうだね。人数が少ないから、あんまり実情を知っている子はいないけど、いまのところ、悪い評判はないみたい」
「しず姉ちゃんの情報網、すごいね」
 しず姉ちゃんはスマホの画面を指ででて、そこに書かれていることを読んでいく。
「写真部の新歓コンパは、三号館の裏手か。あそこ、隠れ花見スポットなんだよね。どうする? 参加するなら、私もつきあうけど」
「え、いいの? 今日、バイトは?」
「休み。まいちゃんを案内するつもりだったからね」
「わあ、ありがとう」
 新歓コンパがはじまる時間まで、私たちは新歓祭をもう少し見てまわることにした。
「時間割はもう作った?」
「うん、いちおう。いろいろ勉強したくて、ぎっちり詰めこんじゃった」
「無理しすぎないようにね」
 冷静な声で、しず姉ちゃんは言う。
「やる気に満ちあふれているのもわかるけど、ほどほどに。最初から飛ばしてると、あとで疲れが出ちゃうかもしれないから」
 しず姉ちゃんのアドバイスはもっともだと思う。
 でも、春の陽気に浮かれて、私はなんでもできそうな気分だった。
 まっさらな自分になって、新しい人生を踏み出して、過去の嫌なことはすべて忘れてしまいたい。

>>#2-1へつづく ※9/11(水)公開

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「きみの傷跡」第 1 回より


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